3
コーヒーが届き、それぞれに差し出されるまで間を取った。
一口啜り、
「いやなに」藤本正樹を見やる。「実はさっき桃子とここに来たとき、七月の頭ごろ、三泊四日で軽井沢の別荘に来ないかと誘われたんだ。誘われたって言っても、当然俺と桃子の二人でってことじゃなくて、皆でどうかなって。どう?」
「軽井沢? 行く行く、行くに決まってるじゃん」
二つ返事は当然朝野保彦である。
思いのほか、藤本正樹よりも竹本浩二のほうが難色を示したように見えた。
「七月の頭に三泊四日って、平日も被るよな」
「まあそうなるね」
「そうだよなあ」煙草を咥えてすっかり考え込んでしまう。友達からの誘いにさえこんなに考えるのだから、普段、彼はどれだけの時間思考に耽っているのだろう。そのうち何パーセントが、彼にとっても無駄なのだろうか。「どうするかなあ」
「いや、強制参加ではないんだ」もちろん、来ることが大前提の藤本正樹を除けばの話である。「向こうの四人も全員参加するかはわからないし」
「いや、するでしょ。鷲見さんが居ないと始まらないし、神崎さんは一が来れば来るだろ? あとの二人もこう言っちゃ何だけど授業に熱心なわけでもなかろうし」
「授業なんて代返頼めばいいじゃん。僕が誰かに四人分学生証渡して頼んでおいてあげるよ」
「いや、代返を頼むあてくらいはあるけど、テスト直前に暢気に羽を伸ばすのもいかがなものかなと思って。それこそ俺たちもう三年だぜ? ここで単位の一つでも落としたら後々大変になる」
「まあ、それも確かにそうかもね」俺が言うと、
「じゃあ来なきゃいいよ」朝野保彦はため息混じりに言いながら、前のめりになっていた姿勢を
「それはすごいわかるよ。ましてや俺なんて、大学出たら鷲見さんとの関わりなんてなくなると言ってもいいだろうし」それは遠まわしに、この八人から離脱すると言われているようで、なんだか妙な心地がした。当然、このような無為な大学生活も永遠ではない。何事もいつかは終わる。それに伴い交友関係が変わるのも当然だろう。「こんな言い草は失礼だけど、金持ちにあやかって軽井沢で避暑なんて、人生が何回巡ってもこれっきりの気もする。だから行きたいけど、俺はとりあえずこの人生をしばらく生きるわけだしなあ、学歴や職歴は大事なところなんだよなあ」
竹本浩二は長髪を弄りながら考える。
呆れがちに、朝野保彦は矛先を変えた。
「正樹は? 行くでしょ?」
「俺もどうするかな」ちらりと視線がこちらに向いたような気がする。「ここで話に乗るのはなんとなく癪だ。それに俺も暇じゃない」
大学にこそ普通に通っているが、時折実朝組の足となっているのも事実だ。彼が実際的にまだペットの地位なのかどうか、俺はもう関知しないところだが、継続して使っているあたりを考えれば向こうも満更でもないと思われる。むしろそれなりの信頼を貰っているのかもしれない。何をしているのかは知らないが。
「出来れば俺は皆で行きたいけど」大した押しにはならないだろうが、背中に触れてみる。「それこそ、皆でどこかに行くなんて最後になるかもしれないし」
「そうだよ、揃って行こうよ」少なからず朝野保彦の支えになる程度の効力はあったらしい。「一と二人で擬似ハーレムもいいけど、どうせなら皆で楽しもうって」言い草は下らないが。「正樹はどうかわかんないけど、それこそ軽井沢なんて何回も行けるもんじゃないよ。なあ、浩二。行こうよ」
「ううん。確かにそれはそうなんだけど……」
「煮え切らないなあ。浩二。人生は何回も巡らないんだ。今このチャンスをふいにしたらそれっきりなんだよ。今の人生が大事ならなおさら一回のチャンスを無駄にしちゃ駄目だと僕は思うけど」
「まあ、それもそうだな」どこか
「結局はそう言ってくれると思ってた」
