2
起きたときにはすでに一般道に下りていた。鷲見別邸は浅間山付近らしく、まだしばらくはドライブである。
「悪い、寝てた」
運転席のほうに視線を滑らせると、
「助手席たるもの運転手の機嫌伺していないと」朝野保彦は軽口を叩く。「運よく大幅に先導と離れなかったから良かったけど、道案内が必要なときに寝てたら多分普通に怒ってたよ」
振り返ると、後部座席二人も寝息を立てている。
「いや、本当に悪いな」
「別に良いんだけどさ」車内にはイギリス出身で世界的に有名なロックバンドの曲が軽快に流れている。「一人、好きな音楽を聴きながらの長距離ドライブって言うのも嫌いじゃないしね」
聞きながら、俺は煙草に火を点ける。
窓外は東京の景色とは打って変わって、緑が多かった。
「なあ朝野」
「なに?」
「好きってなんだろうなあ」
「その話題、何時間も前に終わりましたけど」朝野保彦はくすくすと笑った。「まあ寝ていた一ちゃんにはつい先ほどのことのように思われるでしょうけどね」
「いや、ごめんって」俺も思わず笑みが漏れる。「さっきはああ言ったけど、ふいに思ってさ。男女の仲に限らず、一般的に言う好きって言うものがなんなのか。俺はお前とか後ろの二人とか、前の車の四人とかのことを当然好きだから一緒に居るわけだけど、もしかしたら一緒に居たから好きになったのかもしれないとも思うわけだよ」
「卵が先か、という話? それには結論は出ないんだから考えても無駄だよ。浩二みたいなことを言うね」
「俺、奈美に関しては、何を失っても守りたいと本当に思うよ」
「今度はのろけ?」
「正樹には散々に笑われるだろうけど、俺、今回の滞在中に奈美にプロポーズしようと思って」
これにはさすがに驚きを隠せなかったようで、朝野保彦は反射的にこちらを向いた。
「プロポーズ?」カーステレオを止める。「早くない?」
「いや、なんと言うか、俺が言うのもなんだけど、そう堅苦しいものじゃなくてね。簡単な約束事みたいなものだよ。多分、不安なんだと思うんだ。俺も奈美も。これから忙しくなるに連れ、お互いをぞんざいに扱ってしまわないかどうか。就職してのち、ちゃんと今までどおりの付き合いを続けていられるかどうか」
「未来のことなんて皆不安だよ。折り合いつけて何とかやってるだけで」
「安物なんだけどさ」鞄に仕舞っておいた銀の指輪を取り出す。「これである程度の安心が得られるなら、それで今はいいのかなと思って」
「一、眠いんだね。僕の言ってることはほとんど聞こえてないみたいだ」朝野保彦はひとつ笑って、煙草に火を点けると煙を深く吸い込んだ。それをゆっくり吐き出しながら、「一がそう決めて、そうするなら、僕は止めないしむしろ応援するよ。なんか羨ましいな」
「ありがとう」
「気持ち悪いからよしてよ」笑いに合わせて咥え煙草から煙が漏れる。「僕も亜里沙ちゃんにアタックしてみようかなあ。好きかどうかは、後から付いてくるでしょ」
「がんばれよ」
言いたいことを言い切ってしまうと、半ばほどまで吸った煙草を灰皿に仕舞って、また眠りについた。浅いため息と、再び音楽が流れ出す気配を、夢うつつに感じる。
鷲見別邸は、神崎奈美に聞いていた通り、変わった外観をしていた。
鬱蒼とした緑の中に、コンクリート打ちっぱなしの馬鹿でかい真四角の建物が居座っている。それは猫の集会に象が参加しているような、違和感を軽く飛び越えて、不揃いに対する不快感がどの感情にも勝る異様な光景である。
八人全員が車外へ出ると、鷲見桃子はにこにこと笑いながら、
「こちらが別荘になりまーす」
例の甘ったるい声で宣言した。
ちょっとしたビルよりでかい。短いスロープ部分があるため、入り口は腰よりやや高い位置にある。その扉の高さから想定する一階部分に窓は無く、建物上部に点々と小窓が設置してあるが、とても景観を楽しめるほどの大きさではない。二十センチ四方くらいだろうか。避暑のためというよりは、人を避けるための建物のように思われる。
ぐるりを見回すと、実際にほかに別荘らしい建物は無かった。その俺の視線に気付いたのか、
「こんな見た目してるから、ちょっと離れたところにしか建てられなかったみたいよ」
鷲見桃子が説明をくれた。確かにこんな建物を、軽井沢まで来て見たくない。
興奮の色を見せたのは、意外にも神崎奈美だった。
「すごーい」オクターブ上がったような声。「すごいね一くん」
「そうだね」確かにすごいことはすごいだろう。「なんと言うか」
