第7話


お嬢様は魔法が一切使えない。それは少し語弊のある表現でございます。正確に言うならば、お嬢様は「魔法解除の魔法以外を一切使えない」、です。



お嬢様の保有魔力は増大です。見る者が見れば、腰を抜かす程。そもそも、魔力はこの世に生きるもの全てに流れ、草花にすら薄っすらと魔力は宿っております。人間で言えば、子供ですら魔力が安定すれば簡単な生活魔法を使う事が出来る程です。


貴族になれば血筋なのか、その力はもっと大きくなり、王族が最たる者でしょうか。王太子殿下においては、光魔法である治癒魔法や、人々に幸福を授けると謳われる付与魔法、その他にも攻撃魔法も使える程の魔力と才能がございます。


お嬢様……当のアリアナ様が魔力が安定したのは8歳の頃だと伺っております。そしてその頃から、お嬢様の膨大な魔力は、全て自動的に「魔法解除魔法」を発動し続けているのです。意識は関係無く、常に。意識の無い間も魔力を消費し続けているなど、普通ならば考えらません。


常人なら魔力が枯渇して倒れるか、最悪命に関わります。けれど、お嬢様は寝ている間の回復された魔力も自動的に魔法解除魔法に取り込まれるらしく、とにかく魔法学者で在れば隅々まで調べたいと思わせる程の魔法量と魔法力なのです。



しかし、唯一の強力な魔法。


それゆえ弊害へいがいが多く、全ての魔法がお嬢様には効果がございません。

それは、魔法で出来た炎や毒効果すら。お嬢様に触れた途端に、それらは霧散して魔力へと還ってしまうのです。治癒魔法も同様なので、お嬢様は小さな頃から怪我をしない様に、大事に大事に屋敷内で育ったと聞き及んでおります。


本来ならば、学園ですら入学出来ない恐れもございました。家格、魔力量、どれを取っても一級なのに、最大の属性魔法……それが足枷になってしまう。

了承されたのは、私が必ず、命に代えてもお嬢様を御守りすると誓っているからでございます。まあ、私が居なくとも、学園内では魔物が出る訳でも無く、一応は安全なのですけれど、人が大勢居るという点においては、何処で何があるのかは誰にも分からない事でございますから、防衛するのは基本ですね。



けれど、お嬢様の受難はそれだけではございません。



殿下が付与魔法を誇るのに、対してお嬢様は魔法解除。相反する属性魔法により、婚約事態反対する話しが当時から多かったと聞きます。たまに困った様なお顔をするお嬢様。あれは全て諦めた様な、そんな物悲しさを帯びていて、私は……



「?! 」


下を向いて考えに耽っていると、不意に体が大きな何かに覆われて、私は声なく驚きました。慌てて顔を上げようと試みるのですが、がっちりと抑えられていて、身動き一つ取れません。


気付けば何故か、私はガイに抱き寄せられていたのでございます。え、何なのですか?! 私、何かしました?!


「……そんな辛そうな顔をするな。大丈夫、殿下も居られるし、俺だって側に居る。ラナがそんなに思い詰める事は無い」


……私、そんなに顔に出ていたのでしょうか……付き添い人として失格な気がします。まあ、食事会であれだけ声を荒げた時点で、手遅れな気も致しますね……、そう考えると、私ちょっと……どころか、かなり恥ずかしい行いをしていたのでは無いでしょうか?!


今更になって自分の子供っぽさに恥ずかしくなって参りました! ああ、顔が赤くなって来たのが分かります! 今とても頬が熱いのですから。


「ラナ、どうした……?! 、っ! 」


私はガイの強い拘束から何とか顔を上げて、ガイの瞳を捉えました。が、何故かガイの瞳は揺れて、少し視線を外してしまいます。私、そんなに見るに耐えない表情をしているのでしょうか?! 鏡、今鏡が欲しいです!大至急!!


「あの、ガイ? ありがとうございます。お陰で落ち着きましたわ。先程から見苦しい姿を晒して、心苦しいです。もう大丈夫ですから、その、腕を……」


ガイの腕はがっちり私の背中に回されていて、これを抜けるとなると髪もドレスもぐちゃぐちゃになってしまいそうですから、これは大人しく拘束を解いて貰うしかありません。けれど、ガイは一向に離す気配が無いのです。


「そんな表情で、落ち着いたと言われても……」


だから、私は今どんな顔なのですか?! もう早く部屋へと帰ってしまいたいのですけれど!


「ん、そう言えば今名を呼んだか? 」


「?! 、それはっ」


しまった、と私は内心慌てましたが、時既に遅し。逸らしていた彼の深い青色の瞳は、私をしっかりと捉えています。ガイは同級生、しかもあの言葉を言われる前は普通に軽く会話する程度には、私と彼の仲は良好でしたから…その頃の感覚が戻ってしまったのかも知れません。


今日は何て日なのでしょう! 次から次へと失態を犯して……!!


そう思うと、また更に顔が熱くなるのを感じます。早く部屋へと帰らなければ! これ以上失敗したくありませんから!


「あ、の…失礼致しましたわ、ミスター。お願いですから、腕を離して頂けると嬉しいのですが……」


「……断る」


「はい?! 」


ガイは何とも楽しげな表情をしているではないですか!! 口角が上がったその顔は、たまに見せるにやりとした意地悪げな顔とも違って、私は戸惑ってしまいます。そんなに、私の失敗が楽しいのでしょうか??


「これから先、ラナが俺を名で呼んでくれるなら離す」


「何をふざけてっ」


「ふざけてなどいない。本気で懇願こんがんしているんだ。俺を名で呼んではくれないか? 仲直り、しただろう? 」


鼻と鼻がくっ付いてしまうのではないかと言うぐらい、ガイが私を覗き込んでいて、私はどうして良いのか分かりません。家族以外の異性から抱きしめられて、見つめられて、あまつさえ懇願なんてされるとは! 私は男性に対しての耐性が無いと言うのに、これがふざけていないのなら、もっとたちが悪い! 悪過ぎです!


「(意地の)悪い人……っ、私を虐めて楽しいのでしょう?! 」


名前で呼んでも良いのですけれど、何だかガイの調子に持って行かれているようで、私はすっかりへそを曲げています。既に頬を膨らませ、子供もびっくりする程口を尖らせていると、自覚しております。


すると、更に力が込められて、私はガイの胸へと押し込められました。な、何故? 私は悪い事をしていませんのに!


「……ラナ」


「は、はい? っ苦しいですわ、もっと力加減を……」


「今の台詞と表情、俺以外の前でしたら駄目だ」


「何のお話ですか? 意味が……」


「約束してくれ。必ずだ」


「ええ?! えっと、あの、分かりました! 分かったから離して下さいませ、ガイ! 息がっ」


「約束してくれるか? 」


しつこい! しつこいです! 一度獲物を見つけたら地の果てまで追うと言われる砂狼サンドウルフも逃げ出す程です! 一体何故……そんな変な表情をしていましたか? 私……それはそれでショックです。


「分かりましたから! 約束致しますので、お離しになって!! 」


言った途端に体を引き離され、私が驚いて顔を見上げると、薄明かりでも分かる程に満面の笑みを浮かべるガイが、


「言質、取ったぞ」


なんて嬉しそうに言うものですから、私は二の句を告げずに息を呑みました。



……本当にしつこいです。この人。




それから、私は今度は丁寧に手を取られ、エスコートされたまま、女子寮の入り口まで送られたのでした。送る間、ガイはとても上機嫌で、約束したのがそんなに嬉しいのかと思うと、何だか小さな子供の様で微笑ましくなって、私も少し口角が上がるのでした。



今日は私の許容範囲を超える出来事が続いて、訓練よりも精神的にどっと疲れていましたが、送ってくれたガイにお礼を述べると、ガイはほつれた私の髪を耳にかけ直しながら、



「……言っていなかったが、今日はとても綺麗だ。そのドレスの色、ラナの美しい赤い髪が映えて似合っている。……また、機会が有ればこうやって着飾ったお前をエスコートさせて欲しい」


……なんて言うものですから、私は直った顔の赤味が一瞬で戻って来てしまい、世辞のお礼もそこそこに敵前逃亡宜しく、部屋まで逃げ帰ったのでした。



ガサツなガイの癖に!



そんな事を思ってみても、どう考えても紳士力はガイの方が上で、私は自身の男性耐性の無さと、淑女力の無さと、羞恥に頭がぐるぐると考え出してしまい、着替えてからも寝付ける事が出来ませんでした。




ーーーーーー




今日の食事会は、最初薄緑色のドレスで着飾ったあいつの美しさに、咄嗟に声が出なかった自分の情け無さがずっと気になっていた。


「片割れ」であるホムラと同じ真紅の少し癖のある長い髪。少しつり目がちな夕日を閉じ込めた様な橙色の瞳のあいつに、そのドレスは初めからラナだけの為にこの世に生まれたのでは無いかと思うぐらい似合っていて、柄にも無くそんな褒め言葉が次々と頭に浮かぶ自分にも驚いた。


エスコート中に仲直りも出来たし、今日は良い日だと思っていたのが、食事会の後アリアナ嬢の提案に混乱するラナをなだめるつもりが、抱き寄せて終には懇願までしてしまうのだから、どうかしていたとしか思えない。でも、その反面我ながら良くやったとも思う。


月明かりの下、きっとアリアナ嬢の事を考えて下を向いていたあいつの苦渋に満ちた顔を見たら、抱き寄せずにはいられなかった。まるで、自分が傷付けられているかの様なあいつを、慰め方もろくに知らない俺は咄嗟に手が動いていた。が、抱き寄せてみて驚いた。こんなに小さく、こんなに線の細いものなのかと。



俺の初手の失敗の所為で、顔を付き合わせばつんとされるか睨まれるしか無かったから、触れ合うのは勿論初めてだったのだが、魔法騎士として鍛えている筈なのに、ラナは余りにか弱い。


そうやって、肉体の圧倒的な男女の差や、距離の近さを実感した途端に、仲直り出来ただけでも上々な所をもっともっとと欲が出てしまった。だって、俺を見上げたと思ったら、何をどうなったのか知らないが、顔を真っ赤にして潤んだ瞳で見上げて来るのだから、俺の腕の中に居るというのに、気を許すあいつが悪い。


この距離の開いた2年間、いや、会話をまともにしなくなったこの5年間が、この時で報われた様な、そんな気さえさせたのだから。



ここまで来ると、ちょっと剥れた顔すら愛しかった。しかも、何だあの「悪い人」って。あんな台詞とあんな表情を他でされたら、若い奴なんかころっとやられる。いつの間にか、俺の認識しているあいつよりも、ずっと大人になって、僅かな色気が出て来たなんて、狡いとしか言い様が無い。


しかも帰りがけに、騎士科に顔を出す旨を言っていたから、また虫捕りしないといけなくなるのかと思うと、今後が嬉しいやら気が抜けないやら……


けど、もう様子を見るのは辞めだ。そう思って、最後女子寮まで送り届けた時、思っていた褒め言葉を言えば、瞬間的に真っ赤になって、しどろもどろしながら部屋へと帰って行くのだから、俺にもまだ希望の光が差している様で、とにかく嬉しい。




……アリアナ嬢の計画ははっきりと言えば不安だ。



出来るならば、お姫様には建物から出ては欲しくは無い。が、主人であるスチュワートが了承したのなら別問題だ。ラナには悪いが、こればかりは庇ってはやれない。けど、スチュワートのお陰で今日は距離が縮まった様なものだし、元を辿ればアリアナ嬢の計画のお陰だとも言える。今後はもう少しアリアナ嬢を気にかけて、ラナのフォローを増やそう。



そう思って自分の私室の扉を開けると、もう今日は顔を合わさないものと踏んでいた我が主人が、我が物顔で人のベッドに腰掛けていた。扉を閉めつつ、眉間に皺が寄ったのは認識出来たが、直すつもりは毛程も湧かなかった。


「お帰り。何故私より遅い帰りなのか、ちょっと説明が欲しい」


「あいつを宥めていたら遅くなった。以上」


「……ふーん、まあ良いか。かなり憤慨していたからね。アリアナの魔法を考えれば、護衛としては当然かな。ご苦労様」


「別に……あの後は?どんな話し合いを? 」


そう言って側へ寄れば、スチュワートは静かにかぶりを振る。


「護衛や教員なんかは好きにさせてくれるけど、招待客に関しては頑として頷かない。ジョセフィーネもミレニスも呼ぶと聞かなかったよ。アリアナはたまに驚く事はするけど、こんな我が儘なんて珍しいよ……何かある。それも、多分身が危なくなるぐらいの、決定的な何かが」


「それは、スチュワートが?それとも……」


「……さあ? 何方にしても、そんな事私が許す訳無いよね? 長い付き合いなのに、そーゆう所が甘いよね、アリアナは」


そう言って笑うスチュワートの笑顔は何処か引き攣っていて、思いの外こいつも今回の計画にショックを受けていたのが分かる。乳兄弟であったから、付き合いは下手をすればこいつの親よりも濃いから分かるが、こいつの巧妙な仮面を崩す程の存在なのだ、アリアナ嬢は。



そう思えば、目の前のこの主人が少し不憫に思えてしまう。



「了承したからには、此方も準備をしないとね。ガイの指導を受けている生徒も借りたいし、後はヒース王子か……アリアナと接触させたく無いんだけど、仕方ないか。ミス・レインは何て? 」


「明日スチュワートに再度謝りたいと。それから、鍛え直しに騎士科に顔を出すらしい」


「そう。私の事は別に良いんだけど、そうか……久し振りの虫捕り、頑張って。じゃあ、ミス・レインの面会は適当に明日連絡入れといてよ。今日はお疲れ、お休み」


そう言って、スチュワートは続き扉から自身の部屋へ帰って行った。全く、勝手知ったる何とやらで人の部屋を自由に使わないで欲しい。いや、違うな。


「……眠れなかったか」


人の顔を確認しに来るぐらい、動揺して一人では落ち着かなかったとも取れる。明日は試験の場所の確認と、その内現地の視察にも行かなければ。



全く、とんだ我が儘もあったものだ。今日の事は感謝するべきなのだろうが、今後の事を考えると頭が痛い。悪い人、なんて彼女に向けて言った方が良い気もしてくる。



しかし、賽は投げられた。護衛である俺は、自分の主人を最善を尽くして護るだけだ。


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