イチャイチャするなら見えないところでお願いします。



『これは君の物語だ、君が君として世界を見つめている以上この舞台の主人公は君だよ――どうかそれを忘れないで、僕の小鳥』



 この言葉が物心ついた時からサリナの頭の中にあった。誰に言われた覚えもなく、書物で読んだものでもない。ただまるで生まれた時から魂に刻み込まれたようにサリナの心の中に浮かんでいた。

 だが、この言葉は間違いであると思う。何故ならサリナ・ユキヒラは――沙理菜は自分がモブであるということをしっかりと自覚しているのだから。




* * * * *




「聖女様のミラ様は第一王子と庭園でお散歩、元悪役令嬢もといエルル様は騎士団長とお茶会、チート全快魔術師見習いのアンナ様は宰相様と図書室でお勉強……どこに呼ばれても仕事中でも漂ってくるふわふわした甘酸っぱい恋の空気……目がちかちかするほどのときめきオーラ……」


 昼下がりの城内の厨房の片隅。ぶつぶつと呟きながらジャガイモの皮を剥く女官の奇行は今に始まったことではない。

 厨房の使用人たちはサリナのこの行動と心情をそこそこ理解しているので口は出さないが、心なしか怯えているはわかっていた。

 それは自分がこの国では希少な黒髪と菫色の目をした異国の民だからではなく、ただ単に身体から溢れ出るかのようなどす黒く複雑なオーラのせいに他なかった。


「いちゃつくなら!!!見えないところでお願いします!!」


 当人たちの耳に届くも筈もない悲痛な叫びが厨房内にきーんと響き渡った。


「どいつもこいつも!!あっちゃこっちゃでいちゃいちゃしすぎ!1カップル1世界にしなさいよ!やたらと最終回近くで周りがくっつきはじめる少女漫画か!そうかもしれないけどー!!どいつもこいつもいちゃいちゃしやがってー!!!!大事なことだから二回言うーーー!」


 腹の底から叫ぶもその内容はきっと周りからすれば意味不明だろう。

 それでも厨房の人々が「あ~サリナさんストレスたまってるんだな~」というようにどこか心配そうに自分を見てくるのは、実際そのイチャイチャカップルたちが彼らの目にもあまることと、なんだかんだ負の感情を表に出し叫ぶ自分がたまに奇行に走ることはあっても、信頼に足る優秀な女官であるとわかっていてくれるおかげだ。

 自分で優秀と評価するのは少し自信過剰のようで恥ずかしいがそこはポジティブに行くとする。

 なまあたたかくも気づかわしげな周りの視線に感謝して、サリナは一通り腹の内をぶちまけて少し冷静になるとがっくりと肩を落としてうなだれる。

 ああ、せめて普通にこの世界に生まれ、普通に当たり前としてすべてを受け入れていられたならこんなに複雑な気持ちになることもなかったのに。


(転生者なんて、モブには必要ない設定すぎる……)


 そう、明確な作品はわからないが此処は生前……サリナが沙理菜として地球の日本で生きていた時に愛読していた恋愛ファンタジーノベルの要素がぎゅうぎゅうに詰まった世界なのだ。

 聖なる力を持つが故に召喚されて王子と恋に落ちる少女、悪役令嬢に転生してしまい破滅フラグを回避しようと王子を避けてたらうっかり違う男に惚れられる少女、そしてチート能力を持って生まれ普通に生きようとしているのになんだかんだ宰相に目をかけられて本人の知らぬところで婚約者候補にされている少女。

 これらの登場人物全てがサリナの勤め先であるセントリスティア国の王宮に集結しているのである。


(恥ずかしながら一応最初は私も甘い夢を見たものだけども……)


 そう、ならばよくあるモブ主人公的な流れで自分にも誰かのフラグが立つのではとほんのちょっとだけ期待をした……のだが、所詮モブはモブ。転生者でもサリナはあくまでごく普通の人間であり、騎士と出逢う事も、魔術師に遭遇する事も、王族に見初められることも別になかった。

 まあ目に留まりたいならそれなりの努力をすべきものだとは思っているので当然の結果なのであるが、自分が特別でもなんでもないのだというその実感は落胆とないまぜになって、サリナが悟りを開くきっかけになった。


 そう、運命の出逢いなどと甘い夢はやはり見る者では無い。モブはモブらしく、身分相応に細々と生きようと。


 結婚についてははまだ仕事を優先したいのと、王宮で大分信頼と評価を得ていても身分は平民なので見合いもあまり来ないのもあって先送りにしようとは思っている。

 女官としての仕事も高位の女官に与えられる特別な休憩時間を貰える階級くらいまでになって、とても楽しいしやりがいも感じている。

 まあその時間をこうして厨房の手伝いに使っているわけだが、貴族出身が多い少女達に混ざってお茶をするよりずっと気が楽だ。


(金銭感覚や味覚が違うだけで女官仲間はいい子たちが多いし、厨房の人たちは優しいし賄いを一緒に食べるのは楽しい。そう、仕事も生活も特に苦労はない、のに……)


 そんなふうに、一応サリナは充実した日々を送っている。それに間違いは無いのだが……やはりだめなものはだめらしい。


「だけど!あんなにあちこちでイチャイチャされて!精神を蝕まれない強者がいる?!」


 鍋を混ぜたり料理を盛りつけながらこちらを見る料理人たちは、見慣れているとはいえ流石に痛ましいのかぼそぼそと囁き合う。


「大丈夫かサリナさん相当だぞ」

「でもああなってる時に横から入ると巻き込まれるから怖いし……」

「言ってる事はわかるけどなあ」

「まあ、あれだけキラキラしたもの見せられたら俺達だってげんなりするし」


 そう――サリナはとことんリア充に弱かった。


 前世でも彼氏が久しくいなかったことは置いておくとして、これはもうやっかみに過ぎず周りからひがみと思われてもしょうがないことも自覚している。だが何故かサリナが行く先々で件のロマンスカップルたちがいちゃこいているのだ。嘆きたくもなるだろう。

 独身、それもロマンスを諦めた女に愛と恋ときらめきに満ちた空気は毒以外のなにものでもない。だからといって否定するわけでも、破局を願うわけでもない。


 ただ、ただひたすら、カップルを目の前で見続けるのがつらいのである!


「ミラ様は殿下と気まずくなったら私のところに来るし、エルル様は私を専属女官にしようとしつこく勧誘してくるし、アンナ様は私の見た目に興味津々だし……」


 更に気を病むのは何故か女性陣がやたらとサリナにかまってくることだ。彼女たちはいわば主人公だ。主人公が絡めば物語が動く。その登場人物にサリナが組み込まれれば、モブとはいえ無関係のまま終われるわけがない。結果起きるのが、彼女たちを巡る騒動に巻き込まれるという事態だ。

 浚われそうになる聖女の巻き添えになったり、糾弾されそうになる悪役令嬢に加担した女官と濡れ衣をきせられかけたり、魔術バカすぎるチート娘の実験体にさせられた挙句嫉妬深い宰相にちょっと睨まれたり。自分から首を突っ込んでいるわけでもないのにあまりにも理不尽がすぎる。


(平凡に生きて、夢は見ないと決めたのに、周りがあまりにも五月蠅すぎる!!)


 そんな日々で幸せそうなカップルを毎日見せられるのだ、荒んでしまってもしょうがないだろうと訴えたくなる。

 だが結局どこまでもお人よしである自分は、どんな災難に巻き込まれようと彼女たちを責めたり距離を置いたりすることはできず、こうして厨房で蓄積したストレスを発散しているのだ。


――が、最近はそれも難しい。


「やあ、また僻み爆裂なのかな?非リアのかわいそうな女官さん?」


 聞くだけで腹立たしい声に顔を上げると、そこには厨房の中では明らかに場違いな派手な男が立っている。一本に結い上げた白銀色の髪をし、サリナより深い紫苑の色をした瞳を持つそれは美しい顔に満面の笑みを浮かべていた。

 とても顔はいい、それは認める。見上げるだけで首が痛い程に身長があるのにその体は逞しすぎず細すぎず、絶妙なバランスを保っている。王族では無く貴族の来客だが、そりゃあ城内の女性たちが多数懸想しているのもわかるだろう。まあ、見た目に関しては、だ。


「……こんな下々の作業場になんの御用でしょうか、いつものように怠惰に一日をお過ごしになられればいいのに、随分とお時間を持て余していらっしゃるのですね――ソロガ様」


 向けられた表情に応えるように、にっこりと来客用の笑みで迎え撃つ。これは挨拶のようなもので、ソロガは本来はただの女官の失礼な物言いに怒るべきなのに寧ろ嬉しそうに目を細めている。それすらサリナには嫌でしょうがないのだが最悪なことにこの男は全て分かってやっているのだから質が悪い。


「君が可愛らしい顔を虚ろにして叫んだり皮むきに勤しむその地味~な姿を嘲笑いに来たのさ。あ、それ僕も一緒にやっていい?」

「どうぞご自由に」

「はーい、ナイフ借りるよ」


 隣の空き樽に腰をかけて嬉々としてジャガイモの皮むきを始めるやたらと顔がいい貴族。その隣は本来こういう仕事はすべきではない高位の女官。あまりにもカオスな空間だ。

 けれどこれもこの厨房では既におなじみになってしまった光景であり、二人の軽口の言い合いも厨房メンバーにとっては慣れたものだった。


「視界に入るのが嫌ならこの仕事辞めればいいじゃないか、再就職先に僕の伴侶が空いてるよ」

「ブラック企業じゃないですか、丁重にお断りします」

「お給料はいいよ、三食昼寝付きだし」

「ソロガ様、世の中にはお金より大事なものがあるんですよ」

「老後のためにと毎月お給金は必ず記録の上に貯金しているのによく言えたものだよ」

「なんで知ってるんですか……気っっっ持ち悪いですよ」

「わあい、僕のこの顔をそんなに不快そうに見つめてくれるのは君が初めてだ」


 ソロガというこの男は、数か月前から城に滞在している王子の来客だ。魔術研究において大きな成果を上げている学者兼魔術師らしく、一人の人間としても王子や国王夫婦などと個人的に親しい不思議な人物。

 目が眩むほどの美しい顔立ちをしていて振る舞いも派手、なので一見軽く見てしまうが何故か男女問わずに人を惹きつける魅力と社交性がある。

 そのような人物であるソロガだが、それ故か元の友人たち以外に特別親しいものは今まで作らず、滞在中世話をする使用人も定期的に交代するようにお願いしていた。その手配をしていた女官長をサリナは手伝ってもいた。

 なのに、ある時ソロガは本当に廊下ですれ違っただけのサリナに興味を抱いてからやけに話しかけてくるようになり、厨房にこうして何度もやってくるだけでなく、あらゆる場所で何かとちょっかいをかけ続けてきた。

 その度に城内で起こるカップルたちの騒動に彼とセットで巻き込まれ、そんなトラブルを喜ぶ彼に振り回され、逃げても逃げても追われを繰り返し、諦めた末にゆるい友人同士という関係に落ち着いている。顔も頭もどこまでも平均の自分にこだわる理由がどこにあるのだと常々思うが、聞いたら絶対に腹が立つ答えしか返ってこないことを知っているので敢えて聞かずにもいるわけなのだが……。


「僕は君の事ならなんでも知ってるさ、転生者なのも、それを隠していることも、自分は舞台の演者ではないと勝手に思い込んで振る舞っていることもね」

「……思い込みじゃなくて、事実ですから」

「ところで前世の君って今と同じくらいだったんだろう、なんで死んでしまったんだい?」

「人の話を聞いてます?そしてそれ聞いちゃいます?」


 本当にゴーイングマイウェイを地で行く人だと思う。本当に本当に迷惑極まりないのだが、彼との会話なら前世の用語を遠慮なく使えるので正直ソロガと話をするのは嫌いじゃなかったりする。

 ……もしやこいつがフラグの相手ではないかと思ったが、彼への自分への好意は判断がしがたい。色事と好奇心が混ざり合った非常に難しいものに思えるからこそ、そうであってほしくないと願う。もしその通りでも、その時こそイケメンよりも平穏を求める主人公らしく逃げるだけだ。


「面白くも無い話ですよ」


片手に持ったナイフをひらひらとさせて早くと急かしてくる危ない愚か者の片足を踏みつけつつ、サリナはひとつため息を吐いてからぽつりと言葉を落とす。


「……事故でした」

「へえ」

「仕事帰りに偶然通りかかった工事現場で、上から鉄骨……大きな鉄の柱が降ってきたんですよ。そこからの記憶が全くないので、多分即死だったかもしれません」

「ふーん、トラックって乗り物じゃないんだ」

「皆が皆トラックで死ぬわけじゃないですよ」


 どこの転生物語だ、と言いたいところだがこの魔術師はそのような人物との面識もあるらしい。だからこそサリナと同じような言葉を使って話しているのだ。


「親より先に死んでしまったことはとても心残りですけど、結婚もしていなかったですし、未練はないですね」

「うん、あってもなくても時は戻せないしね。そういうすっぱりとしているところは好ましいな」


 他人事だと思ってと睨みつけてもソロガは笑顔を絶対に崩さない。しかもこの男、サリナが睨めば睨むほど喜ぶときもあるのでたまに本気でそういう趣味なのか疑ってしまう。


「別に僕は被虐趣味じゃないんだけど」

「人の心を読まないでくれます?」

「顔に書いてあるものは読んでしまうよ」


 口が上手いというか、ふわふわとして掴みどころがない喋り方をするのでいつもこうしてかわされる。読心の魔術はかなり高度なものでこの世界でも一握りしか使える者はいないらしいのだが、ソロガならありえそうで怖い。


「でも、ま、君がどこまでも平々凡々の人間だということはこの僕が保証してあげるよ。魔力も性質も平凡な一般市民だ。特殊なスキルも持ってない。つまり君があれこれカップルを目にするのはやはり特別でもなんでもなく――」

「……なく?」

「運がとてつもなく悪いだけ、かな」

「殴っていいですか?」


 運だというならもうこの先の幸福が半分になってもいいからどうにかしてほしい。がしがしと遠慮なく男の膝を蹴りながらまた新しい芋に手を伸ばすと、何故かそのソロガに止められてしまった。


「なんですか」

「僕としてはもう少しこうしていたいんだがね。そろそろ止めないと、今日の食事が芋のフルコースになってしまうと思うのだけど」

「は……」


 やっと我に返ると周りの調理人をはじめとした使用人たちの戸惑ったような視線が集中していること、シェフが顔を覆っていること、皮をためている器が山盛りになっていることに気付く。そして……


「あらあ……」


 人が二人ほど入れるくらいの大樽に山積みなっているジャガイモを前に、サリナはしばらく賄いも夕食も芋料理になることを冷や汗を流しながら覚悟したのであった。




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