「映画の舞台みたい」続きは竹本浩二が引き取った。「それもスプラッタ系の」
「おいおい不吉なこと言わないでおくれよ」運転に疲れた朝野保彦は大きく伸びをして笑った。「皆殺し?」
「朝野くん冗談はよしてよ」上田亜里沙もまた、大きくあくびをして呟いた。例の感情の薄い声音である。「皆殺しは勘弁。私だけは生き残りたいわ」
「亜里沙ちゃんはまあ、この中では生き残るだろうね」にこにこ顔である。そして本人にも
「ありがとう」言葉とは裏腹、さほど喜んでいる様子はない。言われ慣れているのだろうか。褒め言葉に慣れるというのは悲しいことだ。「じゃあ何かあったら守ってね」
「保彦は調子に乗って最初に死ぬタイプだな」早速煙草を吹かしながら藤本正樹が口を挟む。「お調子者は大抵真っ先に犠牲になるから」
「そうなると確かに朝野くんが最初だね」中村梢は小さい身体を大きく揺らしながらくすくす笑った。彼女の着ている柄物の洋服は、都会ではともかくこういった自然の多い場所で見るとひどく浮いて見える。しかしそれよりもこの別荘だ。「最後には名前も思い出されないタイプ。エンドロールで、ああ、いたねーって」
「これこれ君たち人の別荘を話の種にするのは良いけど、もっといい方向に持っていってよ」鷲見桃子は形だけ怒っている風だ。「これから泊まるって言うのに」
どこか皆、気持ちが浮ついている。
駐車場に停めた車から各々荷物を取り出し、ぞろぞろとスロープ部分を上がる。玄関は優に三メートルほどはありそうだ。木製の扉にガラスが散りばめられている。
開けてみると、内装も想像からだいぶ逸脱したものだった。
薄暗い靴脱ぎから短い廊下を挟んだ先に、大きな円形ホールが待っている。大体、四百メートルトラック一周分くらいはありそうにさえ思える。内壁や床も全てコンクリートのままで、塗装などはされていない。
「なにこれ、広ーい」
中村梢が嬌声を上げるのも無理は無い。
中央部分には二回りほど小さめの円形の窪みがあり、そこにテーブルやソファが設置されている。リビングに当たるのは、その一段低くなっている場所なのだろう。二階へ吹き抜けになっているわけではないようで、開放感は余り無い。
周囲の壁面には、玄関と同じ木製の扉が六つある。こちらにはガラスの装飾がない。
「とりあえず荷物置きに行こうか。二階部分が全部客室になってるから」
そう言って鷲見桃子は玄関から見て左手側すぐの扉を開いた。そこは階段室とでもいおうか、二階への階段が隠れている場所だったらしい。
二階部分は、今上ってきた階段室を含め、扉が十枚あった。中央は一階と同様、少しの窪みがあり、ビリヤード台が二つ据えてある。
「なんだか別世界だな」
竹本浩二の呟きも仕方ない。
部屋割りは、適当に決まった。どこも中身は同じらしく、誰もこだわりを持たなかった。階段室から時計回りに、俺、神崎奈美、朝野保彦、中村梢、藤本正樹、竹本浩二、上田亜里沙、鷲見桃子、そして空室の順である。
部屋はビジネスホテルのような間取りである。入ってすぐの廊下右手側にユニットバス、奥にベッドと化粧台、テレビなどがある。強いて変わっているところを挙げるとすれば、外に面している壁に四角い穴が開いていることくらいか。最初は観葉植物の小さな鉢植えを置くような洒落たスペースかとも思ったが、しばらく見つめていてそれが外から見た窓であることに思い至った。想像通りの二十センチ四方程度で、顔を突っ込むことさえ苦しい。さらにこの建物全体の特殊な構造のせいか、その四角い穴から二メートルほど筒状の空白があって、その先にようやく窓がある。これでは景観を楽しむなど無理な話だろう。徹底的に外敵を排除するためか、部屋側の穴はシャッターを下ろせるようにもなっていた。一体この別荘の持ち主である鷲見連太郎およびその客たちは何をしにここへ来るのだろうかと疑問に思っても、当然の造りである。
それぞれ荷物を置いた面々は、その部屋の異様さにも多少の違和感を覚えたようだが、建物全体に比べれば些末なことだと判断したようで、余り話題に上らなかった。
一階の中央スペースのソファに寛ぎ、鷲見桃子が出してくれた水で喉を潤す。これがペットボトルそのままでなければもう少し可愛げがあったが、そこまでは期待しない。もらえただけよしとする。
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