第9話 サプライズ
オレンジ色の空の下を、オレはサクラを引っ張りながら走っていく。
「ま、待ってください、どこへ行くのですか!?」
サクラはプレゼントを片手で胸に抱えながら、戸惑っているように問いかけた。
「サクラの会いたい女の人は、ずっと
「あっ……」
あのワザワイは、人の不幸を吸い取ったり、操ったりしていただけだ。人の命を削ったり、危害を加えたりはしていないはずだ。
サクラは納得したように声をこぼす。足を速め、オレの前に出てきて振り返った。
「こちらです。この町で一番大きな病院へ行ってみましょう」
行き交う人々を避けながら、サクラは走っていく。オレもそのあとに続いた。
しばらく行くと、大きな建物にたどり着いた。敷地に入り、駐車場の横にある歩道を走っていく。すると不意に、サクラが足を止めた。
「あっ」
サクラが視線を向ける先には、歩道の脇に植えられた一本の小さな桜があった。その根もとにだれかが立っている。
木の下にいる人も、こっちに気づいた様子で顔を向けた。オレよりも年上の、若い女の人。真っ白な着物に身を包んで、身体の向こう側が透けている。
その人は驚いたように胸の前で手を握った。輪郭がさらにぼやけていく。
「ま、待って! 待ってください!」
サクラが叫んだ。足を前に一歩大きく踏み出し、けど、ためらうように半歩引く。
「サクラ、渡すんだろ?」
「は、はい……」
オレは軽くサクラの背中を押した。
サクラは意を決したように顔を前へ向け、ゆっくりと桜の下へ歩んでいく。
「怖がらなくても大丈夫です。先日はいきなり怒鳴ってしまって、すみませんでした」
桜のそばで立ち止まり、穏やかな口調で言って、口もとを緩めた。
女の人は、ハッとなにかに気づいたようで、胸の前で握った手をほどいた。輪郭が少しだけはっきりと見えるようになる。
「あなたに渡したいものがあって来ました。でも、途中でいろいろありまして……」
胸の前に持ったプレゼントは、隠すでもなく、差し出すでもなく、中途半端な位置で止まったまま。サクラは包装紙を取り払い、箱を開けて、中身を見せた。
女の人は目を丸くして、何度かまばたきをした。それからサクラを見て、もう一度プレゼントの中身を見て、両手を伸ばす。
割れてしまったスイートポテト。その半分を右手で持って、もう半分を左手で持って、左手をサクラのほうへ差し出した。
「わたくしに……?」
サクラが
その瞬間、サクラのほおが、みるみるうちに桜色に色づいていった。
「はいっ!」
うわずった声で返事をして、差し出されたスイートポテトを手に取る。
女の人とサクラは、半分ずつのスイートポテトをそれぞれ口に含んだ。
女の人の顔はほころび、サクラも顔の周りに花が咲いたみたいになって、互いが笑顔になる。
「
不意に、サクラが口を開く。女の人にまっすぐ顔を向けながら、真剣な声で話を始める。
「人の力はすごいのです。きっと今も、あなたを生かせようと頑張っている人たちがいるはずです。だから、あなたも……」
片方の手が、女の人の手へと伸ばされる。
白い手を、励ますように握り締めようとした、その時。
「うわっ!?」
不意に、オレは後ろからやってきただれかにぶつかった。転びはしなかったが、身体がよろける。首を横に向けると、大きなバッグを持った一人の青年が、オレにぶつかった反動で同じようによろけていた。
「悪い。急いでるんだ」
青年は体勢を立て直してオレに言うと、慌てているように病院のほうへ駆けていってしまう。
「
去り際、病院のいくつもある窓に向かって叫ぶ青年の声が、耳に届いた。
「えっ? どうしました?」
サクラの戸惑う声が聞こえて振り向く。女の人が、走って行く青年の後ろ姿を、目を丸くしながら見ている。ぼやけていた身体の輪郭が、みるみるうちにはっきり見えるようになる。
女の人は、サクラの横を通り過ぎ、青年を追いかけるように駆けだした。
「えっ? えぇーーーっ!?」
サクラも叫びつつ、女の人を追いかけて走り出す。
そのまま青年と女の人とサクラは、病院のなかへ入ってしまった。
一人取り残されたオレは、辺りを見回して頭をかく。
「帰るか、クロウ」
「キュン」
オレが病院のなかへ入ったとしても、怪しまれるだけだろう。プレゼントは渡せたから、サクラも満足したはずだ。それにあの女の人も、きっと……。
オレはきびすを返して歩き出した。
風に揺れる桜の枝についた花芽が、夕日に照らされて、淡く色づいていた。
* * *
それから、しばらく経った日のこと。
「弟子ーっ! いつまで寝てるの! 早く起きなさーいっ!」
「はっ!? はいーっ!」
スノウの声に、オレはベッドから飛び起きて、急いで服を着替える。窓から見える太陽は、もう東の空の高いところに昇っていた。肩に乗ってきたクロウをひとなでして、屋根裏部屋から飛びおりる。
リビングの奥では、普段どおりサンタさんがロッキングチェアに揺られていた。
「サンタさん、おはよう! トナとカイもおはような、いてぇ!?」
スノウが腰に手を当てながら、目の前に飛んでくる。
「もう、弟子ったら寝坊よ!」
「おはよう、スノウ。悪い。最近あったかくなってきたから、つい……」
「言い訳しない! 早く朝ご飯を作る! それが終わったら、洗濯と掃除、そのあと宝石の回収だからね!」
「はい!」
スノウに急かされながら、キッチンに行ってエプロンを着ける。自分用の朝食に作っておいたホットビスケットを口にくわえて、手を洗う。パンを切ってバターを塗ってオーブンへ。卵を割ってフライパンに乗せ、ハムも並べて火にかける。
「
「なに言ってるのか、全然わかんないわよ……」
口を動かしながら、春キャベツのサラダを作る。
そのとき、いつも耳に届いていた、規則的に揺れるロッキングチェアの音が止まった。
オレは驚いて、顔を上げる。ホットビスケットを飲み込んで、声を漏らした。
「サンタさん?」
サンタさんがイスの動きを止め、顔を窓のほうに向けている。その目がうっすらと開いている。
オレは、サンタさんの見ているほうへ目を向けた。
「あっ」
視界に映ったのは、一片の花びら。
「桜? もしかして、あのアヤカシかしら……」
「サクラっ!」
「ちょっ、ちょっと待ちなさい、弟子!?」
オレはエプロンを放り投げて、玄関へ急いだ。扉を開けて、外へ出る。
目の前に広がっていたのは、雪のように舞う桜の花びら。地面を覆い尽くす花びらのじゅうたん。そして、満開の桜の大木。
一面の桜色に、オレは言葉を失って、息を
「お久し振りですね。咲いたので、自慢しに来ましたよ?」
桜の木のなかから、知っている声が聞こえた。
「サクラ? 来てくれたのか」
根もとへ走って近づくと、太い枝の上でサクラが腰をかけていた。
真っ白な着物を着て、濃いピンク色の帯を胸の下で締めて、肩には淡いピンク色のストールをゆるく巻いている。髪も黒色から薄桜色に変わり、桜の髪飾りが揺れていた。
「どうです? 宝石よりもきれいでしょう?」
サクラは得意げに言って、木の幹をやさしくなでた。
「あぁ。すげーきれいだ」
そう言って、思わず笑みが零れる。サクラもほおを淡く染めて、朱色に彩られた口もとを緩めた。
「なによ! ローズクォーツやパパラチャ・サファイアのほうがよっぽどきれいよ!」
「あっ、来ましたね、小さいの! いいえ、桜の花のほうがよっぽどきれいです!」
「まぁまぁ。どっちもきれいだと思うぜ?」
やってきたスノウを軽く手のひらで抑えて、オレはもう一度頭上を見た。
どう話を切り出そうか迷っていると、サクラから話を始めた。
「安心してください。あの人は、元気に生きていますよ」
サクラはオレから目をそらし、くちびるをとがらせる。
「聞いてくださいよ。あの人には、遠距離恋愛しているお相手がいたのです。それで、桜が咲いたらまた会おうと約束をしていたそうですよ。だからあの人は、早く桜が咲かないかと、毎日病院を抜け出して、公園まで桜を見に行っていたそうです。病が悪化して、一時は意識不明になったのですが、彼氏が会いに来たら急に目を覚ましました。それからは手術をして、無事に退院したのです」
