一章 聖女様、ご加護はご遠慮します。
1話
平凡と言っても一人の人間としての生い立ちはそれなりにある。
サリナは異国――多分日本のような和の国で生まれた。しかしその国の記憶は無い。
物心ついた時にはこの国で暮らしていたからだ。
身分は平民であるがサリナの実家は商家だ。父も母も商人としての才能を持っていて、大勝負としてこのセントリスティアへやってきたという。
大勝利というわけではないようだがそれなりに成功したようで、ユキヒラ家は異国の民とはいえ人々の生活を支える商人の一族として聖都では名が知れている方だ。
だからといって生活は普通の平民とほぼ同じで、金銭感覚が狂ってはいけないと他より少し裕福でもあくまで平均的な一般市民としての暮らしをするようにしつけられてきた。
そのおかげかサリナはお嬢様と呼ばれてもおかしくない立ち位置でありながらも驕ることもなく真摯に人と接することを学び、周りと仲良くやってこれた。
頭も器量も平凡だが、立ち回りは上手かったので平民ながらも貴族の令嬢が見習いで勤めることが多い王宮女官にも高い評価を得て採用され、努力を続けた。
そして、今年の春に高位の女官に与えられる【赤薔薇】という階級を得ることができた。
上から白薔薇、赤薔薇、青薔薇、黄薔薇、黒薔薇の四段階でサリナは上から二番目だ。そこまでいくと先ほどのような自由時間も貰えるし、城内で歩き回れる範囲も増える。
しかしそのような自由はあまり嬉しくはなかった。サリナは城内を歩き回って貴族の目に留まる期待などすっかり捨て去ってしまっているし、それ以前自分のやりたいことのためなら自由時間は不要だった。
(……たとえ将来独り身で終わろうと生活に困らないために、今からやれることをやらなければ!)
そう、時間は無限ではない有限だ。ロマンスなど潔く水に流してしまった自分にとって、今大切なのは女官としてどれだけ上に登れるかだ。
しかし女官長クラスの白薔薇は、女官長に抜擢されるか、王妃やそれに近しい王族の専属にならないと与えられない。ロマンスカップルたちの騒動に巻き込まれたくない以上、サリナのこの赤薔薇の位が最上なのだ。ならば目指すのは、女官長補佐だろう。女官長は貴族では無いと許されないのだが、補佐は身分を問われない。
業務補佐ではなく、常に女官長とあらゆる業務をこなす片腕の位置でほとんどの女官はその位置に憧れている。
サリナが目指す理由は、単にお給金がとんでもなく良いからという酷く不純なものだけれど。
そのためには女官として人知らず場内を観察し、人間関係を把握し、円滑に動けるように己を磨かなければいけない。貴族のマナー、しきたりを今まで以上に頭に叩き込む必要があり、勉学に励むことが大切だ。
それなのに……それなのに!!
「……ミラ様、此処は私の部屋なのですが」
「ご、ごめんなさいサリナさん!でもあの……殿下と顔が、合わせづらくて……」
今月で三度目ですよという心の声を飲み込んで、サリナは温めたティーカップに紅茶を注ぐと用意していたスコーンと共に来客の少女の前に並べた。
懐かしい黒い髪とチョコブラウンの目の色をした彼女こそ、この国の宝である聖女様だ。あらゆる浄化スキルを持ち、レベルも最高で、細い体のどこに秘めているかわからない強大な祈りの力は今も各国から注目を集めているという。
そんなミラは王道に第一王子のセンデルと恋に落ち、今は婚約中らしいのだがくっついてからはやけに痴話げんかをしている。
その理由も、彼らの性格の詳細すらサリナは知らない。知らなくていいと思っているのだが、ミラはサリナの見た目に懐かしさを感じると何かと傍にやってくるのだ。
(……本当は懐かしいどころか、ほぼ同じ境遇なんだけど)
それをミラに言うわけにはいかないし、つもりもない。それでなくても同じ転生者であるエルルに仲間ではないかと疑われているのだ。ぼろをださないように徹底してはいるが、フラグを回避して逆にこの世界を楽しみ始めているらしい彼女がどんな手を使って歩み寄ってくるかもわからない。
ミラも、真実をしればサリナにもっと踏み込んで来るだろう。それだけは御免だ。自分はあくまでモブであり、彼女たちの世界では顔無しのなんでもない草のような存在であるのが相応しい。
だが邪険にもできないので、結局こうしてお茶をだしてもてなしてしまう。女官の服を着ていないせいか気も緩んでいるが、こうしていられるのも今の内だということもわかっていた。
「今度は殿下とどのような口論をされたのです?」
「……う、あの、私、聖女としての自覚は持ってるんです。でも、だからってお姫様みたいな生活は……相応しくなくて……普通でいいって言ったら殿下が引いてくれなくて」
しゅん、と肩を落とす姿は小動物のようで流石サリナもちょっと抱きしめたくなってしまう。それに、彼女の気持ちもわからなくはない。
ミラはまだ十七才の女子高生にあたる年齢の少女だ。それが聖女として呼ばれ、使命を自覚したところで愛した相手が王子だったために価値観まで揺るがされている。普通の生活を送ってきたミラにとって、きらびやかな王宮で王子の宝物としてだけ扱われるのは居心地が悪いのだろう。
「……私は平民ですので、ミラ様のお気持ちは失礼ですが少なからずわかります」
「サリナさん……」
「ですが、ご聡明なミラ様は既にわかっておられるでしょう。貴女様は聖女であると同時に、殿下のご婚約者――未来の王妃候補になられているのです」
