第3話 サクラの話
女の人の背には、悪い
その人は、そんなものが取り
『こぉおおおらぁあああああーーーっ!!』
わたくしは蟲めがけ、全速力で突撃しました。
わたくしの気迫に恐れおののき、蟲は慌てて人の背中から離れました。女の人はハッと動きを止め、握っていた枝から手を離してくれました。
わたくしは人の背後で立ち止まり、蟲が潜っていった土の上を踏みつけてやりました。
『まったく、無粋な蟲めっ! あなたもあなたです! あんな小物に取り憑かれるなど、どんだけ心が弱いのですか! もっとしっかり……』
わたくしはアヤカシですから、普通の人には姿も見えず声も聞こえません。そのつもりで、人に向かって言ったのですが……。
なぜか、人はこちらに振り返り、まん丸な目を、わたくしに向けてきたのです。薄茶色の
『ご、ごめんなさい……っ!』
人はビクビクと震えながら、深く頭を下げました。
『えっ……!? いやっ、あの……っ』
わたくしは少々慌てふためきました。周囲を見回しても、わたくしたち以外はだれもいませんでした。明らかにその人はわたくしを見て、声を聞いて、謝ってきたのです。
日々行き交う人々は見ていますが、目が合ったのは十年ぶり、面と向かって話しかけられたのは五十年ぶりくらいです。どうしていいのかわからずパニクっているうち、その人は言葉を続けていました。
『あたし、なんてことしてたんでしょう……。本当にごめんなさい! こんなこと、もう絶対にしませんっ!』
そう言って、その人は恐縮した様子で顔を上げました。
目の前にいるわたくしを見ようとして……。
『……あら?』
首を傾げ、キョロキョロと辺りを見回しました。
すぐそばにいるというのに。手を伸ばせば届くというのに。わたくしは、その目をしっかり
その人の目は、もう、わたくしを映していませんでした……。
『だれ……だったのかしら……?』
その人はつぶやき、わたくしに背を向けて、桜を仰ぎ見ました。
『……蟲め』
なぜわたくしの姿がその人に見えたのか、理由は定かではありません。ただ、ごくまれに、気候や角度の条件がベストマッチして、姿が普通の人の目に映ることがあるといいます。あと、小物とはいえ、コチラ側のものと触れてしまったことも、原因かもしれません。
けど、しょせん一瞬のこと。見間違い聞き間違いで済まされるでしょう。そう思い、この一件は忘れることにしました。
で、す、がっ! 次の日っ!
『あっ、あの人! また来たのですか!?』
昨日と同じ時刻に、例の桜に行きますと、女の人が立っていたのです。背中に蟲など憑いていませんでした。
その人はじっと枝を見つめていました。まるで目をこらせば、なにかが見えてくると思っているように。
『そこにはイラガの
そばで声を掛けましたが、その人は結局一言も口にせず、歩いていきました。
その次の日も。そのまた次の日も。その人は同じ時刻に、そこにやってきました。そして、しばらく枝を眺めて帰っていきました。
わたくしはまた、……よ、良からぬことをしでかさないかと思い、同じ時刻にその桜に行きました。枝に乗り、毎日、頭上からその人の様子を見ていました。
『また来たのですか? もう六日目ですよ? 平日というのに、学校とか会社とかないのですか? 暇人ですか?』
足もとにやってきた女の人に話しかけますが、いつもガン無視です。
わたくしは枝に手をついて、グッと身体を前に出して、その人を見ました。顔はノーメイクで血色が悪く、長い黒髪もボサボサ。服も灰色のパジャマみたいな物で、いつも同じ。年頃の女性で、顔立ちもスタイルも良いのですが、どうにも
『あなたは……、もう少し自分に気を遣ったらどうですか? 昨日、そちらのベンチでイチャイチャしていたカップルは、おしゃれに決め込んでいましたよ? 少しは見習って、紅をさしたり、髪を結んだり、スカートをはいたりすれば、その……、かわいいと思うのです、が……っ!?』
言っていると突然、その人はこちらに近寄ってきて、手を伸ばしてきたのです。そっと、わたくしの手に……いや、わたくしが手をついている枝に、触れて……。その枝を、ゆっくりと、なでて……。
『桜が咲けば、会えるのかな……』
その人は、焦点の合っていない目をわたくしに向けてつぶやき、手を引いて、去っていきました。
なんだかいつもよりも、さみしそうな顔をしていました。
そして、次の日。つまり、今日――!
* * *
バンッ!
と、大きな音を立てて、サクラは
「いつもの時刻にいつもの桜に行っても、あの人はいませんでした。けれども! あの人が七日前に折ろうとした枝に、これが結わえられていたのです!」
それは、細長く折りたたまれた白い紙。枝に結ばれていたからか、折り目がついて両端が曲がっている。
「開いてみてもいいか?」
「はい」
サクラはほおを紅潮させながらうなずいた。
オレは手紙を取って、開いてみた。スノウとクロウも、中身をのぞき込む。
『夕刻、ココに来て』
書かれていた文はそれだけ。黒いインクはかすれていて、ところどころ文字が震えている。文の下には、簡単な地図が描かれていて、その地図の一画に丸印があった。
「おそらくあの人は、わたくしを探しているのです。また会いたいと思っているのです。だから、桜に手紙を結わえておけば、きっと気づいて、来てくれるだろうと思ったのでしょう……」
さっきまで勢いのまましゃべっていたサクラは、急にしおらしくなって、そわそわと身体を動かす。カップを手に取り、水面に視線を落とすようにうつむいて、ため息を漏らした。
「けれども、あの人の目にはもう、わたくしは見えません。そこへ行ったって、わたくしはあの人に会えても、あの人はわたくしに会えないのです……」
淡く染まっていたほおは、静かに色をなくしていく。サクラはもう一度ため息を吐いて、それを
「ですから、あの人に『わたくしはここにいる』という
サクラは両手でカップをギュッと持ち、こちらへまっすぐ顔を向けた。
「なぁ、ひとついいか? なんで、宝石ならいいと思ったんだ? 『ここにいる』って伝えたいなら、手紙でもいいんじゃないか?」
「だって、薄っぺらい紙で書く文字など、風情がないではないですか。やるなら、もっとサプライズ的な、『ワァッ!』って驚くようなことがしたいじゃないですか!」
サクラはひざの上にカップを置いて、パッと両手を広げてみせた。まるで桜が満開になったところを表しているみたいだ。そして手を胸の前で軽く合わせ、楽しそうに話を続ける。
「人――特に女の人というのは、花や宝石といった、美しい物が好きなのでしょう? とはいえ、桜以外の花を贈るのはわたくし的に絶対嫌ですので、宝石にしようと思ったのです。淡いピンク色の輝く石が置いてあれば、たとえ偽物でも、あの人は驚いて、喜んでくれるかなと思いまして」
歌うように説明したサクラは、話し終わるとカップをソーサーに戻した。
居住まいを正して、ピンッと背筋を伸ばす。
「これで、宝石がほしい理由がわかったでしょう? というわけで、ください!」
サクラは両手のひらを上に向け、オレたちの前へ伸ばしてきた。
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