「後は正樹だけだけど。どうするの? 僕たち三人が行っても正樹が居ないんじゃ、桃子ちゃん寂しいんじゃないかな」
余計なことを。
そう思わないでもなかったが、先ほどの二人のやり取りがあったから、仕方のないことだと諦める。ある程度の予測こそ出来るだろうが、確かにこの二人にその尺度はない。ないが、もしかすると朝野保彦はきちんと予測した上でこの話題に触れているのかもしれない。そうだとすればこれは安っぽいながらも挑発だろう。こんな露骨な挑発に憤怒すれば自分の価値も貶めかねない。プライドをおちょくっているのだ。
そして胡散臭い笑いを交えながら、
「まあ桃子ちゃんが寂しくならないように僕たちは全力を尽くしますがね」
「行かないとは言ってないだろ」言い終わらないうちに割り込む。「どうするかなと考えていただけだ」
多分、藤本正樹もこれが安い挑発であることくらいは悟っている。それで居て、あえて乗ってきたのだ。そのほうが自分が自然に参加できると知っている。喧嘩している相手の誘いに易々乗るよりは、仕方ないから参加しているという
朝野保彦がニヤニヤしながらこちらを見た。盤面を操作したことで、彼のサディズムもさぞかし満足したことだろう。
「まあ、結論は今週中に出してくれればいいよ。浩二もね。ちゃんと考えてからでいい。俺だって何がどうなるかわからないし」
「一が行かなくても僕は行くからね」
「ご自由に。俺が集計して桃子に連絡するから、ちゃんと決めたら連絡くれ。俺からは以上」
「軽井沢自体も楽しみだけど、要するに僕たちが泊まるのは鷲見連太郎の別荘ってことだよね? 大きそうだな。何でもありそう」
ニヤニヤ顔を崩さないままに朝野保彦が呟いたので、
「ああ、忘れてた。この話、鷲見連太郎には秘密で行われているから、くれぐれも口外しないように。誰かがネットに書けばそれだけでご破算になる可能性が出てくる。何がどう繋がるかわからない世の中だから細心の注意を払ってくれ」
釘を刺しておく。
「秘密。いいね。そそられる言葉だ」刺されたことにすら気づかないのか、能天気は能天気らしく能天気なことを言う。「秘密というのはまさしく蜜だね。どうしてかわかる?」
そして途端に話題が変更される。一応一区切りは付いていたから特に咎める気にもならなかったが、いつもどおり、朝野保彦はフットワークが軽い。
「さあね。興味ない」
「つれないなあ一は。要するにさ、秘密を握っているというのは他人よりも優位な位置にいるということだ。その秘密の使いようによっては場を支配することなんて容易い。人間社会は結局情報戦だからね。筋肉自慢が必ずしも上位に立てるわけじゃない。当たり前だけどそういう筋肉を使う頭が重要なんだ。秘密は、その頭をより強化する、甘い蜜なんだよ」
情報が大事というようなことは喫煙云々で考えていたことだが、改めて他人の口から言われると少々むず痒い。
「なんだよ、お前も小難しい話するじゃないか」口を挟んだのは竹本浩二である。「ただ強いて言うなら、いくら秘密を持っていても筋肉が腐ってたら意味がないと思うな。判断する頭と、それをしっかり行動に移せる身体が重要なんだと俺は思うけど。味覚のない身体で蜜を舐めても無駄。どちらもないがしろには出来ない」
「本当に、浩二は何か言わないと気が済まないよね」朝野保彦は煙草を深く吸った。「そこまでの話はしてないの。ともかく秘密って甘美な響きだねって、僕が言いたいのはそれだけだよ」
秘密。
現状俺の持っているカードは、いくつあるだろうか。
それを使う頭と身体の調子はどうだろう。
「俺、今日はもう帰るわ」
藤本正樹は急に立ち上がると、自分のコーヒー代を置いてさっさと店外へ去った。
それをきっかけに場が白け、その日は自然と解散の流れになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます