霧の中

 懐かしい声だ。或いは、夢の中で何度か聞いた声だ。


「カルラ、か」

「そうだ、オレだよ」


 何とも懐かしい奴の声を聴いて、俺は扉を開けようと手を伸ばして、止めた。


 喜びに震える指先を留めた物は、昔から感じていた違和感と微かな危機感。

 十年前のあの時、死んでいく仲間達を俺は見ていたが、カルラの姿だけ覚えていなかった。


「開けてぇのも山々だがな、お前本当にカルラなのか?」

「こんな嘘ついて如何するよ? 負け犬を名乗って何の得がある?」

「野郎が俺を殺す気になった、とかは如何だ?」

「自意識過剰だな」


 ああ、自分でもそう思う。


 お前じゃなけりゃ良かったんだがな、カルラよ……。


「じゃあな、なんでそんなに殺気が幾つも外で渦巻いてるんだ?」

「……」


 そうだ、扉越しに幾つもの意識を俺は感じ取っていた。迷宮で何度となく浴びてきたそれ。曲がり角の向こう、扉の向こうの玄室の中、そして深淵の彼方から浴びせられたそれ。殺気。


「一線を退いて長いってのに、相変わらず大したスカウト能力だ」

「アルバンの差し金か?」

「ああ、姫様との婚礼話が本格化するんでな、過去の清算だとさ」

「お前は、あの時からアルバン側だったのか?」


 問いかけに僅かに沈黙したのちに、ああと肯定が返ってきた。


「外に出ろよ、イーネス。恩人の命まで危険にさらす事はない」


 そう語ったカルラの言葉は、どこか悲しげに響いた。



 俺は一度部屋に戻り、もう身に付ける事のないと思われた嘗ての装備品を身に纏う。


 頭と口元を負う頭巾、額にあるのは剣を受け止める鉢金はちがね。斑に黒ずんだ血痕が残る黒革の籠手と具足に黒色の上衣と袴。本来は服装からして違うらしいが、これが俺の装備品だ。


 懐には流れ星シューティングスターと棒手裏剣、右手には苦無が俺の武器だ。剣が無くとも俺は魔物を殺せる。無論、人間も。


 オヤジの高いびきが聞こえる部屋に一礼して、足音を立てずに外へと出る。店の入り口から堂々とだ。


 途端に飛来する矢は、晴れてりゃ俺を射抜いたんだろうが、生憎の霧の中。まして、明かりも持たない黒尽くめだ。的は絞り辛いようで、俺の脇の壁に数本突き刺さったのみだ。後は何処に飛んだやら。


 霧の深い日は白が良いんだろうが、生憎とそんな色の服は持ってない。夜が明けたら目立つしかないこの黒尽くめで勝負を決するしかない。


 

 俺は建物の死角を利用しながら霧の中を駆け回る。最初の斉射以外は、如何にも単発的な攻撃しかしない敵に訝しみながら、一人、一人と棒手裏剣を投げて傷を負わせる。


 殺す気はない。所詮は使いっ走り。こいつらを殺してもアルバンには痛くもかゆくもないだろうし、無駄に恨みを買う事になる。それに……棒手裏剣は殺傷力に乏しいから、トドメを刺しに近づかなきゃならない。こいつは結構危険だ。


 接近戦をするには、俺の防具は布一枚だし、相手にはカルラもいる、あのサムライが。


 サムライ。東の地じゃ、いわば騎士様の様なものらしいが、この地じゃサムライは魔法剣士と同義だ。俺のクラスが東じゃスパイの様なものだが、この地じゃレンジャーとモンクを混ぜたような物だと言うのに似ている。


 同じ東の地が発祥のクラスだったからか、俺達は馬が合った。戦い方はだいぶ違うが、コンビネーションは抜群と言えた。


 二人で迷宮の魔物をよく倒して回った物だ。そのカルラが今は敵なのだ。


 怒りや理不尽さに我を忘れそうになるが、師匠が語った言葉を思い出して心を平静に保つように努める。


(怒りに心を奪われるな、怒りは四肢に込めて動きの糧とすべし。己を見失えば必ず負ける)


 霧深い街中を縦横に駈けながら、敵の居場所を探り棒手裏剣を投擲する。今の所、流れ星シューティングスターを使わせるような奴は居ない。投擲に合わせて殺気がだんだんと絶えていく。


 あまりに脆い。


 一体どんな罠がある? そう訝しみながらも俺は動くのを止めなかった。壁を蹴り、屋根に上り、放たれている殺気、今となっては最後の一つへ最後の棒手裏剣を投げ放った。


 キィンと硬い金属音が響く。剣が手裏剣を弾いたか。相応の使い手かと身構えると、屋根上だと言うのにみるみる殺気は近づき、斬りを引き裂く下段のからの一撃が俺に襲い掛かる。


 認識した時には、俺の体は後方へと飛んでいた。あの剣は間違いない……カルラだ。そう認識した俺の体は、間抜けた事に民家の屋根と屋根の間に落ちていく。


(くそっ! 何たる凡ミス!)


 無意識に攻撃を避けた動作だったが、昔ならば問題なく屋根へと着地できただろうに、ブランクの所為で落ちてしまっている。このまま下に落ちれば、足に怪我を負うだろう。それは死を意味する。


 俺は必死に苦無を民家の壁に突き立てて落ち無いように足掻く。或いは衝撃を殺そうと。苦無が付きたてられた木の壁が無理やり引き裂かれて大きく鳴いた。


「如何した? 『真夜中の霧』の二つ名が泣くぞ」


 カルラの揶揄する声が響く中、俺は如何にか中二階辺りで落下を止めた。屋内で俺がたてた物音に目を覚ましたのか、物音が響いている。見られても厄介だ。慌ててその場を離れ、反対の民家に跳躍する。2メートルほど先にある壁を蹴り、斜め上方に飛べばカルラが居る屋根に手が掛かる。一気に登り切れば、油断なく周囲を見渡す。


 ……カルラはゆったりとした足取りで迫ってくる。霧深く人影で判じるしかないが、あの身のこなしはカルラだ。向こうも私の姿を確認したのか、再び霧を引き裂き走りくる。


 屋根の下で住人が灯りをつけて周囲を伺う声が響く。その間も迫るカルラ。俺は屋根に上り切った姿勢のまま迫る人影をじっと見つめていた。


(来いよ……一発は殴ってやる)


 仲間の仇、嘗てのコンビ、そして……。


 さまざまな思いを胸に抱きながらも、俺は師匠の言葉通り己を見失わず、時を計っていた。

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