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 食事を終えると、自然に酒盛りが始まった。俺と神崎奈美を除けば、もともと飲むのが好きな人間たちである。そうならないわけもなかった。


 藤本正樹も、鷲見桃子とは気まずいのだろうが、男と酒を飲むのは楽しいらしく、ビールを煽ってはへらへらと色々なことを語っていた。しかし酒が入っても、喧嘩の理由は口にはしない。一方の鷲見桃子は気分が乗らないのだろうか量自体かなり少なめで、発言も余りない。無駄に声を大にしているのは竹本浩二で、例の如くあれやこれや自分の考えを披露している。


 俺は最初のうち、苦手なこともあってちびちびと飲んでいたのだが、場の空気と軽井沢に浮かれた気持ちも手伝って、次第にペースが速くなってきた。何より「ここで飲んだ後に家まで帰らなくてはならないのか」と考えなくて良いのが大きかった。神崎奈美も同様で、こちらを止めるどころか、うっかりすると誰よりも飲んでいるのではないかと思われるハイペースでグラスを空けている。


 夏の宵ということもあり、会話の主題は自然に怪談話へと移行した。百物語を模して、鷲見桃子が靴箱の中に隠れていた蝋燭を引っ張り出してくると、それぞれの前に一本ずつ置き、部屋の明かりを落とす。


「いいねえ、雰囲気あるよ」

「百物語をしたらどうして幽霊が現れるのかって言うと」

「怖くなってきたかも」

「夏っぽいね」

「誰から話す?」

「じゃあ俺から行こうか」

 怪しい呂律ろれつで名乗りを挙げたのは藤本正樹であった。


「正樹の怖い話って、なんか後ろ暗そうだね」酒が手伝うと朝野保彦の軽口は風船のようにどんどん重量がなくなる。「実は人を殺して、その霊が今も後ろに……、とか、やめてよね」


「殺してねえよ」藤本正樹も気分が良いのか、いつもなら「じゃあお前を殺してやるよ」とでも言い出しそうなところを、簡単に流した。「まあ聞け」

「正樹の低い声だと、それっぽいな」

 竹本浩二がぷかぷかと煙を吐きながらへらへらと呟いた。だいぶ酔っているように見える。


「保彦の言うことも、決して遠からず、という内容になるが。これは俺が実際に体験した話。


 大学二年に上がりたてのころ、一は知っているだろうけど、その少し前に俺の周りの環境に変化があったことで、俺はどこか気がおかしくなっていたんだ。毎日毎日忙しくてろくに眠りもしなかったし、煙草ばかり吸っていて換気もしないから部屋の空気も常に重くて。春先だったけど雨が多かったからじめじめしていて、文字通り腐りそうだった。


 ある日の夜、それももう真夜中という時間帯、例の如く目を覚ましていた俺は見てもいないテレビを点けっぱなしにしてぼんやりとベッドに身を預けていた。一種のトリップ状態のようになっていて、身体がそのままベッドに深く深く沈んでいく妄想なんかもしてた。限界が近かったんだな。


 それが急に、ある一点から視線を感じ始めて、はっとした。そしてその視線がどこから出ているのかわかって、気味悪さが増した。


 テレビは通販番組を流しているはずだったのに、いつの間にか、変わっていたんだ。それも、どう見ても俺自身にしか思えない男が、暗い森の中をこちらに向かって歩いている映像に。当然、俺はそんなものを撮った記憶はない。でも着ている服も俺の持っているものだったし、何より俺自身が俺だと思ってしまうくらい似ている人間なんだ。


 画面の中の俺はまっすぐに俺のほうへ歩いてくる。何も言わず、何も感じさせない表情で、黙々と。


 テレビを消せば良いのかと思ったが、電源ボタンを押しても反応がない。壊れたのか狂ったのかわからないが、画面の中では俺が延々と歩き続けている。


 それで、気付いたら朝になっていた」

 藤本正樹は蝋燭をフッと吹き消した。


「ええ、終わり? なんだか尻切れトンボだなあ」朝野保彦はビールを煽って文句を垂れる。「その後はどうなったの」


「その後も何も、それきりだ。後にも先にもその日しかその現象にはぶち当たってない。まあちょっとそれっぽく付け加えるなら、どことなくこの軽井沢の風景に似ていたような気がしないでもないかな」


「自分が黙々と歩いている映像ねえ。本当だとしたら気味が悪いけど」

「そうだよ。本当だったら気味が悪い。その程度なんだよ怪談なんて」このまま朝野保彦が不平ばかり垂れていたらいくら酒で気分がよくなっていようといずれは爆発してしまうかもしれない。「それに補足じゃないけど、俺、その話当時正樹から聞いたの覚えてる」

「ああ、一には話したな」


「当時は二人で結構ビビッていたんだけどね。今になっても何もないところを見る限りは本当にそれきりだったんだろう」

「何かの暗示じゃないと良いなとは思う」

「じゃあ今後に期待って感じの怪談なわけだな」朝野保彦は自分でも調子に乗りすぎたことに気付いたのか、「じゃあ次行こう次」


「じゃあ私が話そうかな」

 立候補者は中村梢である。

「はりきってどうぞ」

 中村梢は一言発するたびにきのこ頭が激しく揺れる酔いっぷりだ。


「視線。私も視線に関係する話なんだけど。


 これは私のお姉ちゃんが体験した話で、確か二年前って言っていたかな。当時お姉ちゃんは病院に勤めていたんだけど、場所柄、人の生死にはよく関わっていたらしい。仲の良かったおじいちゃんとか、何かとナースコールを鳴らして迷惑な人とか、そういう人が急に亡くなってしまうこととかがあって、寂しさからよく気分が落ち込んでいたの。


 ある夜勤の日、書類整理をしていたらナースコールが鳴った。振り返ってどこの部屋かを見ると、その迷惑な人の病室からだった。またか、と思ったけど、今言ったようにその人、もう亡くなっているわけね。その段階で背筋がちょっと寒くなったんだけど、もしかしたら相部屋の人とか、自分の部屋を抜け出した誰かがそのベッドのナースコールで助けを求めているのかもしれないし、なにより仕事だから鳴ってしまった以上見に行かないわけにもいかない。一緒に詰めていた先輩からは、こういうこともあるのが病院だから、なんて変な励ましを受けたみたいだけど、やっぱり怖いものは怖いのよね。初めてのことだったし、無理を言って二人で様子を見に行った。


 非常灯と懐中電灯の明かりだけを頼りに病室に行くと、問題のベッドには誰も居ない。六人部屋で、ほかに三人患者さんが寝ていたから、誰かが悪戯で押したのかもしれませんねなんて先輩と話していたけど、病室を出ようと振り返ったとき、背後に視線を感じた。隣の先輩も、横目でそれを確かめてくる。


 意を決して二人で振り返ると、問題のベッドの上に、例の患者さんが正座して座っているのが見えた。無表情で虚ろな目をしてこちらを見つめている。怖かったけど、怖いと思うほど、まるで制約されているみたいに視線が外せない。


 患者さんはそのまま深く頭を下げて、すうっと消えたらしいんだけど、あれが感謝の意味だったのかどうかは、お姉ちゃんには今もってしてわからないんだって」


 蝋燭がまた一本消える。

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