2話
「サリナ、いつもありがとう。貴女には本当に助かっています」
「いえ……私はただ職務をこなしていているだけですので」
「謙遜はよくないわ、貴女はいずれ白薔薇を戴くだろうと噂されているのよ」
うえっと顔を歪めてしまいそうになるのを我慢して、サリナは愛想笑いを浮かべる。そんな荒れ狂う胸中を知らずサリナを褒めるのは、アリエスという現在の女官長。
ふわりとした亜麻色の髪をし、穏やかな翡翠色の瞳をした美しい女性だ。
サリナの少し上で、まだ若いのに白薔薇を戴き女官長となった若き秀才。貴族のお嬢様ではあるのだが穏やかさの中に凛とした強さがあって、身分で人を虐げたりもしない。
だからこそ平民だろうと貴族だろうと公平に仕事ぶりを判断することで、多数の人々から信頼を集めているサリナの憧れだ。
そんなアリエスに褒められるのは嬉しいが、白薔薇だけは絶対にもらいたくない。
給金と待遇と将来を考えて赤薔薇を得たものの、実際それも相当の覚悟だったのだ。赤薔薇を諦めていればここまで周りに巻き込まれなかったかもしれないと思う。ギリギリのラインでの選択だったのだ。
だからこそ、これ以上はアウトだ。それでなくてもモブでいたいのにサブのサブキャラみたいな扱いになりつつある。これで白薔薇なんか貰ってしまったら、絶対に王妃候補であるミラ付きの女官にされかねない。それでなくても一度エルルからの専属侍女にしたいという申し出も断っているのだ。
(心の平穏と給金、どちらも得られないのは日本と変わらないなんて世知辛い……)
「では各使用人部屋に来週の予定表を配っておくようお願いしますね」
「はい、それでは失礼します」
一例をして女官長室を出て、各部屋に紙を配りながら簡単に今日の予定を伝えて朝一番の仕事を終える。そこからはもう怒涛だ。
優雅に来客を迎える仕事をする子もいるが、サリナはどちらかといえば女官長補佐のひとつ下なので統括の見習いもしている。厨房、庭、清掃、そして各薔薇のメイドたちの動きをみながら職務をこなさねばならないのだ。正直とても大変だが補佐になるためには仕方がないこと。将来独り身でも衣食住に困らない快適な老後が過ごせるように、安定した立場と収入を得なければならない。
(絶対に絶対に、老後は穏やかに暮らすんだ。早々に引退して、静かな森の奥に別荘をたててたくさんの小説を買って引きこもるんだ……今度はもう普通の冒険ファンタジーでいい、ロマンスはいらない……!)
そんなふうにいずれ来るだろう平穏な未来に決意を新たにしていると、ふと通りかかった回廊の先に見知った顔を見つけ、思わず顔を顰めそうになる。
(で、殿下……!)
透けるような金色の髪、青空の色の瞳。どんなに美しい絵画すら見劣りするような絶対的に素晴らしい顔面。そのすべてを持ったこの国の王子センデルがそこにいた。
しまった。この離宮に近い場所にいるなど滅多にないことで、失念していた。
こちらに気付く前に立ち止まり、通路の端に寄って頭を下げる。基本的に王族の人間とは相手が許すと言うまで視線を合わせてはいけない決まりだ。
近づく足音に緊張してしまうが、動揺を絶対に表には出していけない。目を閉じたまま見送ろうとしたのだが、何故か足音がサリナの目の前で止まってしまう。
「貴女は――もしかして、サリナという女官だろうか」
嗚呼、逃げたい。このまま勢いよくダッシュして立ち去ってしまいたい。
声をかけられた喜びなど全く無く、サリナは冷や汗を流しながらも平静であろうと必死につとめた。
「はい。階級は赤薔薇を戴いております。サリナ・ユキヒラと申します」
「どうか顔を、ミラが慕っている女官の顔を私も覚えておきたい」
覚えてくれるなそのまま忘れさってくれ。そんなこと絶対に言えない。内心で泣き叫びながらサリナは顔を上げる。
表情筋を引き締め、媚びを売る笑顔にも不遜な無表情にも見えない絶妙な顔になるようになんとか顔面を引き締める。センデルはそんなサリナにふわりと微笑み頷いた。
「なるほど、アリエスが今回の補佐候補はとても利発で優秀だと褒めていたが納得だ。とても意思の強い眼をしている」
「……勿体なきお言葉でございます」
「それに、ミラと同じ髪の色だ。故郷を想う彼女の慰めにもなってくれているのだろう、私からも礼を言わせてほしい」
「そのような……私はただ、ミラ様のお話に耳を傾けているだけでございますので……」
謙遜はしなくてもいいと穏やかに言われても、胃はもうキリキリだ。従者や貴族たちの目が痛い。商家といえ平民出のサリナにまだよくない視線をぶつけてくる貴族はたまにいる。そんな彼らに隙を与えてはいけないと、顔も含めて全身に力が入った。
早く、どうか早く立ち去ってくれ……!
