第2話 ここはどこ

 さっきまで寝かせられていたソファーの上で、わたしはフカフカの毛布を肩にかけて座っていた。


 さきほどの青年は「ちょっと待ってろ……」と消え入りそうな声で言って、床の掃除をして、部屋の隅にあるはしごを登っていってしまった。頭上から足音が鳴っているから、どうやら上に部屋があるみたい。


 知らない家で、知らない人と、二人きり。

 どうしていいかわからず、とりあえずあたりを見回してみる。


 壁も床も天井も、木でできているログハウス。ところどころに柱はあるけど、部屋に仕切りや扉はなくて、家のなか全体が見渡せる。

 わたしは家の一番奥にある、リビングのような場所にいた。ソファーの前にはガラス板のテーブルがあって、その向こうには一人掛けの小さなソファーとロッキングチェアが置かれている。前方には壁一面に本棚があって、左手側には火のついた暖炉が、右手側には窓がある。外はまだ吹雪みたい。


 首をひねってうしろを見ると、ダイニングテーブルがあって、向かい合うようにキッチンが置かれていた。さらに奥は、土間のように一段低くなっている。手すりのような簡単なさくがあって、シカのような動物が一頭いた。わたしと目が合っても、興味なさげに備え付けのエサを食べている。


「うぅ……いてぇ……、まだヒリヒリする……」


 と、土間の隅にかけられたはしごから、青年が降りてきた。どうやら服を着替えてきたらしい。

 紺色のズボンをはき、同じく紺色のタートルネックを着ている。その上から色のフード付きコートを、そでを通さずに羽織っている。ところどころはねた髪は、明るいクリーム色。

 紅茶を浴びた顔は、ひどくはなさそうだけど、少し赤くなっていた。


「あ、あの……ごめんなさい……」


 わたしはソファーにひざをついて、背もたれから顔をのぞかせながら言った。変なことをされて抵抗しただけだから、わたしは悪くないと思う。けど、ちょっとだけかわいそうって思ってしまう。