サクラは一気に話をすると、ぷくっとほおを膨らませる。不機嫌らしいが、その顔はなんだかうれしそうだ。あの女の人のことを、あのあともずっと見守っていたのだろう。
「よかったな、サクラ」
そう言って、オレは自然と顔がほころぶ。
サクラはハッとこっちへ顔を向け、ぶんぶんと首を振る。
「よくありません! せっかくプレゼントまで用意したのに!」
「でも、渡せたじゃないか? あの人も無事だったんだろ?」
「そう、ですけど……そうですけどっ!」
サクラは歯切れ悪く言って、意味もなく身体を揺らす。サクラが身を揺らすたびに、近くの桜の花びらが宙を舞う。
オレは改めて、頭上を見て口を開いた。
「サクラ、ありがとな。サクラの顔見られて、オレ、すげーうれしいぜ」
病院から帰ったあと、きっと大丈夫だとは思っていたが、やっぱり心配だった。オレは修行があるからなかなか暇がなくて、サクラの様子を見に行くこともできなかった。そんなときにサクラから来てくれて、元気そうな顔を見せてくれて、それだけで、オレはほっとした。
「なぜ、あなたが礼を言うのです?」
サクラは、急に改まったオレに顔を向けながら、あきれたように肩をすくめる。
「なによ! 手伝ってあげたんだから、そっちもお礼くらい言いなさいよ!」
指のあいだからスノウが顔を出して、声を荒げる。
サクラがその言葉を振り払うように、プイッと顔を横に背けた。
「嫌です! わたくしはまだ、
「なんですって! この、無礼アヤカシーっ!」
「まぁまぁ、スノウ、落ち着けって」
スノウがオレの指にボコボコと八つ当たりしてくるから、少しだけしっかり抑えてやる。
「放しなさいよ、弟子! ワタシはあのムカつくアヤカシを蹴り飛ばさないと、気が済まないわ!」
「いてっ!? 十分オレの手を蹴ってるだろ? そのへんにしとけよ?」
「嫌よ! ていうか弟子……さ、触らないでよーっ!」
なぜかスノウはオレの手のなかで暴れ出す。
「ただ……。弟子――」
名前を呼ぶ声が聞こえて、オレとスノウは木を見上げる。
サクラはおかしそうに、片手を口もとにそえていた。
そして、和紙で隠れた目を、まっすぐにオレへと向ける。
「こんな愚痴を話せるのは、あなたしかいないのですからね」
そう言って、ほおを桜色に染めて、ほほえむ。
その顔は、あの人に見せていたのと同じ笑顔に見えた。
胸に込み上がってくるポカポカする気持ちを、言葉に変えてサクラに伝える。
「ありがとう、サクラ。さみしくなったら、いつでも来ていいぜ」
そう言って、オレはサクラと同じようにほほえんだ。
「なんですか、その言い方」
サクラはなぜか、あきれたように鼻で笑う。
「なによ、その言い方。素直じゃないんだから」
耳もとで飛んでいるスノウは、フンッと鼻息を鳴らして唇をとがらせる。
オレは肩に乗るクロウと目を合わせて、似た者同士のふたりに笑みをこぼした。
「まったく、面倒な友を持ってしまいました」
つぶやきが聞こえると同時に、風が吹いたように桜の枝が揺れ始め、花びらがいっせいに舞い上がった。
「ありがとう――など、短い言葉は風情がないではないですか」
ほほえむサクラの姿が、桜色で見えなくなる。視界一面を、花びらが埋め尽くす。まるでお祝いの紙吹雪みたいだ。
オレも、クロウも、そしてスノウも、その華やかな光景に歓声を上げた。
きっとこれが、サプライズ好きなサクラの、「ありがとう」ってお礼なんだろう。
「どういたしまして、サクラ!」
サクラの顔は見えず、返事もこない。けれども、ほおや頭を、柔らかい花びらがくすぐっていく。オレは手を広げて、くるりとその場を回った。
「なぁ、クロウ、スノウ! この花びら集めて、家でまこうぜ! サンタさんにも見せたいんだ!」
「キュンッ!」
「いいけど、その前に朝ご飯、早く作ってよね?」
「なにか作るのですか? わたくしも食べたいですー!」
温かな春の晴天に、淡い桜の花びらと、にぎやかな声が舞う。
【第二章 弟子と、桜守のアヤカシ 終🌸】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます