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彼は大きく吸い込んだ煙とともに、
「ニュースを見てるとさ」一言漏らしたが、こちらは突然の話題の転換に困惑し、彼の指に見とれていたこともありうっかり灰を落としそうにさえなった。「第一報は大々的に報道されたにも関わらず、続報が出ない事件ってあるだろ」
「今度は何の話? 質問の答えになるの?」
灰皿に落とす。真似をしているみたいに、鈴木一も続いた。
「まあ聞いて。今回の事件も、そうなんだよ」
「そうって?」
「つまり、
「
「そう。だから、余りセンセーショナルに報道できなかった。鷲見連太郎はいまや時の人と言って良いくらい引っ張りだこな人物だからね。殺人なんてマイナスイメージは出来れば付けたくない」
「つまりどういうことになるの」情けないことに先ほどから聞いてばかりである。同じ台詞を繰り返していると本当に馬鹿に思われそうだ。そうなってしまったらわざわざ連絡をくれた彼に申し訳ないと、思わないでもない。もちろん僕が悪いわけではないのだが。「それが今の話と何の関係があるっていうの?」
でもどうやら、無駄な
「
「
「余計なお世話ですねえ」心外この上ない。僕だってそれなりに頑張って生きているというのに。煙を飛ばしてやる。「つまり警察は諸々の事情から早々に捜査から手を引いたってことなわけだね。だから僕たちに、彼らに代わって捜査してって、そういう話になるわけでしょ?」
「大筋はそうなんだが、細かい訂正をすると警察は手を引いたというか、今回のことに関しては最初から余り熱心じゃなかったんだ」
意外な文言であった。
「どうして」
「諸々の事情と言ったけど、実際はひとつだけ。鷲見連太郎は警察のお偉いさんともパイプが繋がっているらしいんだよ」
「そうしたら逆に熱心になるものじゃないの?」そう思うのは僕が短絡的な怠け者だからだろうか。「お偉いさんのお友達なんだったらさ」
「思考の手順が逆なんだよ。そもそも意識しなければ人間と人間はお友達になんてならないわけだ。その中で鷲見連太郎はなぜ旧来の仲でもない警察のお偉いさんとお友達になったのかってことを考えてみて」実際に考えさせる間なのか、鈴木一は緩慢に煙草を吸う。
「なるほどね」コーラを飲み込む。「鷲見連太郎は慌てて、何人も立ち入るべからずと言ってきたわけだ」
「そう。お宅で事件があったらしいですよ、今こんな状況ですよという話が持ち主のところまで届いたとき、俺ら当事者の話から一応の犯人も出ているし、それが死んだとなったからにはこちらは満足だからもうこれ以上事件もとい、現場である別邸を引っ掻き回す必要はないと、そういう申し出がすぐさま鷲見連太郎からお偉いさんに向けてあったらしい。だから警察はほとんど現場検証らしいこともせず、まあお偉いさんがそう言うのならと、疑問や不満はあったかもしれないがともかく大人しく身を引いたし、警察が何もしないというのなら当然報道もこれ以上されることはない。第一報だって、浅間山を中継していた一団が帰り際たまたまその別荘の近くを通ったから行われたもので、その後すぐに警察から規制が入った」
ふうん。と一声漏らすと、
「鷲見連太郎、結構好きだったのにな」巴里子は呟いた。「仮にも自分の娘が死んでるって言うのに何かしらの隠蔽のために事件自体にふたをしちゃうなんて」
「俺は実際に会ったことがないからなんとも言えないけど、話を聞く限りは親子間の仲は余り良くなかったらしいね。仲が良くなかったというか、金だけ与えて後は放任というのが基本だったらしい。愛情がなかったんじゃないかな」鈴木一は一瞬悲しそうな顔を見せ、「多分何事にも愛情がないんだよ彼は。俺たちが泊まった別荘なんて、適当ここに極めたりといったようながさつなデザインだった。金を使いたかっただけなんじゃないかと思っちゃったよ。もしかしたら娘に対しても、金が出来たし作るかといった程度の思考しか持っていなかったのかもね。だから隠蔽を優先した、というか出来たんだろう。つまり自分の身のほうが可愛かった」
仰々しくため息を吐く。
何が彼をこんなに寂しそうにするのだろうか。
そういう当てのない思考は、怠け者の僕には余り向いていない。体内の悪いものを吐き出すように最後の一口を深く吸い込んでから煙草を灰皿に押し付け、すぐに新しい煙草に火を点ける。考え事をしていれば様になるのだろうが、僕の場合はむしろ思考停止状態においてこそチェインスモーキングが癖になってしまっていていけない。
「それで」思考回復のため、脱線した話を戻そうと試みる。「僕たちは何を推理すればいいの?」
「巴さんと首藤くんがこけし村の事件に関わっていたのは俺でも知ってる」この「こけし村の事件」といういかにもふざけた文言が僕たちの持つ「特殊な事情」である。「軽井沢の事件」と比べてみるまでもなく、人の口から発せられるとこれでもかというくらいに
「いやだからそれは」もう終わった話じゃないか、と続けようとしたが遮られる。
「警察はもう当てにならない。被害者の実の親である鷲見連太郎からの圧力もあって、被疑者死亡としてこの件からは完全に身を引いてる。でもその被疑者というのはそもそも、さっきも言った通りそこにいた俺たち当事者の意見を採用しただけの結果に他ならない。証拠もなにも、捜査していないんだからないといっても言いすぎじゃない。当事者ではない第三者、この場合君たちが事件の顛末を聞いたときに別の結論に至る可能性も、もしかしたらあるのではないかと思いもするんだ。当然、いてほしいと願っているわけじゃない。いなければいないで良い。ただ真犯人がいたのなら、それを知りたいと、そう思うだけで」
「言いたいことは分からなくはないけど、警察だって第三者には違いないのでは。どういう手順があったのかは知らないけど、さっきの話を聞いた感じ鷲見連太郎がすぐさま圧力をかけたとは思えないから、事件に対し初対面の時であれば僕たちと立場は何も変わらなかったと思うけど」
「そりゃあね、鷲見連太郎からの圧力は少なからず即効ではなかったよ。彼も千里眼を持っているわけでもないんだし、そのときは海外に居たから連絡の行き来なんかで若干のタイムラグは確かにあった。でも、それが首藤くんが思っているよりずっと短い誤差だった。何でかというと、警察内部において鷲見連太郎とお偉いさんの関係は周知だったからね。それは鷲見連太郎の知名度だとかといった要因かららしいんだけど。だからそもそも鷲見連太郎自身が手を下さずとも、初動捜査中に俺らの話なんかからそこが誰の別荘かわかった段階で、捜査員たちは手を止めたんだ。とりあえずお偉いさんに連絡を取って、後は指示待ちの
警察に知り合いが居るわけではないが、なんとも、気分の悪くなる言い様だ。
「随分
「日本の警察が本当に昔から優秀なら、稔は今ここにはいないと思うけど」
巴里子は心底楽しそうに言葉を挟んだ。先ほどまで驚くほどにつまらなさそうにしていたくせに、こうして僕を扱うときだけこんな顔をするのだから、なんとも
鈴木一が一瞬意外そうな顔をして、
「首藤くんって、犯罪者なの?」
深刻な口調で聞いてくる。
「いやいや僕の話はいいから」呆れてため息が漏れる。「里子は簡単にそのことを人に言うなよ」
「いや。鈴木くんならいいかなと思って」巴里子にもう笑みはなく、一瞬だけ鈴木一を見ると、すぐにこちらに向き直った。そこには何か含みがあるような気がしたが、そんなことを考えていると、「稔はぐちぐちと言ってるけど、私は話を聞いても良いよ」
話が進んでいく。
一方で、鈴木一には何も感ずるところはなかったらしく、
「本当? それは百人力というやつだな、助かるよ」
ほっとしたように息をつく。
「そうでしょうそうでしょう。稔はともかく、私は鈴木くんにとって役に立つと思うよ。きっとね」
妙に訳知り顔をする巴里子に辟易としながら、
「じゃあ役に立たない首藤くんは放って、二人で場所を移してやってくださいな。僕だって特別に暇人というわけではないし」
「駄目よ」意外にも、即座に口を挟んだのは巴里子のほうだった。「稔はいないと駄目。ねえ、鈴木くん。そうでしょ?」
鈴木一のほうは、この巴里子の言い草に少々面食らったように、一瞬呆けた。
「え? ああ」少々考えるような間がある。ということは本当に彼は僕の存在自体はどちらでも良かったのではなかろうか。巴里子への繋がりがほしかっただけで。などと勘ぐっていると、「うん、そうだね。いたほうがいい。首藤くん、無理を言っているのはわかるけど、頼むよ。俺は真犯人が知りたい。首藤くんの答えがもし納得のいくものだったら、何でもする」
「それってつまり、納得しなければどんなに知恵を絞ったものでも無意味ってことになりはしないかな。怠け者の僕にとっては、時間の無駄だと思うけど」
「稔はひねくれ過ぎなのよ。もっと素直にさ、友達が助けてっていってるんだから助けてあげれば良いのに」意味深長な間を持って、僕の煙草を奪うと一口吸い込む。
「鈴木くん。もし私の回答に満足いったら、私のことをパリ子と呼んでね」
鈴木一は一瞬ぽかんと巴里子に視線をやったが、すぐに頷いた。「
前にも言ったが、こんなことを申し出る巴里子は、当然変人である。
変人の思惑など、凡人には到底知れない。
ともかく、彼らは僕の意見など丸っきり無視して、なんなら缶コーラをお代わりするくらい、どっしりと
いい迷惑というやつもここまでの程度になると従うしかないのかもしれない。ああ、つまりこうなってしまったからには嫌でも話を聞くしかないのだろう。と、諦めてしまうところが僕の悪い癖だ。なおかつすんなり諦められてしまうのがよくないとはわかっているのだが、このあたりは巴里子との長い付き合いですっかり板についてしまった。凡人が変人と行動をともにするには、広い許容範囲と、保護者のような慈愛がないといけない。すっかり彼女のペースだ。
しょうがないな。
僕のため息など聞こえなかったかのように、鈴木一は、それじゃあどこから話そうかと、ひとつ前置きをしてから、時を逆行する。
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