 最後の三段をとばしてピョンッと飛び降りた青年が、パッとこちらに振り向いた。


「いいって。それよりも、具合はどうだ?」


 子どもっぽい笑みを浮かべ、首を傾げてわたしにいた。


「え、えぇ。なんともないわ」

「ケガしてるところとか、痛いところは?」

「ないわ。大丈夫」

「そっか。よかった」


 会話をしながら、青年はキッチンに行って、なにかを作っていた。さきほど沸かしていたお湯を二つのカップに注ぎ、それらを手にして、こちらへやってくる。

 わたしはソファーに座り直した。片方のカップを差し出され、思わず受け取ってしまう。温かいカップの中身は、甘い香りのするココアだ。

 と、目を奪われていたら、ポンッと頭になにかがのった。


「ホント、ビックリしたんだからな。呼んでも揺すっても起きなくて、凍え死にしたかって焦ったんだぜ?」


 青年の温かい手が、わたしの髪をクシャクシャとなでる。


「だから、さわらないでっ!」

「いてっ!? あつっ!?」


 頭にのった手を、思い切りはらいのけた。

 青年は身を引き、その反動で、反対側の手に持っていたココアが少しこぼれた。カップを落としそうになって、慌てて両手でつかむ。

 この人、さっきのこと全然こりてない……。


「もう……。ここはどこなのっ? あなたはだれっ?」


 にらみつけながら訊いた。悪い人には見えないけど、わたしはまだ青年のことを信用していない。

 青年は困ったように、頭のうしろをポリポリとかいた。テーブルをはさんで、向かい側にある一人掛けソファーへ腰をおろす。


「だれって……こっちのほうが訊きたいぜ? お前、名前は? こんな吹雪のなかで、なにしてたんだ?」


 青年はそう言って、ココアを一口飲んだ。

 わたしは言葉を失ってしまう。うつむき、チョコレート色の水面に映る自分を見つめた。

 あどけない女の子の顔が映っている。でも……。


「思いだせないの」

「思いだせない……って……?」

「わからないの。自分がだれなのか。なんであんなところにいたのか。気がついたら、動物の背中にのっていて。ここに、連れてこられて……」


 ココアに映る顔は自分の顔のはずなのに、まったく見覚えがない。

 どんな家に住んでいたかも、どんな人といっしょにいたのかも、自分の名前さえも、わからない。


「記憶喪失、なのか……」


 つぶやく声が聞こえ、わたしは顔をあげた。

 青年は動きを止めて、表情を曇らせていた。けど、まばたきを一度した後、持っていたカップを置いて、わたしの前へ身を乗り出す。


「なぁ、ココア、出してみろよ?」

「えっ?」


 首を傾げ、いぶかしがりながら視線を送る。それでも青年は「いいから」と、ニコニコ笑って待っていた。

 両手で持ったカップを、そっと腕を伸ばして前へ出す。

 青年はカップの上に右手を伸ばした。いつの間にか、右手にだけ手袋をはめている。薄汚れた白い手袋で、手の甲には星の形が、手のひらには四つの四角形があしらわれていた。


「水面を見てろよ?」


 青年はそう言うと、カップの上で指をパチンッと鳴らした。

 すると突然、チョコレート色の水面に、点々とミルク色の丸が浮かび上がった。小さな粒たちは身震いをして、次の瞬間、パッと星の形になる。


「わぁっ……!」


 思わず、声がもれた。

 まるで、水面にお絵かきしているみたい。チョコレート色の夜空に、小さな星たちがたくさん浮かんで、楽しそうに体を揺らして輝いている。

 あっ、水面の中央を、ミルク色の尾を引いて星が一筋流れた。


「おっ、流れ星も見られるなんてラッキーだな。今日は絶対に良いことがあるぜ?」


 いっしょにのぞきこんでいた青年が、楽しそうに言った。

 顔を上げると、目が合う。とび色のひとみの奥には、ココアに映る星と同じ輝きが見えた。


「心配するな。オレが絶対に、お前を守ってやるから」


 そう言って、わたしに向かってクシャッと笑みを浮かべる。

 不安で、心細くて、でも警戒して緊張していた気持ちが、ふわりとほどける。

 胸が温かくなるこの笑顔、どこかで見たことあるような……。


「って、待ってよ! なによこれ!? 手品? ココアに変な物いれないでよっ!」


 わたしはハッと我に返って、青年に問い詰めた。ニコニコと笑みを浮かべているけど、人の飲み物に変な細工をするような人、信用しちゃダメだ。


「へ、変な物なんか入れるわけないだろ!? 魔法だから飲んでも平気だ」

「ま、魔法!? あなた、魔法が使えるの?」

「まぁな。他の人には内緒だぞ?」


 青年は片目をつぶって、人差し指を口もとに当てる。

 得意げに言っているけど、わたしの、彼に対する怪しさはどんどん増していく。


「もしかしてあなた、魔法でわたしの記憶を消して、ここへさらってきたんじゃないでしょうねっ!?」

「はっ!? そんなことするわけないだろ!」

「だったら、答えて! あなたはだれなのっ! ここはどこなのっ!」


 わたしはソファーから身体を伸ばして、青年に詰めよった。

 青年はわたしの声に身を引きながら、口を開く。


「落ち着けよ? まずここは、サンタさんの家だ」

「サンタさん? サンタさんって、サンタクロースのこと?」

「そっ。それは覚えているんだな?」


 青年はクスッと笑って、ソファーに腰をかけ直す。

 なぜかわからないけど、すぐに思いだせた。赤い服を着て、白いヒゲをはやして、トナカイが引くソリに乗って、クリスマスイブの夜に街へ行く――あのサンタクロースだ。


「じゃあ、あなたはサンタさんなの?」

「いや……」


 わたしの問いに、青年はすぐ首を横に振る。

 そして、突然立ち上がり、右手の親指を自分へ向けて叫んだ。


「オレは、サンタさんの弟子だっ!」

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