第6話 渡しに行く

 家を出て、森のなかを歩いていく。前を行くサクラは、小さな紙箱を両手で大事そうに抱えている。箱は桜柄の包装紙でラッピングされ、なかに白い和紙で包まれた手作りのスイートポテトが入っている。


「サクラ、この道で合ってるのか?」


 オレはサクラのうしろを歩きながら、初めて通る小道を見回した。この森は、人の住んでいるおもての世界といろいろな場所で繋がっている。複雑で迷いやすいから、オレは知っている道以外あまり通らない。けどサクラは、ちゃんとわかっているようでスタスタと歩いていく。


「えぇ。行きは少々迷いましたが、帰りはなんとなくわかりますよ」

「そういうものなのか?」

「はい。自分の帰る場所くらい、勘でわかって当然です。それよりも……」


 道幅が広くなってきたから、オレはサクラの隣に並んだ。

 サクラは唇を曲げて、半分だけオレに顔を向けてくる。


「あなた、その格好で行くおつもりですか?」

「あぁ。そうだけど?」


 変なところでもあるのか? サンタさんからもらったボンボン付きの赤い三角帽子に、白いファーが縁取られた赤いマント。マントにはフードもついていて、クロウがなかに身を潜めている。あとは、紺色のタートルネックを着て、紺色のズボンをはいているだけだ。


「自覚なし、ですか……」

「自覚ならあるぜ。オレはサンタさんの弟子だ。外に出るときは、ちゃんと正装をしていくものだろ?」

「そういう意味ではありません。TPOを考えてはどうですか、ということです」

「てぃーぴーおー? って、なんだ?」

「……スマホで調べれば良いではないですか?」

「すまほ?」


 サクラの口から出てくる知らない言葉に、オレは首を傾げる。

 サクラはなぜか、大げさにため息を吐いた。


「あなたは……。人のくせに人のことを全然知らないのですね。帰ったら、あの小さいのにいてみてはどうですか?」


 そう言って、肩をすくめる。「小さいの」というのは、留守番をしているスノウのことだろう。たぶん今頃、余ったスイートポテトを残さず食べている。


「あっ、森を抜けましたよ」


 サクラの声が聞こえると同時に、周囲の空気が変わった。足の裏の少し柔らかかった土の感触が、固いアスファルトの感触になる。左右に茂っていた木々はなくなり、建物の壁や室外機に。葉と葉が擦れ合う音も消え、車の走る音と人の歩く音が聞こえだす。

 サクラは明るいほうへ歩いていく。オレもそのあとを追い、差し込んできた光に目を細めた。


「ここが、わたくしの住んでいる街です」


 建物と建物のあいだを抜けて出た場所は、大きな通り。

 車三台は並べる広い道路を、何台もの車がひっきりなしに通っていく。その向こう側も同じように車が逆方向に走っていく。周りは十階以上ある建物がいくつもあって、正面にはずば抜けて高い塔も立っている。そして目の前を、たくさんの人々が行き交っている。


「サクラって、こんな都会に住んでたのか!?」


 思わず声を上げると、近くにいた人たちが不審げな顔をしてオレを見た。


「そこまで都会ではありませんよ。まぁ、中核市ではありますけどね」


 サクラは得意げに鼻息を鳴らし、人の行き交う道を歩いていく。サクラの姿は普通の人に見えないけど、サクラは慣れた様子で人のあいだを抜けていった。オレは何度か人にぶつかりそうになりながら、そのあとを追いかける。


「なぁ、サクラ。こんなところに桜なんてあるのか?」


 ようやく隣に追いついて、サクラに訊いた。植物があるとすれば、道のあいだにある背の低い植え込みくらいだ。

 サクラは向こうから歩いてくる観光客風なグループをひらりとかわして、オレの隣にまた戻ってきた。


「もちろん、あるに決まっているではないですか。ここは大通りですが、少し離れれば住宅地になっているのです。学校に植えられた桜や、会社に植えられた桜、個人宅にある桜もあります。あと、河川敷にも桜並木がありますし、それに、あちらにも」


 交差点の手前でオレたちは立ち止まった。サクラが指し示すほうには、緑が見える。青になった信号を渡って行くと、そこには大きな公園があった。


「ここが、わたくしの拠点。ホームグラウンドのようなところです」


 公園のなかに入ると、左右に低い丘があって、たくさんの桜が植えられていた。正面には池があって、橋がかけられている。向こう側は島のようになっていて、そっち側にも桜の木が見える。そばに案内板があって、池に囲まれた島は上から見ると星の形になっているみたいだ。


「これはおほりですよ。ここはかつて奉行所が置かれていて、いくさの要塞にもなったそうですが、今は市民憩いの公園になっているのです」


 ぐるぐると辺りを見回していたオレに向かって、サクラはおかしそうに口もとを緩めながら言った。


「へぇー。こんな都会の真ん中で、こんな自然が残っているんだな」

「残っているというより、人が植えたのですよ」

「そうなのか?」

「はい」


 サクラはうなずいて、堀の外側にある道を歩いていく。オレもそのあとについていく。

 サクラは、まだ花の咲いていない桜の木々を見渡しながら、話を続ける。


「この桜たちはすべて、人の手によって植えられたものです。多くの犠牲を出したいくさが終わったあと、ここを市民のだれもがくつろげる場所にしようと、人々が協力して、千本の桜を植えたのです」

「千本もあるのか!?」

「はい。今はもう少し多いですよ」


 片手を伸ばして、頭上に突き出ている桜の枝を捕まえては放し、捕まえては放しながら、サクラは歩いていく。ただたわむれているように見えたけど、よく見ると枝についた花芽をそっと指でなでていた。


「わたくしは、この桜たちが植えられたときに、桜たちの想いから生まれました。当時はまだ、さきの戦でまった怨念や悪霊がはびこっていましたからね。動けない自らを守るために、わたくしという存在を生みだしたのです」

「それじゃあ、サクラはずっとひとりで、千本以上ある桜を守ってたのか?」

「独りではありません」


 そう言うと、サクラは道をそれ、丘にのぼっていった。一本の桜の下に行って、幹に優しく手を触れる。


「この桜が、あの人と出会った場所です」


 そばに来たオレに一目もくれず、独り言のようにサクラはつぶやいた。

 そのまま桜を見上げ、話を続ける。


「わたくしには、怨念や悪霊を追い払う力はありますが、木を治す力はありません。虫に食われたり、病気にかかったり、寒さに負けたりして、枯れてしまった桜を何本も見てきました。けれども、人の手によって救われた桜もたくさんいます。薬をやったり、肥料をやったり、弱った枝を剪定せんていしたり。わたくしにはできないことを、人はやってくれるのです」


 よく見ると、サクラの見ている木は枝の一部が切られていて、その切り口になにか塗られた跡があった。

 サクラは木から手を離し、オレに顔を向ける。


「怨念や悪霊は、わたくしひとりで十分ですけどね! でも、桜を守っているのは、わたくしだけではありません。この街にいるたくさんの人々が、桜を想い、大切にしているのです」


 ほほえんでいる表情を見て、なんとなくオレはわかった。

 サクラはきっと、桜のことも、そして、人のことも大好きなんだろう。桜のことを守りながら、人のことも、たとえ自分の姿が見えなくても、ずっと見守っていたんだろう。だから、自分の姿が見えた人に出会えて、自分のあかしと人への想いを伝えたくて、プレゼントを渡したいって思ったのかもしれない。


「なにニヤニヤしているのですか……?」


 サクラは唇をへの字に曲げて、オレに言った。


「いや。サクラって、人のこと大好きなんだなって思ってさ」

「べ、別に……! 桜を守ってくれるのはありがたいですが、だからといって、わたくしはあのような身勝手な生き物のことなど好きではありません! 特に、あなたのような人のくせに人でなしな人は嫌いですからね!」

「そうなのか? あとサクラ、オレのことはあなたじゃなくて、『弟子』って呼んでいいぜ?」

「嫌ですよ、呼びづらい。というか、あなたさっきからわたくしのことを『サクラ』『サクラ』と呼んでいますが、わたくしは桜守さくらもりのアヤカシで、名前などありませんからね! 勝手に名付けないでください!」

「えぇっ? いまさらだな……」


 桜の木の下で話していると、通りすがりの人が不思議そうにオレを見ていった。

 フンッとそっぽを向いていたサクラは、なにかを思い出したように声を上げる。


「あっ! 久し振りにあなたのような話せる人といると、つい長話してしまったではないですか! 早く約束の場所に行かなくては!」


 そう言って、ふところから例の手紙を取り出した。


「約束の場所って、この公園のなかにあるのか?」

「いえ。近くの別の公園です。桜がないところなので、わたくしは行ったことがないのですが、ここを通っていけば近道のはずですよ」

「そっか。じゃあ、行ってみようぜ?」

「はい!」


 オレとサクラは、丘を降りて、また道に戻って進んでいく。

 ふと、背中にだれかの視線を感じた。


「ん?」


 立ち止まって振り返るけど、辺りにはだれもいない。気のせい、か?

 オレは前に向き直り、オレのことをまったく気にとめず歩いていくサクラのあとを追いかけた。




   *   *   *




「ここのようですね」


 サクラは手紙を見て、入り口のそばにある木に身を隠した。オレもそのうしろで隠れて、なかの様子をうかがう。

 約束の場所は、公園というより広い空き地のような場所だった。周りを木が取り囲んでいて、地面にはところどころ雑草が茂っている。遊具はなく、入り口の向かい側に古びたベンチが置かれているだけだ。人は、だれもいない。


「まだ、あの人は来ていないようですね。ではわたくしは、プレゼントをあのベンチに置いてきます。あなたはあの人が来るまでのあいだ、別の者にプレゼントが奪われないよう、ガードしていてください」

「えっ? オレが代わりに、直接渡せばいいんじゃないか?」

「ダメです! そんなことをやって、あなたがあの人と仲良くなっては困ります!」


 サクラはそう言って、木の影から出て、公園のなかに入っていった。プレゼントを胸のまんなかに抱きしめて、鼻歌まじりでスキップしていく。オレももう少し近くにいたほうがいいと思って、サクラのあとについていった。


「キュ? キュキュン……」

「どうした、クロウ?」


 公園のまんなかに差し掛かって、ずっとおとなしくフードに隠れていたクロウが不安げな声で鳴いた。オレは立ち止まって、首を回してうしろを向く。


「キュッ、キュッ……」


 クロウはフードのなかから顔だけ出して、くちばしを地面に向けた。


「下?」


 オレはクロウの見ているほうに目を落とした。雑草が茂ってわかりにくかったけど、まるでモグラが進んだように、地面の盛り上がっているところがある。周囲を見回すと、盛り上がりは幾何学模様を形作っている。


「これって……」


 スノウがよく使う、家の周りに結界を張る陣に似ている。

 次の瞬間、濃い紫色の光が、ボウッと地面から漏れ出した。


「サクラ!」


 オレは叫ぶと同時に走った。

 足もとから、黒い煙のようなものがあふれ出す。

 サクラはまだ気づいていないみたいで、ベンチの前に立って、プレゼントを置こうとしていた。オレの声に、手を止めて振り返る。

 そのとき、ベンチのうしろから黒い塊が飛び出し、サクラに向かって――。


「危ないっ!!」


 オレはサクラの腕をつかんで、横に飛びのいた。サクラの巻いたストールの端が、鋭利ななにかに切り裂かれる。


「な、何事ですかっ!?」


 サクラとオレは体勢を立て直し、黒い塊と向き合った。

 目で周囲をうかがうと、地面からわき上がった煙が、公園の周りをドーム状に取り囲んでいる。外の様子はまったく見えず、外からの音も聞こえない。


「ケラケラケラ、余計なヤツが入ったケラが、まぁいいケラ……」


 目の前からの不気味な声に、オレは視線を戻した。

 人くらいの大きさだった黒い塊は、みるみるうちに膨らんで、細長くなって、人の五倍ほどあろう大きさになっていく。

 無数の脚を持つヤスデのような胴体に、クワガタのような鋭いハサミ。


「サァ、あのときの仕返しケラッ!!」


 巨大な虫のような化け物は、キシキシと鋭利な音を鳴らしながら、咆哮ほうこうを上げた。




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