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「最近桃子とはどうなの?」

 しかし結局俺という人間はいざというときに臆病に出来ている。いきなり核心を突くような愚直な真似は出来ないのだ。

「さっき桃子と会ってきたんだろうが」


「ああ、まあ、一応ね」しかし藤本正樹という人間はスパーリングにおける軽いジャブも許してはくれないらしい。こちらの婉曲な物言いも彼の前では無価値である。ならば仕方あるまい。ため息混じりに、「喧嘩してるんだって?」

「聞いてるじゃねえか。それで全てだよ。最近どうなの、なんて回りくどい言い方するなよ」


 仲の良し悪しは本人同士で決めるものだが、仲の良さそう悪そうというのはもちろん他人からの評価である。一方がこのような乱暴極まる口調で会話をしている場合、ベンチに座っている三人からすれば、なぜ二人は一緒に居るのかと疑問に思われても仕方のないことだろう。


 ただし、主観的には仲が良いわけだから、遠慮せずに懐へ飛び込んでいく。

 そして、ストレートを打つ。


「何で喧嘩なんかしたんだ。実朝さねとも組のこと、ばれたのか?」実朝組とはいかにも問題のヤクザの名前だ。「それで」

「うるせえな」


 渾身のパンチはするりと避けられ、ふと気付けば俺はリングにすら立っていなかったようだ。


 藤本正樹は煙草を放り、立ち上がって踏み潰すとどこかへ歩き去った。教室のほうでないことは確かだ。俺は彼の吸殻を灰皿に捨てなおすと、咥えていた煙草を深く吸い込み、同じようにして灰皿へ捨てる。ふわふわと煙を吐きながら一人で教室に戻った。


 教室は、この五分程度で半数ほどの人口になっていた。

 取っておいた席に戻ると、朝野保彦と竹本浩二も帰り支度をしている。

「どうした?」

 朝野保彦がこちらに気付いたので声を掛けると、

「詳しくはわかんないけど、なんだか教授の奥さんに不幸があったらしくて臨時休講だって。さっき事務員が来て説明していった」


「へえ」それでそもそも遅れていたのか。「大変だな」

「そういやあの人の奥さんって確か今妊娠中じゃなかったか? 無事だと良いな」竹本浩二がノート類をバッグに仕舞いながら呟く。「あれ、正樹は?」

「ああ」俺は藤本正樹の荷物を持って、「俺のせいで機嫌を損ねたらしい。失踪した」


「平常運転だなあ」朝野保彦が笑う。「正樹の機嫌なんて基本的に悪いじゃん。にこにこしているほうが気味悪い。どうせいつものとこでしょ。もう今日終わりだし、僕らも行こうよ」


 朝野保彦の言う「いつもの場所」というのは、先ほどまで鷲見桃子とコーヒーを飲んでいた喫茶店である。大学に近いこともあって、ここの在学生は用があろうがなかろうがよくそこでたむろしているが、俺たちも例外ではなかった。男四人で、大した話題もないのに頻繁に通っている。


 憶測通り、藤本正樹は喫煙席の奥を陣取って煙草を吹かしていた。人間の危機回避能力の発露といおうか、彼の周りに座るものはいない。ちらりと覗くとすでに灰皿には五本も吸殻が置かれているあたり、相当機嫌が悪いらしい。間断なく吸い続けたにしてもかなり早い。どれも根元まで吸っているというのだから、肺活量を疑う。


「ようよう」

 朝野保彦はそんなことは一切気にも留めないのか、生来の気安さで藤本正樹の横へ腰掛ける。俺がその正面を確保したため、必然的に竹本浩二が藤本正樹の正面に座った。座るが早いか、後続三人も煙草を吸い始める。口はいつだって寂しい。

「はい、荷物」手渡すと、藤本正樹は無言でそれを受け取る。「悪かったよ」

「ああ」ぶっきらぼうなのはいつものことだ。「別に」


「このたびはうちのはじめちゃんがご迷惑をおかけして」保護者を気取った後、けらけらと笑うと、朝野保彦はやってきたウエイトレスにコーヒーを三つ注文する。「わかってると思うけど、悪気はないんだ。許してやって」


「別に。怒ってねえよ」言動が不一致にもほどがある。貧乏ゆすりは地震かと勘違いしそうなくらいだ。怒っていないと言われても、テーブルも俺も、落ち着かない。「余計なことは聞かない、言わない。そうすれば怒らない」


