第四章 弊社vs全裸

 俺の職場は大通りから少し横に入った通りにあり、川沿いに位置している。


 ほとんど毎朝通う道も、夜、それも深夜になってから通ると、今まで通ったことのないような、不思議な感覚がするものだった。


 雪は積もるでもなく、かといって止むでもなく、ずっと降り続いている。


「職場、職場、しょーくば~♪ 弊社、弊社、へーいしゃ~♪」

「職場、職場、しょーくば~♪ 弊社、弊社、へーいしゃ~♪」

「憎い業務を吹っ飛ばせ! 爆破、爆発、大☆爆☆散♪」

「憎い業務を吹っ飛ばせぇ! ばくは、ばくはつ、だいばっくさーん!」


 俺の歌声が寒空に響き、シャブ江の歌声が俺の脳細胞に響く。

 俺とシャブ江は、愉快に合唱しつつ、職場を目指す。

 やがて、到着。


「まあ、案の定といいますかなんといいますか」

 弊社の現況を見て、俺はぽつりと漏らす。

 職場の窓は、一切の明かりが漏れていなかった。全くの暗闇、要するに無人。


 この聖夜、哀れに働いている現代社会の奴隷どもに愛と自由を伝導してやりたかったのだが、その計画は無為に帰す。


「で、どうするの? 引き返す?」

「まさか。突っ込んでやるさ」

 俺はアクセルを思い切り開き、職場ビルの正面玄関に突っ込む。


 がつんっ、と一度、視界の根底から揺れるような衝撃。直後、ガラスが割れ落ちる音。

 雨音のようなそれを聞きつつ、俺は原付を駆る。


 背後で、警備サービスの警告音が鳴り響く。うむ、弊社の警備システムは優秀である。などと脳内でうそぶいてみる。


 そして。

 そんなことは知ったことかと、

「オラーっ! いっくぜー!」

 と勢いよく雄叫びを上げてみる。


 が。


「……非常ドア、しまってるわな」

 原付でエレベーターを使ってもいいのだが、どうやらエレベーター用の電源が落ちているらしく、ボタンを押しても反応しない。

 俺は一度原付から降りて、「よいしょ」と非常ドアを開いた。

 道が、開ける。


「いけいけいけー!」

 シャブ江が俺を応援してくれる。愛する女性、その応援で、アクセルを握る手にも力が入る。


「いくぜいくぜいくぜー!」

 俺はアクセルを全開にし、非常階段を原付で上り始めた。


「うがががががががががががががが」

 原付の車輪が階段を乗り越えるたびに、ケツから体の芯を揺さぶるような衝撃が響く。

 切れ痔待った無し。


 どうして俺はこんなことをしているのだろう。

 どうして俺は全裸なのだろう。


 そんなことを、不意に考えてしまう。

 粉の効力が切れてきたのか、それとも、この断続的な衝撃が俺の意識を揺さぶったのか。

 少しずつ、少しずつ、俺の中で何かが冷えてくる。


「おらおらおらー! いったれー!」

 シャブ江の声は、未だに響いている。


 けれど、その声は、先ほどと違いどこか演技っぽさを含んでいるような気がする。

 それでも、俺は原付で上り続ける。


 そして。

「う、わっ!? うわあ!?」

 一度、車輪が階段を踏み外す。そうなると、あとは早かった。


 原付が左に大きく傾く。あ、これマズいな、と思って体勢を立て直そうとしても、至らない。

 俺と原付は見事に転倒し、非常階段の壁に叩きつけられる。

 どごり、と額から衝撃。しびれるような痛みで、鼻の奥がツーンとする。


「い、たた……」

 どこもかしこも痛かった。そりゃあそうだ。全裸で転倒したんだもの。


 原付を見る。ミラーの片方は折れ曲がり、もう片方はもぎ取れている。

 ライトは割れて、光を照射しそうにない。

 それでも、一応、まだ走れそうだった。

 けれど、この状況で原付を立て直すのも億劫だ。


 俺は原付を諦め、階段を上る。

 ひたひたと、足音が静かに響く。裸足であるが、冷たさすら感じないほどに冷えてくる。


 やがて、俺の部署がある階に到着。

「…………入ってみるか」

 そう言って、ドアを開く。無人だった。

 少し歩けば、俺と田中の机があるはずだ。


 田中。俺の元カノを寝取った男。


 あいつの机の上で、脱糞でもしてやろうか。明日の朝、驚くあいつの顔が楽しみだ。

 田中、憎いと言えば憎い。いや、それよりも。


「……………………はあ」

 ため息が漏れる。

 田中は憎い。それは確かだ。

 だが今はそんなことよりも、俺は孤独だという事実を突きつけるようなこの暗闇に、その憎悪すら呑まれてしまう。


「どうしたの? ここで立ち止まっている場合じゃないでしょ?」

 シャブ江の甘い声が囁く。


「あなたは、ここにいてどうするの? あなたは、ここで立ち止まってどうするの?」

 シャブ江は続ける。


「ここには何も無い。屋上に行こう、屋上に行って、空を見に行こう」

 シャブ江は、そう提案した。


 素面の状態なら、この寒い夜に、どうしてわざわざ空を、と思っただろう。

 けれど今は、シャブ江の声に従うしかなかった。


 今度は、俺の手を引いてくれる、虚無の手はない。

 俺は夜闇をかき分けるように、歩き始めるのであった。

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