「……はい」
「その重荷も、環境の変化も、私はミラ様への試練だと思います。殿下のお傍にいるために乗り越えなければならぬことと、もうわかっておられるはずです」
顔を俯ける姿に、ちくりと良心が痛む。ここで過度に彼女を肯定し味方をして今以上に親しくなろうと来られても怖いのだから仕方ない。それに、彼女のためにもならないと思う。なのに、この良心がどうしても余計なことをしてしまう。
「けれども……本日私はお休みでして。今この時、女官ではなく一人の女性として、『たとえば』を申しますが」
「え?」
「取り組んでおられるお勉強の他に、殿下のお仕事の見学や執務のお手伝いをしたりするご自由くらいミラ様ならもぎ取れると思います」
「……あ!」
「お食事も、喉を通らなければどんなに凝ったメニューでも意味がありません。そこは殿下とお話をすれば、シェフも考えてくださるでしょう。質と安全性のため、普段ほどではありませんがやや高い食材を使用することはお許しいただきたく思います。ドレスや宝石の贈り物については、あまりに頻繁では他の貴族の目についてしまうしお心だけで嬉しいと殿下付きの騎士であられる方にそっと伝言をお願いしてはどうでしょうか。平民らしく、ではなく『王族となる覚悟があるからこそ』国民からの心を無駄に消費したくないとでも仰ればきっと納得してくださるのではないかと。……ミラ様はお優しいので、そう思ってこうして気に病んでいるのでしょうけれど」
ぐわっと一気に言ってしまったが大丈夫だろうか。目をちかちかさせるミラを前にひやりと冷や汗がこめかみを伝うのがわかったが笑顔は崩さない。
出過ぎた内容だと思うし、さっき厳しい言葉を言ってしまったので効果はないかもしれないとぽかんとしているミラが動き出すのを待っていると、数分後我に返った彼女はサリナに怒る――わけもなく、がたりと立ち上がったと思うとサリナをその胸に勢いよく抱きしめてきた。
(ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!あっでもいい匂いがする!!やわっこい!!)
内心では絶叫しながら混乱を隠さずにうろたえているが、厨房以外でこのような姿を晒すわけにいかない。
鉄壁の微笑みを必死で保ち、上ずってしまいそうな声を穏やかになるように必死で調整して、サリナは抱き着いてくる少女の背をぽんぽんと撫でた。
「どうなさいましたか、ミラ様」
「ありがとう、サリナさん……!!やっぱり私、サリナさんってすごいと思うわ。厳しいけれど、どこまでも正しいし、ちゃんと教えてくれるのね」
「……私はあくまで、たとえばを口にしただけでございます」
「ええ、だけど、嬉しかった。……だからこそ、これを自分で考えられるようにならないといけないのね」
ミラはとても素直だ。だからこそ王子に愛され、聖女としての役割をこなしているのだろう。
(うっっ、やっぱりこの子めちゃくちゃいい子……!!)
そんな彼女から逃げたいと思う自分に罪悪感が芽生えるが、それでも人間わが身が一番かわいいもの。揺らぎそうな心を鬼にして、友人ではなくあくまで一人の女官としての意見だということを貫き通した。
「ご理解を頂けたならなによりです。……そろそろ殿下もいらっしゃるでしょう」
体を離して全力でほほ笑めば、ミラも無邪気な少女の笑みを浮かべてくれる。そのサリナを何故か心から慕っているような笑顔に強烈な後ろめたさに襲われつつ、少しの間雑談をかわして彼女を部屋から送り出した。
「つ、疲れた……」
「ご苦労なことだねえ、女官殿」
「なんでいるんですか?!」
やれやれと肩を落としたタイミングでぽんと頭に手を置かれ思わず壁へと後ずさる。窓も閉められ、ドアも、たった今ミラを送ったばかりだというのにどうして此処に居るのか。それはひとつ息を吐けばすぐに思いつくことだった。
「……転移魔法ですか」
「ご名答!流石だね!」
指を鳴らして笑う不審者もといソロガにぴきりと額に青筋が浮かびそうになる。やたらと顔がいいので絵になるのがとてつもなく腹立たしい。
「もっと冷たく突き放せばいいのに、こうやって優しくするから懐かれるんだよ」
「ミラ様に私が非番の日を教えたのはソロガ様でしょうが」
「あ、バレた?」
「ミラ様が隠し事ができるような子だと思いますか!!」
誰に聞いたかと問いかけて明後日を見たミラのお粗末な誤魔化し方を思い出す。それに、元々女官のスケジュールは一部にしか知らされない。個人情報の管理もしっかりしている王宮で、知りえた情報を軽く流すような人間と言えばこの男しか思いつかなかった。
「私は平凡に生きたい。それは否定しませんが、困っている人間に冷たくあたるほど落ちぶれてもいないんですよ」
「うんうん、実に矛盾に満ちた可愛らしい答えだ。他人への思いやりと自己愛が上手い具合に絡み合っていて僕好みだね」
「非常に気持ち悪いのですぐにお部屋にお戻り頂けますか」
「まあまあ、そんなに遠慮しなくてもお茶をする時間くらい僕にもあるから」
「人の話聞いてます?」
変化球と例えるのも難しい飄々とした男を前に、サリナはまた今日もがっくりと肩を落として諦めるしかなかった。
だが、まだサリナは知らない。
この時点で、再び『聖女の物語』に巻き込まれていたことなど。
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