1

 予定の七月二日。約束通りの午前十一時に鷲見邸に揃っていたのは家主の鷲見桃子と家の近い神崎奈美、そして俺の三人だけだった。本当に名だけの会議に終わっていたらしい。こういうものを無駄というのだろうと、いっそ得心とくしんしてしまうくらいの余裕はあった。


 別荘になど行かずこの渋谷の一等地での宿泊でもいいのにと思いながら、聞いたことのない銘柄の紅茶を頂き雑談に遊んでいると、五分後に藤本正樹がやってきた。彼の中では時間通りに来ないことがせめてもの抵抗だったようで、そこに居たのが僅か三人とわかるや、間抜けなくらいに狼狽したので笑ってやった。


 朝野保彦と中村梢は二人揃ってきのこヘアを揺らしながら、さらに十分後に微笑んで鷲見邸を訪れた。謝罪の一言もなく、二人でなにやら「だから、そうじゃなくて、こう」と意味不明なことを身振り手振り交えて話し合っていた。


 意外なことに、十一時半になって竹本浩二と上田亜里沙の二人が一緒になって玄関口に現れる。この二人の組み合わせは八人の中では余り見られず、なんだかちぐはぐな感が否めなかった。すらりとした読者モデルと時代錯誤の苦学生風情は、並べて見るものではないなと思った。


 八人が揃って、簡単に昼食を食べてから二台の軽自動車に分乗する。別荘までの道順を知る女性グループが先導する。


 こちらは、運転席を朝野保彦、助手席に俺、後部座席は運転席側に藤本正樹、そして俺の後ろに竹本浩二となった。喫茶店のときの並びでそのまま向きを変えた状態だと想像してくれればいい。


 言ったとおり、鷲見邸は渋谷にあるので、軽井沢までは大体三時間半から四時間程度の道程みちのりとなる。


 首都高に入ったあたりで、運転手の朝野保彦はいかにも眠そうな大あくびをしてみせた。

「遅れてきたのに眠いのか」

 妙な緊張感でほとんど寝ていなかった俺は皮肉を込めた冗談を飛ばす。


 朝野保彦は余裕の笑みで、

「悪いね」それだけ言うと、「僕が遅れたのはともかくとして、浩二は何で遅れたの? しかも亜里沙ちゃんと一緒とか、ちょっと詳しく聞きたいね」


 バックミラー越しに視線を送った。

 竹本浩二は窓を少し開け、煙草を吹かしながら苦笑いを見せる。


「別に詳しくも何もないよ。遅れたのは課題をやっていたからで、上田さんとはたまたま駅で一緒になっただけ」

「たまたま二人とも三十分遅れた電車に乗ってきたってわけ? そしてあの雑踏の中で偶然お互いを見つけられたの?」


 朝野保彦の口調がやや鋭く感じた。これは普段議論を遊んでいるときのものとは異なる。


「本当にたまたまだよ。上田さんと俺が怪しい仲だと勘ぐってるのか? 残念だけど道中ほとんど会話もなかったよ。というか、彼女と会話が続くやつなんてほとんど居ないと思うけど。話が膨らまなくて悪いね」苦笑いのまま答える。そして何か思い当たったようにパッと窓外から運転席へ視線を移し、「なんだ、保彦はてっきり中村さんかと思っていたけど、上田さんのほうなのか?」明言せずに質問を繰り出す。そして、「少なくとも俺は彼女とは何もないから安心してくれよ。一緒だったのは、何回も言うようだけど本当にたまたまだから」


「おいおい、一人早合点して話を進めないでおくれ」朝野保彦も煙草を咥える。「確かに亜里沙ちゃんは四人の中で一番可愛いけどさ」

「待て。お前この車内に、前の車の女子のうち二人の恋人が居ることを忘れるなよ」思わず口を挟んでしまう。「なあ正樹」


 返答はない。振り返ると、昨晩も「散歩」に出かけて疲れたのか、早くも寝ているらしかった。


「まあまあ、僕の主観ではね」それに気付かなかった朝野保彦は慌てて付け加えた。藤本正樹を怒らせると面倒だと理解している。俺はなんだか惨めに見えたので、彼が寝ていることを教えてやった。するとわざとらしくため息を漏らす。そして咥えたままだった煙草にようやく火を点けて、「でも僕も亜里沙ちゃんには相手にされてないんだ。といっても、これは別に彼女のことが好きで相手にされないのが辛いとか、そんな僕の前に浩二が彼女と二人きりでやってきたのが許せないとか、そういうことではないから、変に発展させないでね。僕が言いたいのは、亜里沙ちゃんだけ何だか影があるような気がして、そういう考えのところ浩二が彼女と二人で着たから純粋に驚いたんだ」


