——の必要

枕木きのこ

プロローグ

1

 鈴木はじめが僕の部屋を訪れたのは、これが初めてのことだった。


 彼とは大学が同じで共通の友人がいるために時折顔を合わせ話をすることがあったが、その仲介役の友人が居なければすれ違っても気付かないであろう間柄、つまり家に上げるほどの仲になど、決して至っていなかった。だが彼が、直接番号を教えあったわけでもないのに携帯電話へ連絡を寄越してきたところを見る限り、大げさに言えばきっと僕でなければならない何かしらの事情があって、それは大学構内や洒落た喫茶店などではなくて、多少汚くて狭かろうが孤立した空間で話したいような内容であるとも推察できる。そうなのだとすれば、彼の気持ちをおもんばかれる程度の余裕は僕にもあった。だからこうして招き入れたわけである。


 それでは一体、わざわざ僕を選ばなければならないような相談内容というものはどういったものなのだろうかと、一応考えもした。僕と鈴木一とは今言ったように深い間柄ではない。だが、だからこそもしや恋愛話なのではと、大学生らしい思考も働いた。とはいえそもそも、男同士向かい合い腹を割って何かについて語るというのは、他人から見ればかもしれないが当人からすれば決してになるようなことではないから、その議題なんてものはおまけにしか過ぎず、本当はどうでも良かった。なぜかは知らないが僕を選んでくれたのだという、ちょっとした優越感に浸れもする。


 そう、だから、別に親しくもない人間のために時間をき、家に上げてやったこと自体にこれと言った不服はない。それだけならば僕もにこにこと彼と対面できたと思う。


 ただ、面会に際し鈴木一が提示した条件の一つとして、ともえ里子さとこにも同席してほしい、というものがあった。何かといえば、僕にはそれが気に食わなかった。


 重要なことなのであらかじめ書いておくと、巴里子と僕は恋人などという甘ったれた関係ではない。一般的な友人として大学構内で行動をともにしたり家に招くこともあるにはあったが、例えば身体の関係であるとか、周囲に隠しておかなければならない秘密があったりと、そういったところにまで手を出した間柄ではない。ちょうど一年ほど前、大学二年の今頃までは、健全な大学生らしく、それこそ毎日のように彼女やそのほかの親しい友人たちの顔を眺めつつこの部屋で酒を飲んで様々なことを語り合ったものである。


 巴里子と僕は、去年までは「親友」と語って恥のない関係だった。

 までは、ということは、当然今はそうではない。


 去年の夏にあった事件に関して詳細に語るのはその複雑怪奇さにより長々としてしまうため、ここでは至極簡潔に済ませておく。それは僕の母方の実家がある静岡の小さな村での殺人事件で、帰省に訪れた僕や付き添いの友人たちを多分に巻き込んだものであった。結果として僕とこの巴里子により解決へと導いたが、そのせいか、報道各社により世間的に僕たちは所謂いわゆる「時の人」というやつになってしまった、というのが概要だろうか。


 そうした世間的注目過多のせいばかりではないが、ともかくその一件以来、僕と巴里子はそれまでに積み上げた事実が嘘だったかのように丸っきり疎遠になった。もともと僕たちが名の知れた人物であったなどと言うことはないが、一時の賑わいのせいで関係の希薄化は広い大学内でもいまや周知の話となっている。


 その大げさに言うところの「因縁の二人」を引き合わせるということは、当人、少なからず僕の側からすれば、余り歓迎できたものではない。多少なりとも、彼女と疎遠になった背景に意図的なものがあったことも、ここで認めておく。嫌いになったのとは違うが、近づきたいとも思っていなかった。


 一年ぶりの癖に「勝手知ったる他人の家」というやつで、鈴木一とともに部屋に訪れた巴里子は当たり前のように冷蔵庫を開けると僕の好みにより常備されている缶コーラを三つ取り出し、それぞれに手渡した。鈴木一がやや戸惑ったように会釈をする。それはもちろん、ここが僕の家だからだろう。当たり前にそんな行動を取られた僕の顔は、彼らには今どんな風に映るだろうか。多分、不服と驚きが入り混じって微妙な表情になっていることだろう。それくらい彼女の行動は僕にとって違和の塊だった。