そう願うサリナの前に現れたのは――今一番会いたくない男だった。
「やあセンデル! 聖女に会いにいくのかい?」
ゲッと声を出さなかった自分をとてもとても褒めたい。
回廊の反対側から足取り軽くやってきたのはよりにもよってソロガであった。
一国の王子になんと気安いのかと咎めたくなるも、それはとっくに彼に許されていることで。
「ああソロガ、今日も君は楽しそうだな」
「勿論、今日もこの愉快で美しい世界を愉しんでいるとも」
いちいち言い回しがクサい男である。笑顔の裏でそんなことを考えるサリナに視線を向け、ソロガはにんまりと笑った。嫌な予感がする、と思わず一歩引いた時にはもう既に遅かった。
「探したよ愛しい人、今日は午後からは非番だろう? 僕と一緒に城下へと出かけないか?」
何言ってるんだこいつは、と目をカッと見開いてソロガを凝視するが彼は美しい顔に笑みを浮かべてこちらを見るばかりだ。これは恐らくサリナの反応を待っているのだろう。ちらりと横目でセンデルの方を見ると、彼は何故か目をキラキラとさせており、サリナにふわりと花咲くような笑みを向けた。
それはまさしく、『自分のことは気にせず、恋人の誘いに返答して構わない』という顔だった。苦虫を噛み潰したような顔になるサリナにセンデルは更に後押しするように首をゆるく横に振る。
(違う、違うのです殿下! 無礼だとは思いますがそういう遠慮じゃないんです!)
耐えきれず口許を抑えて震え始めたソロガの脛を思いっきり蹴飛ばしたいのを耐えて、サリナは全ての神経を顔に集中させる勢いで精一杯の笑顔を作った。
「ソロガ様、誤解されてしまいますよ。御戯れもそこまでに」
「おや、女官殿はつれないな。僕の想いはまだ届いてないらしい」
何を心ないことを言っているのだろうか。やんわりと、しかし確実に『ソロガの悪ふざけ』ということを強調したのだが間違えたかもしれない。
「……成程、ソロガの片想いなのか。君のような男でも、届かぬ花に恋い焦がれることがあるんだな」
そうだ、この王子は実は天然の気があったのだった。
純真で優しいミラとお似合いだが、そこが逆にたちが悪い。まるで恋物語を見るような期待に満ちた表情でこちらを見てくる金髪碧眼の王子様の姿に顔を覆いたくなるのを耐え、サリナは小さくため息を吐くと自分の意地よりもこの状況から抜け出すことを選択した。今回ばかりはソロガに白旗を振ろうと。
「……殿下の誤解は別として、私も気晴らしは考えておりました。正午から夕方の間までなら空いておりますので、是非『友人』として一緒に行きましょう」
「ありがとう、君が食事を終えたころに迎えに行くよ」
「……タノシミニシテオリマス」
「おめでとう、ソロガ」
「ありがとう、センデル!」
ああ、苛々してつい片言になってしまう。ソロガは嬉しそうに……というより面白そうに笑っているし、センデルに至ってはミラかエルルに教えられたのか親指を上に立たせグッジョブとソロガを称えている。
礼をして足早にその場を後にするサリナは、ソロガへの謎の敗北感と王子に顔を覚えられてしまったことで頭がいっぱいで、少しだけ警戒を解いてしまっていた。
だから、気付かなかった。
この時センデルの横にいた貴族の一人が、サリナの方をじっと見つめていたことに。
***
「……またか」