「影?」

「そう。桃子ちゃんと仲がいいのは周知だけど、彼女、ほかの六人とはそこまで近い距離感じゃないと思わない?」


「まあ、確かに」竹本浩二とのツーショットの意外性は、そもそもそういった背景があったからかもしれない。喫茶店で彼のほうへ視線が動いたのも意味などなかったのだろうし。「奈美も上田さんの話は余りしないな」


「自分で言うのもなんだけど、僕、割と人の懐に入るのはうまいほうだと思うんだけど、どうしてか、亜里沙ちゃんは受け入れてくれない。最初の飲み会のとき、この子可愛いなと思ってそれこそ馬鹿みたいに尻尾振ってみたけど、見向きもしない。三ヶ月くらい経つっていうのにそれは変わらず。攻略できてないんだ、彼女だけは」

「保彦でそうなのに、俺があっさり攻略して見せたと思ったわけか。そうしたら気になるのも無理はないか」竹本浩二は興味深そうに丸眼鏡の奥の目を細めた。「確かに彼女、どこかとっつきにくい感じあるしな」


「飲み会恒例の浩二の大演説を彼女は気に入ってたからね、もしやと思ったんだよ」竹本浩二の酒癖の悪さはなかなかのもので、酒が入れば入るほど誰彼構わず自論を叫びだすのが定番だった。本を読めば、いつかはそこで得た知識をひけらかしたいと思うのが人情というやつだろう。竹本浩二の演説は、それだと思っている。「でもどうやら思い過ごしだったらしい。ということは、こう考えられない?」

「何?」


「桃子ちゃんと個人的な付き合いをしていればいいところまず女子グループに混ざり、そしてわざわざこの八人のグループの中にも入ってきたということは、もしかして亜里沙ちゃんは、この男子グループの中に好きなやつでも出来たのではないか、と。今のところまだ近づけていないだけでひそかに思いを募らせているのかもしれない」


「二人きりでほぼ沈黙だったことから浩二の線はどうやら薄れた。そして俺と正樹に恋人がいるのも周知。だからそのお相手が自分だと良いなと朝野は思うわけだ」茶化してみる。「表面上は上田さんを分析している風にしておいて、ここに宣言しておけばちゃっかり牽制も出来るしな」


「一は勘ぐりすぎだよ。まあね、それが僕だったら良いなとは確かに思うよ」ここで一瞬でも気分を害した風に見せないあたり、朝野保彦は色々な人間と関われるだけあるなと思う。「可愛いからね亜里沙ちゃん」

「いやいや奈美のほうが」


「それはともかくとして、保彦はその割りに、中村さんとのほうが親しく見えるけど」竹本浩二はあっさり俺の弁を遮る。「てっきり付き合ってるんだと思ってた」

「梢ちゃん? いやあ、悪いけど彼女はよき友達って感じだな。付き合うには至らないかなあ」

「ズバッと切り捨てるんだな」


「こう言っちゃなんだけど、恋人にするには魅力が乏しいんだよね。話は合うけど、身長の低い子ってあんまり好みじゃないし」朝野保彦は乾いた笑みを浮かべる。「胸はまあまああると思うけど」

「奈美も小柄だけど可愛いよ。胸はあんまりだけど」


「それこそ上田さんと比べたりすると、確かに余り引っかかる要素はないか。見た目の面で言えば対極と言っても言い過ぎじゃないしな」俺の意見はまたしても無かったかのように扱われる。「なんか難しい問題だな。中村さんは多分保彦のこと好きだろ?」