 さして珍しくもなかろうに、目の前で缶コーラをいじっている鈴木一もまた、特殊な事情によって世間および校内で有名な人物であった。特殊な事情を持つ人間すなわち鈴木一が、特殊な事情を持つ人間すなわち僕と巴里子を呼び集めて話をしようというのだから、きっと議題はどちらかの背負っている特殊な事情に関してなのだろう。第一報でこそ恋愛話かな、などと浮かれていた僕にだって、「巴里子にも同席してほしい」と言われればそれくらいのことは理解できる。それがまた、どこか気に食わない要因の一つでもある。どちらの身の上話をするにせよ、僕一人では事足りないと判断されたということなのだろうから。


 もしかしたら、共通の友人を通し、そして僕を通し、鈴木一は巴里子と出会いたかったのかもしれない。そんな考えが浮かんだとして、誰が僕を責められようか。

 全く潤わないだろうに、いっそと思ったのかコーラをぐびぐびと流し込んで、彼は控えめにこちらを見て、第一声を発する。


「巴さんも首藤しゅとうくんも、なんとなく予想はしていると思うけど。今日二人にわざわざ集まってもらったのは、ひと月前の軽井沢での事件のことに関して話したいからなんだ」


 そのものずばりである。

 僕たちを一年ぶりに引き合わせたこの場でもし鈴木一が照れながら「好きな女が出来たんだ」などと言い出したのならば、今の僕は迷うことなく彼を追い出していたことだろう。


 ちらりと巴里子のほうをうかがうと、こくりとひとつ頷いた。変人として、僕や一部の限られた人間以外に友達を持たない巴里子にしても、その事件のことは承知するところらしい。鈴木一の「特殊な事情」はその域にあるものだ。

 鈴木一は僕と巴里子のアイコンタクトに気付いたのかどうか、すっと息を呑むと話を続ける。


「俺のこと、変なやつだと思うかもしれない。でもべらべらと無駄話をするつもりもないから単刀直入に用件を言うよ。俺は、その事件に関して、君たち二人に推理してもらいたいんだ」


「推理?」それは僕の想像の範疇はんちゅうを逸脱した単語だった。日常会話に出てくるものとは思えない。僕はてっきり、僕自身にも心当たりのある、事件前後の苦労話でも聞かされるのかと思っていた。なぜなら、「あの事件はもう解決してるんでしょ? ニュースで見たよ。それを推理してくれって、どういうこと?」


 鈴木一は俯き、緩く首を振った。実際に意味や意図があったのかどうかはわからないが、「わかってないな」と言っているような、どこか馬鹿にされたような気分になるのは、きっと僕の性格のせいだろう。


「世間的に見ればもうすっかり解決したことになっている。でも当事者からすると、あの事件が真に解決しているのかどうか、わからないんだ」

「解決しているのかわからない?」オウム返しは馬鹿の所業、というのが僕の自論である。「どういうこと、それ。警察の公式発表として、犯人は――」


「そう。一応、被疑者死亡として事件は終わっている」

「じゃあ何を今更?」言葉を遮られ、さぞかし不服が滲んだことだろう。「わざわざ掘り返す必要が何かあるの?」


「確かに事件は終わった。でもさっき言ったとおり、それで真に解決したと言えるのかどうか。俺にはその顛末てんまつが本当に正しいことだったのか、わからないんだよ。掘り返す理由に、それだけでは足りないかな」

「でもそういう風に発表されている以上、警察が正しいとしたってことでしょ?」鈴木一の真意がわからない。「何か不満があるってこと?」


「不満、というと違うかもしれない。疑問というのが正しいのかな。現状は、警察が俺たち当事者の意見を真っ向から信じてくれたからこういう結果になっていると、ただそれだけに過ぎないんだよ。捜査らしい捜査はしていないんだ」


「ちょっと待って、それってつまり、どういうこと?」

 なんとも煮え切らない、回りくどい言い方をする男だなと思いつつ、煙草に火を点ける。するとまるでドラマに出てくる熟年夫婦みたいに、当たり前の顔をしてすっと灰皿を差し出してくるのだから、巴里子との付き合いが長いことを嫌でも実感する。大体、僕でもたまに見失う灰皿の位置にすぐ思い当たるなんて、一体どういうことなのだろうか。一年前と同じところにしまっておいたつもりもないのに。ここが誰の家だかわからなくなりそうだ。


 モクモクと煙を吐いていると、鈴木一が一言断って煙草に火を点ける。女性のように細く、指輪などの装飾もない、綺麗な指だった。


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