第6話 魔女の使い

 晴れ間の見えていた空が、再び真っ黒になっていく。空も雲も、まるで塗りつぶされるように、闇に覆い隠される。


「見ィつけタ……! ココが、サンタの家かイ……?」

「だれだ!?」


 弟子は立ち上がり、背中でわたしを隠すようにして、空を見上げた。

 カイもわたしの背後に立ち、「ブルル……ッ!」と警戒するように空を見上げる。


 四方から黒い霧が、わたしたちの頭上近くへ集まってくる。

 集まったそれは、まるで粘り気の強いペンキのように、音もなく、はなれた場所へ滴り落ちた。でも、雪に染みこむことはなく、かたまりが雪の上でグニョグニョと動いて、形を作っていく。


 家くらいの大きさがある、大きな黒いケモノ。九つの長い尻尾。すらりとした足。長い耳。丸い顔に、鋭い牙。そして、ピジョンブラッドをはめ込んだような、深紅のひとみ。

 キツネとも、オオカミとも、ヒョウともいえない怪物が、目の前に現れた。


「魔女の使いか……」


 弟子が足を一歩うしろに引き、わたしの身体に当たった。ハッとした顔で、こっちへ目を向ける。


「魔女の、使い……?」

「一番やっかいなやつだ。魔女は不幸をかき集めるためにワザワイをどんどん生み出して街に放つ。そのワザワイが、魔女の使いだ」


 みけんにしわを寄せながら話す。まるでにらまれているみたいで、怖い。


「にしても、でかいな……。こんなやつ初めてだ……」


 弟子がわたしから目をそらしてつぶやいた。

 もしかして、わたしが大泣きしたから……。わたしが、ワザワイを呼び寄せてしまったのかな……。


「ククク……。サンタは、居るかイ? アノ、忌々しいサンタクロースは?」


 さっきのワザワイとちがって、魔女の使いは余裕ありげにわたしたちにいた。後ろ足を曲げて座り、九つの尻尾を揺らし、前足をペロペロとなめる。

 弟子が、さきほど引いた足を、大きく一歩前へ踏み出す。


「サンタさんは今いない! 去年集めたワザワイも、浄化が済んでもうどこにもないぜ! とっとと魔女のもとへ帰れ!」


 声を精一杯強めて怒鳴った。もしもわたしに向かって言われたら、怖くて震えてしまうだろう。けれども魔女の使いは、フンッと鼻で一笑した。


「バカな子ネ。魔女様はワザワイを創れるんだヨ? サンタの集めるちっぽけなワザワイに興味はないサ」

「だったら、なにしに来たんだよ!」

「決まっているデショ?」


 魔女の使いは九つの尻尾を雪にたたきつける。それだけですさまじい風が生まれた。積もった雪が舞い上げられて、わたしたちの身体にぶつかる。


「クリスマスの邪魔者ヲ、今のうちに消すためサ?」


 牙が飛び出た口をにんまりと曲げて、魔女の使いは言った。


「クリスマスはネ、一年で一番不幸が集まる絶好の機会なのサ。不幸せな人からは不幸をたんまりいただき、幸せを感じる人には災いを送って不幸のドン底へ落としてアゲル。最高の幸せから落とした最悪の不幸は、甘美の極みサ?」


 魔女の使いは、口もとを舌でペロリとなめまわした。

 弟子が言っていたことを思いだす。ワザワイは人の不幸を糧にしていて、不幸な人のもとに行ったり、自分から災いをもたらして人を不幸にさせたりするって。


「こんな素晴らしい一日ヲ、サンタに邪魔されたくないからネ。今年は、前の日に懲らしめておこうト、魔女様がアタシを遣わしたのサ」


 魔女の使いは、ゆっくりと後ろ足を上げた。前足を伸ばし、ネコのようにウンと身体を伸ばす。


「いないのナラ、来るまでここで待たせてもらうサ? どうせ、隠れているだけでしょうケド。お前たちと遊んでいれバ、やってくるデショ?」


 そう言って、深紅のひとみが弟子を見下した。

 弟子は両手をギュッと握りしめ、魔女の使いに向かって叫ぶ。


「そんなことさせるかよ! サンタさんが来る前にお前を追っ払って、クリスマスの幸せは、オレが守ってやるぜ!」


 右手が、まっすぐ天へと伸ばされる。


「カイ! ユキを安全な場所へ頼む! 〈 Presentプレゼンツ 〉!」


 指が鳴る音が響く。

 と同時に、またわたしの身体が宙に浮く。

 カイがわたしを背中に乗せ、弟子から離れ、走り出す。


「クリスマスの幸せ? オレが守る? フンッ、バカバカシイ」

「〈 jack-in-the-boxジャック・イン・ザ・ボックス 〉!!」

「無駄なのサ」


 うしろから、弟子と魔女の使いの声が聞こえる。

 わたしが呼び寄せてしまったのかもしれないのに、わたしはなにもできない。逃げることしかできない。胸に締め付けられるような痛みを感じながら、カイの角をギュッとつかんでいた。


「だってお前ハ、目の前の子ども一人、泣かせているじゃないカ?」


 そのとき、走るカイの両側を、併走するように積もった雪が盛り上がっていった。猛スピードでわたしたちを通り過ぎて、行く手を阻むように、目の前で盛り上がりが止まる。

 そして。


 ガバッ!!


 雪のなかからでてきたのは、黒い二本の尻尾。


「きゃぁあっ!?」

「グルルル……」


 思わず悲鳴を上げる。

 カイが雪を踏みしめて止まる。


「ユキ、カイ!? 逃げろ!!」


 背後から弟子の声がした。

 振り返ると、弟子がこっちを向いて、わたしたちのもとへ走り出そうとしていた。

 さらにうしろでは、魔女の使いが口角を上げている。三つの尻尾が、弟子にねらいを定めている。


「弟子っ、うしろっ!? きゃぁああああっ!?」


 言うやいなや、わたしの視界が真っ黒になった――。


「……うっ」


 一瞬、意識が途切れていた。

 身体が痛い。足が地面についていなくて、腕とお腹がなにかに縛られている。

 わたしは、おそるおそる、目を開けた。


「起きたかイ?」

「っ!?」


 目の前にあったのは、魔女の使いの大きな顔。

 濃く濁った赤い目が、こちらを見つめる。口もとをなめまわす舌は、もう少しで届いてしまいそう。一本の尻尾がわたしの身体を縛っていて、身動きができない。


「イイ顔だネェ。聞いていたヨ? 親に捨てられたんダッテ?」


 口から吐かれる息が、わたしの髪を揺らした。

 恐怖が身体を支配する。声さえも出せなくて、止まりそうな息を吸うのが精一杯だった。


「やめろ!! ユキを放せ!!」


 うしろで弟子の声がした。やっとのことで振り返ると、三本の尻尾に身体を縛られ、宙に浮いている弟子がいた。そのうしろには、カイも、わたしと同じように縛られている。ふたりとも必死に身体を動かし、抜け出そうともがいている。


「無駄と言ったダロ!」

「ぐっ!? あぁああああっ!?」


 弟子の身体にもう一本の尻尾が巻きつく。四つの尻尾できつく締め上げられ、弟子が悲鳴を上げた。


「弟子っ!?」


 わたしは金切り声のような叫びをあげた。

 けれども、ただ叫ぶだけ。助けられない。なにも、できない……。


「ククク……。苦しメ! わめケ! その不幸こそが、ワタシたちの最高のご馳走サ!」


 耳もとで、冷たいわらい声が聞こえた。

 魔女の使いは、片方の目でわたしを、もう片方で苦しむ弟子を映しながら、話を続ける。


「どんなにサンタがワザワイを吸い込もうとも、人は幸せなんか感じちゃいないサ。子どももそう。プレゼントが欲しい物と違うと泣ク。兄弟姉妹で取り合いが始マル。次の日には、また別の物が欲しいと欲に埋もレル。そもそも、プレゼントがもらえない子だって、たくさんいるじゃないカ?」


 一瞬、魔女の使いの両目がわたしをとらえた。不気味な笑みを浮かべて、再び話し始める。


「たかが一日ワザワイを集めたからって、幸せダノ守るダノ、ほざくんじゃないヨ。わかるかイ? 幸せなクリスマスなんて、幻なのサ!」


 弟子の身体に、さらにもう一本尻尾が巻き付く。キリキリと弟子の身体を締め上げる。弟子の悲鳴が、空へ響く。


「……お願い! もうやめてっ!!」


 わたしは泣き叫んだ。命いをするように、魔女の使いに言った。

 けれどもわたしの声は、凍りつくような冷笑にかき消される。


「サァ、サンタ! どうしタ! 出ておいデ! 早くしないト、この子たちは、アタシガ食べてしまうヨォ?」


 そのとき、弟子の声が、途切れた。

 氷が胸に刺さったように、息を詰まらせて、わたしはうしろを振り返る。

 そこには、五つの尻尾に埋もれ、今にも力尽きそうな弟子がいた。わたしと視線を合わせた目は、今にも閉じてしまいそうなほど、虚ろだった。


「弟子……」


 わたしのせいで、弟子はすきができて、魔女の使いに捕まった。

 わたしのせいで、魔女の使いがここへ来てしまった。

 記憶のない、わたしのせいで。

 親から捨てられたかもしれない、わたしのせいで……。


「ごめん……なさい……」


 弟子から目をそらすようにうつむき、言葉をもらした。

 ほおを涙が伝う。とめどなく流れて、はるか下に落ちていく。

 苦痛。恐怖。後悔。そして、どこまでも深い闇に落ちていきそうな感覚。

 流れ落ちる涙といっしょに、なにもかも手放そうとした。


「……くな……」


 その時。


「泣くんじゃねぇえっ!!」


 弟子の叫びが、わたしの絶望を射抜く。

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