地を這うような低い声が己から漏れる。サリナはがっくりと肩を落とし、ぐるりと辺りを見回した。そこは城下町でも自分の部屋でもなく――恐らくどこぞの屋敷の地下牢だ。鉄格子は恐らく魔法がかけられており、考え無しに触れたら電撃が流れるだろう。両手は鉄の枷を嵌められており、これもきっと魔力がこめられた魔法具だ。
「今度はなんだろう……多分ミラ様関係かな……」
思わず独り言が出てしまう。これではソロガとデートした方が百倍マシだった。
メイド服から普段着……より少しだけ良い布地を使った外出用の服に身を包み、いつもきちんと結っている髪をほどいてリボンまでつけたのにあんまりだ。
自室を出てからの記憶がないので、その時に魔力で眠らされて拉致られたのだろう。薬なら体調に変化があるはずだ。
しかしサリナたちの自室は城内にある。そして女官の暮らす場所に立ち入られるのはごく一部だ。つまりこれは――恐らく権力がある貴族の犯行だろう。
こんなことはぶっちゃけると初めてじゃない。数度経験があるし、今回はミラが一緒じゃないだけいいだろう。ミラとこんな目に遭うと必ず助けに来たセンデルと彼女のいちゃこらを至近距離で見る羽目になる。
そう、実はそういう出来事でもうサリナはセンデルと数度顔を合わせているのだが当人はミラしか見えてないので今回がまともな初対面だと思っているらしい。
別にそれは構わないのだが、もしや今回の発端は先ほどの会話が原因だろうか。
(命はとられないだろうけど、私に魔力はほぼ無いし……どう逃げよう)
冷静に考えられても命の危機への恐怖は消えないものだ。何度浚われようと、客観的に物事を考えられようと、怖いものは怖い。でも震えて何もしないより、恐怖に耐えてどうこの現状を打破するか考えた方が百倍良いだろう。
震えながらも顔を上げ、ぐっと拳を握る。
その時、コツンコツンと階段を降りてくる音が聞こえて顔を上げた。仮面をつけた兵士に連れられてやってきたのは一人の男だった。
サリナと同じ手枷に鎖をつけられ、時折ひっぱられながら降りてくる。銀色の髪に紫苑の瞳をした男の姿に――サリナは目を丸くして口を開けた。
「入れ、いくら魔術師といえどこの魔封じの枷は外せないだろう。あの方が来るまでそこの女と大人しくしているのだな」
どこか頭の悪さが感じられる態度の兵士は、そう言って男をサリナがいる牢屋に入らせると不用心にも階段を上がっていってしまう。
まあそうだろう、魔封じの枷という名前の通りこの枷は普通の魔力では壊せない。
そう、『普通』の魔力では。
「やあ、怪我はないかい?」
足音が消えたと同時に男の手首に嵌められた手枷は一瞬で砂のように消えてしまう。そして指をぱちんと鳴らすと、サリナの手枷も同じように砂になってしまった。
「さてさて、これからどうする? 僕としては囚われのお姫様気分を君と味わいたいんだけど」
にっこにっこと笑顔を浮かべて両手を握ってこようとする男の手の甲を全力で抓って――サリナはさっきよりもドス低い声で問いかけた。
「……何してるんですか、ソロガ様」
それでも返ってくるのは腹が立つほど美しい微笑みだけだったが、いつの間にかサリナの体の震えは止まっていた。
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