「どうかな。彼女も僕のことは友達だと思っていると信じているけど。付き合うことは望んでいないと思うけどね」


「でも彼女が髪形を変えたのは少なからずお前の影響だと思うね」どうやら竹本浩二の記憶の中では朝野保彦ありきで中村梢が髪型を変化させたということらしい。実際のところを俺は覚えていないし、何を言っても大抵無視をされるので、もうこの話題からは身を引くことにする。「保彦と話しているときはいつも楽しそうにしているし」

「ううん。どうなんだろうね」


「保彦からしたら、もし中村さんから告白されたとして、どうするの?」

「どうするも何も、友達以上に見たことはないからなあ。彼女にしてって言われたら断ると思うよ。ちょっとそういう想像は出来ない」

「そっか」


 自分のことでもないのに残念そうな顔をする。これらの事情が竹本浩二の中でどのように整理されたかはわからない。


 会話には参加しないと決めたばかりだったが、少し気になって質問を繰り出す。

「そういえば今日中村さんと二人で来たけど、あれもたまたまだったのか?」


「ああ」朝野保彦は煙草を灰皿に押し込むと、少し笑った。「それはたまたまじゃない。この間の打ち合わせのとき、運転手が僕と彼女に決まっただろ? あの時梢ちゃん、ビュンビュン飛ばすぜとか言ってたけど、ほら今見ての通り、制限速度プラス五キロくらいがせいぜいで、ビュンビュンには程遠い。あの場ではああ言ったけど、解散後になって実はペーパードライバーなんだと打ち明けられてね。昨日と今日の朝、急遽練習として一緒にドライブに行ったんだよ。そのせいで早起きしたから、眠いんだ」


 なるほど。合点がいく。確かにずっと左側斜線だ。

 朝野保彦は前方に視線を飛ばしながら、新しい煙草に火を点ける。


「まあ梢ちゃんとはそういう感じなんだ。友達か、せいぜい妹とか。他人からはよく付き合ってるのかとか、付き合っちゃえよって言われるけど、そういう気にはなれないね。あくまでも友達」

 煙が顔に飛んでくるので、窓を開ける。そうしておいて俺も煙草に火を点けた。

「で、結局上田さんのことが好きなわけ? うまく濁された感じがあるけど」


「好きかどうかはわからないね。可愛いと思うし興味があるけど、それがすなわち好きってことなのかどうかは、考えたことも無い。逆に一に聞きたいけど、好きってなんだと思うの?」

「俺は」その議題ならばクリアしてある。「奈美のためならすべてを捨てても構わないと思っているよ。多分、これが好きってことなんだと思う」


「くせえな」後部座席から、藤本正樹の声がして驚いた。「一、それはくせえよ」

 そして、急激に恥ずかしくなってしまった。


「うるさいな。お前いつから起きてたんだよ」

「保彦が中村に告白されたらどうするか、というところから起きてたよ。そしたら一が糞恥ずかしいことを言ってるから思わず口を挟んじまった」

 くすくすと笑いながら貶されると、腹が立つものだ。


「大体、お前はどうなんだよ。桃子のこと好きなんだろ? 好きってなんだと思ってるんだよ」

「答える義理は無いな」

 あくび交じりである。


「そうやって逃げて」ヤクザの末端だろうがなんだろうが、今は関係ない。「弱虫め」

「ガキかよ」藤本正樹は銀縁眼鏡を外して笑いながら目元を拭った。今は機嫌がいいほうらしい。「悪い浩二、煙草一本くれ」

「なんだ、忘れたのか?」言いながら煙草を一本抜いてやる。「そんなに耐えられるほど持ってきてないぞ」

「ああいや、起き抜けはいつもメンソール吸ってるんだけど、そっちだけ忘れた」


 うやうやしく頂戴して、火を点けた。泊まったり泊めたりをしたこともある関係だがそんな話は聞いたことがないので、多分出すのが面倒だっただけだろう。正樹らしい。


 多少窓は開けているものの、ほとんど休みなく誰かしらは煙草を吹かしているため、すでに車内は煙で白んでいて酸素が薄く、眠くなるには十分だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る