「見猿、聞か猿、言わ猿みたいだね」朝野保彦のこの能天気さが羨ましい。「まあ付き合い長ければ余計なことも挟みたくなるもんだよ。人間関係なんて余計なことの連続でしょ」


 前にも言ったとおり藤本正樹とは一年の頃から知り合いだったが、ほかの二人はそうではない。竹本浩二は二年に上がってから、朝野保彦にいたっては今年の初めのことだから、最近知り合ったといっても言い過ぎではなかろう。二人と出会ったきっかけはともに喫煙所だったような気がするが、毎日のように一緒に居ると最初がどんな理由でいつごろだったかなど不鮮明になっていくものだ。ただなんにせよどこかしらで馬が合わなければこうして日々を過ごすこともない。

 つまりこれだけは確かだろう。こう見えて絶妙に、バランスがいいのだ。


「余計なことってなんだろうな」

 唐突に呟く。


 竹本浩二は見た目どおりというか、少々感覚にずれがある。その質問こそがまさしく余計なことだと反論しようとしたら、全く同じことを藤本正樹が言ってくれた。


「ああいや、正樹に関することじゃなくてさ。一般的に。余計なこと、の定義っていうのかな。何を持ってして余計とするのか」

 こんなことを考えているから、俺たちのほかに大学内に友達らしい友達が居ないのだ。

 朝野保彦は辟易した風で、

「そりゃ、本人が余計だと思えば余計でしょ」


「それって本人の中にしか存在しないものさしで計るってこと? だとしたら他人に対して余計なことを言うな聞くなって言うのは、土台無理な話じゃないか? 当人の気分次第、さじ加減にるんじゃあ、それを推し量ることは他人には到底出来ない。俺と関わるなって言っているようなもので」


「浩二は難しく考えすぎなんだよ」直感型の朝野保彦と熟考型の竹本浩二は対極に位置するといっても過言ではなかろう。だからいつも議論が平行線を辿る。「少なからず余計なことを言うなというだけの理由はどこかの会話にはあったはずなんだから、とりあえずそれを避ければいい話じゃん。その人の持つ余計なことがそれだけかどうかは知らないけど、これでひとつは回避できるわけでしょ」


「それは確かにそうだけど。例えば、申し訳ないけど正樹の話を持ち出すと、この場合、一は正樹に対して何かそれらしいことを言っていて、こうして釘を刺された。それは俺たちにはわからないけど、二人には通用するわけだ。じゃあ、俺たちがその余計なことを言わない保障は、どこにあるんだ? 正樹だって一だって、俺たちと関わりがあるわけだろ? 不意に俺たちが余計なことに触れてしまわないなんて言い切れない。正樹の中にものさしが、一の中にそのものさしで計った紙切れがあったとしても、俺たちには何もないんだから」


「もうわけわかんないな浩二は」そうして投げ出す。「つまり何? 正樹に対してその余計なことを僕たちにも教えてよって言ってるわけ? それが余計なんだよ」

「いや、今のは正樹のことを議題にしたのが悪かったな。そうじゃなくて、最初に言ったように一般的に、余計なことというものの尺度は本人の中、そして心当たりのある者の中にしか存在しないわけだろ? 第三者にとってそれはどうやって定義すればいいんだ?」

「もうどうでも良いよ。もっと楽しい話しようよ」


 この二人も、一見すればいかにも仲が悪そうだが、意外にもそうではない。少なからず数ヶ月はともに行動をする程度の、気安い関係である。というのも、これは俺と神崎奈美の関係にも通ずるところがあるが、この二人は議論を戦わすこと自体を楽しんでいる節があるのだ。対極に居るからこそ得られるものもあると、そういう考えが双方にあるのだろう。それが茫漠とだがわかる。


 だから俺も藤本正樹も、目の前でどんな暴言が出てこようが、実際的に手が出ない限りは動じない。自分を議題にされても、眉ひとつ動かないのだ。


「楽しい話かはわからないけど」ただ、この話題に関してはその無関心とも言い換えられる寛容さを持っていてくれるかどうかわからない。「ひとつ皆に言っておきたいことがある。言っておきたい、というと少し違うかもしれないけど」

「お、何々」

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