私だと分かりますか?

 それから数日。

 連絡先を交換してもらったものの、当然のことながら自分からは黒崎さんに連絡ができずにいた。

 携帯を握り締めてみても、怖くて黒崎さんのアドレスを開くことすらできない。タップしようとすると、プルプルと手が震える。それに黒崎さんからも連絡がないということは、あの映画の話は社交辞令だったのではないかとさえ思い始めた。

 ドキドキと心臓に痛みを感じるほどに高鳴る鼓動を毎日感じていたけど、それも次第に落ち着いてきてしまった。

 千絵さんには『連絡が無いなら、こっちからすべし!』と言われるけど、迷惑に思われるくらいなら、このままでいい。

 でも、千絵さんとは予定通り買い物に行くことになった。殆ど買い物に行く事がない私は、全て千絵さんにお任せするしかない。

 言われるがまま、街を連れ回され、服を何着も試着し、千絵さん行きつけの美容院に投げ込まれ、コンタクトショップが抱えている眼科にも放り込まれた。更にはコスメショップのおまけ付きだった。


 夕方、全ての用事を済ませた私達は千絵さんのマンションにお邪魔し、今日の成果を確認することになった。


「……誰、これ」


 茫然と全身鏡の前に立つ私の隣で、千絵さんが腕を組んで反り返って満足そうにしている。


「ふふ。やっぱりね」

「やっぱり?」

「琴音はかわいくて、清楚系が合うと思ったんだけど、私の見立てに間違いはなかった! 敢えての黒髪も正解だね」


 そう言って、千絵さんは私の髪に指を通す。


「美容師さんが言った通り、琴音の髪はノータッチだった分、綺麗でトリートメントの必要もなかったね。サラサラで羨ましい」


 自然のまま肩の下まで伸びていた髪は、ふんわりと空気感を持った軽やかなミディアムボブになり、程よく内巻きにカールした毛先が揺れてかわいい。目の上で切り揃えていた重たい前髪も、量を減らして軽く横に流されている。

 普段、仕事の時には邪魔にならないように後ろで一つに結んでいたけど、それももう必要がなくなった。 お洒落の『しゃ』の字も考慮していなかった黒縁の眼鏡はコンタクトに変えられ、今までひっそりと隠れていた目が現れている。

 意味があって隠していたわけではないけど、こうして露出してしまうとなんだか丸裸にされてしまったようで恥ずかしい。ただ、裸眼ではボヤけて見えなかったし、眼鏡の奥にある時には小さく見えていた目は自分で思っていたよりも大きかった。とはいえ、千絵さんが言ってくれたように『くりんとして綺麗な目』だとは思えないけど。

 そして、服。今までは母と適当に買ったこだわりのない物ばかりだった。敢えて言うなら、『動きやすさ重視』。そんな私が、今日は雑誌にも載っているようなブランドのお店に連れて行かれ、あれやこれやと試着させられて何着か購入することになってしまった。

 勿論、お値段的には手が届く物だったし、普段本以外にお金を使わないから許容範囲ではあったから、不満があるわけではない。

 その中から、『黒崎さんと初めて出掛ける時にはこれを着るのよ』と指定された服を今は着ている。白いノースリーブのワンピースはハイウェストで、控えめに広がるフレアの膝丈。胸元では淡いピンクのリボンがふわりと揺れる。その上から羽織っているのはグレーのパフスリーブボレロだ。


「琴音はかわいらしいものが似合うけど、ここは男受けを狙いすぎず、甘さの中にグレーで落ち着きを持たせてみたわ。まだ暑いとはいえ、真夏も終わったことだしね」


 そう言われても、私にはさっぱりだ。この服装がどうかと聞かれたら「かわいすぎて恥ずかしい」「スカートはスースーして落ち着かない」とにかく、私にこの服装は無理があると思う。


「千絵さん? これ、私には似合わないと思うんですが……」

「大丈夫! 見慣れないだけでちゃんと似合ってるし、寧ろこの方がしっくりくるから」

「それはないですっ!」


 普段、しゃがんで作業したり、台に乗って作業したりこともあるため、基本的にはパンツスタイルなのだ。それがいきなりワンピース。


 そして、甘い。甘すぎる。白にピンクは如何なものかっ⁉


「自分が信じられないなら、私を信じなさい。絶対間違いないから」


 そう言われると、文句は言いにくくなってしまうじゃないか。恥ずかしくて落ち着かなくてこの上ないけど、とりあえず我慢するしかなさそうだ。

 もう全てが自分ではない。だってこの上、今は初めてのしっかりメイクをしているのだから。 千絵さんが無難だというコスメショップでメイクの手解きを受けながら、必要な物を揃えた。

 多分、手順は覚えた……と思う。いや、やっぱり忘れたかも。どうしてあんなにもメイクはややこしいんだ。しかも順番だけでなく、上手くやらないとオバケのようになりそうだ。


「メイクはナチュラルに軽くすればいいから。琴音の頬は元々いい具合にピンクだし、肌も綺麗だからね」

「こんなに上手にできないですよ……」


 鏡の中の私は確かに今までとは違う。そう、変わっている。ガラリと変わったと言ってもいい。これは最早、私だと認識されないのではと思うほどに。


「それは練習するに決まってるでしょ!」

「そうかもしれないですけど……あの、ちゃんと私って分かりますか?」

「は?」

「だから、別人じゃないですかっ⁉」

「そんなことないよ。きっと明日仕事に行ったら、この格好が如何に琴音に似合うか分かるよ」


 ええ……怖いよ。もし『どなたですか?』なんて言われたら、どうしたらいいの?


 いつも一緒にいる人に認識されなければ、黒崎さんに分かってもらうなんて到底無理だ。


「ほら! 下向かないの! せっかく変わったのに、そうやって下向いてたら何の意味もないんだよ」

「はい……」

「明日、翔太の反応見てみなさい。多分、これが正解だって分かるから」

「うぅ……分かりました」


 どうして翔太くんなんだろうということまで、この時の私では考えが至らなかった。

 その後、千絵さんとデパ地下で買ってきたお惣菜で夕飯を済ませて帰宅した。因みにデパ地下も初めてで目がチカチカしてしまったのは蛇足だ。



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