7 ガールズトーク

 食堂から離れた厨房近くのお部屋。メイドやボーイの待合室らしい。

 簡素なブナの木の机に、タイルづくりの洗い場。くすんだ壁にはエプロンや背広がフックにかけられている。

 豪勢な作りのお館だけど、召使いの部屋なんてみんなこんなもん。表があれば裏があるってやつね。

 

「とりあえず、そこに座りな」

 

 今は誰も居なくて、私とデジレの二人きり。他の人たちは私を避けちゃったのかな。

 私は奥歯を噛み締めて表情を保とうとしていた。悲しい感情が今にも氾濫しそうだけど、誰にも晒したくない。

 そんな、哀れな私をまじまじと見つめるデジレ。仕事のときの表情なのか、能面みたいに揺るがない。

 

「ウウウゥ……」


 やっぱり、こんなことをしでかした私を怒るのかな。それは当然かも。

 だって、テーブルマナー以下の問題で、貴族の振る舞いとしては失格点だわ。

 気品のある人達の中で、私は絶対にやってはならない粗相をしてしまったのだもの。


 あのお兄さんは、最後まで私を心配してくれたのかな。

………だめだ、いろいろ考えがぐちゃぐちゃになってわけ分かんない。

 

 

「ごめん、配慮が足りなかった」



「……ガゥ?」

「ジャンが食器持てないの分かってたのに、何もしてやれなくて本当にごめんね」


 申し訳なさそうに苦笑いをするデジレに私は驚いちゃう。

 上目遣いで見つめる私の鼻のさきっちょを、人差し指で優しく撫でくれた。

 

「みんな、ジャンをいじめたいとか、そういうのはないんだ。

 あれでも、客人として迎え入れようって心構えはあってだね。

 私だってそう。ジャンのことを仲間外れにするつもりは毛頭ないんだよ」


 だって、私はバケモノなのに。みんな、気味悪がるのが普通じゃない。それぐらいは分かってるし、覚悟はしてる。

 でも、いざみんなの前であんなことをしちゃったら、私は牢屋の中に居たときと同じまま。

 人間のフリも出来ない、出来損ないなんだから。

 

「人間にも向き不向きはある! 私に上品さというものがないようにね!

 みんな、なにかしら出来ることと、出来ないことがあるんだよ! それが人間だ!」

「ウグゥウウ」


 慰めの言葉を言ってくれるけど、そもそも私は人間じゃないし。だから、そういうのは意味ないって。

 悩み始めるとずっと悩んでいられる。下を向いたまま、足元に出来た絶望という底なし沼に沈んじゃいそう。


「ジャンの癖に文句言うんじゃないよ! ほら、ぎゅーってしてあげるから機嫌治しな!

 いつもこれで、大人しくしてたでしょ。ほれほれほれ」

「ンギュウウウウウウ!!?」


 だからって、犬みたいにあやすのやめて欲しいわ! デジレのそういうところガサツよ!

 ぎゅーって、わしゃわしゃーって! いっぱい、抱きついて、髪を撫でてくれて。

 デジレの胸の中に私の顔が挟まれてて、すっごく暖かい。一緒にお風呂はいったからなのか、石鹸のいい匂い。

 なんでかな、そのまま鼻を埋めてスンスンと匂いを嗅いでしまうの。それも、とっても落ち着いてしまう。

 

 

「失敗の1つや2つでへこたれちゃいけない。そりゃ、失敗したら悔しいし恥ずかしい。

 でも、不器用に生まれてきちゃったんだったら、失敗して覚えなきゃいけないんだよ。

 だから、気にするなってことさ」



 あやすように私の頭を撫でてくる。そして、優しく語りかけてくれる。

 今までずっと、自分は怒られてばっかりだったから。

 不器用で醜い自分を肯定してくれるこの言葉にときめきを感じちゃった。


 私はバケモノの体になってから、普通の人間なら出来ることが出来なくなってしまった。

 触ったものを全て壊しちゃうんだから無理もない。

 自分が破壊者であることを受け止めていたつもりはあったけど。


 いざ自分の不器用さをさらけ出すと、この上なく恥ずかしくて仕方がなかったわ。

 ああ、私はまだ自分を受け入れきれてなかったんだなって。

 

「ウニュゥウ……」


 グルルルルッ………とお腹の音が鳴る。少し落ち着いたら、なんだかお腹が空いてしまったわ。


「安心したらお腹が空いたのか、それともご飯前だったからかな?」

「ウゥウ」

「恥ずかしがらなくてもいいよ。それに、ちゃんとご飯あるから安心しな」


 その後、2分ほど待った。私はじっと机を挟んで目の前にデジレに目配せをする。

 デジレもニコリと機嫌よく笑って見せた。なんだか、ちょっと恥ずかしいわ。

 

「ご飯持ってきたよー」


 扉がガチャリと開く音がする。すると同時に良い匂いが漂ってきた。

 デジレとは違う、赤毛のメイドさんがサービスワゴンを持って来た。


 そこには焼き立てのバケットと、前菜のシーザーサラダ。

 先程の赤ワインに、湯気だったオレンジ色のビスクスープ。

 

「ありがとう、ルイーズ。ジャン、さっき食べれなかった料理を持ってきたわ」

「この子が例の……デジレの言う通り、美少女ね。ハァイ~ジャンちゃん。私はルイーズって言うの。よろしくね」

「ウウ、ウウー!」

 

 だから、ジャンじゃないってば! そう訂正しようにも上手くしゃべれないものだから、反論できないわ。


「最初は前菜……どうやって食べようか」


 そう、どうやってご飯を食べるか。今の私ではまたこぼしちゃうし。お腹が空いたなぁ。

 

「大丈夫。私が食わせてあげるから」


 デジレは私の隣までやってきて、椅子に座った。

 お皿に載っけられた茶色くカリカリに焼かれたバケットをちぎり、私の口元まで寄せる。


「ほら、これならこぼさずに食べれるんじゃない?」

「ウウ!」


 思いもよらなかった。そう、私の手が不器用なら、こうやって食べさせてもらえば良いんだ。

 牢屋に居た時は、犬のように体を縮めて、口だけで食べてたから。

 

「モグモグ……ウア!!」


 とても美味しい!! 牢屋に入ってたときの黒パンなんかとは違う。

 暖かくて出来たてのバケットは小さい頃の記憶を思い出させてくれたわ。

 

「バターもたっぷり塗ってあげる」


 四角いバターの切れ端をバケットの白い部分に塗り、私の口に運んでくれたわ。

 むしゃりむしゃりと食べながら、このお上品なものを美味しくいただく。


「ねえ、ジャン。私達もちょっと食べていいかな?」

「ウァ? ウウウ!!」


 私は頭を振りかぶる。もしかして、これ目当てじゃなかったのかな。

 

「やった! こういう料理ってなかなか食べられなくてさ。一口だけ貰うよ」

「デジレだけずるい! 私も!」

「ガウ!」


 どうぞどうぞと私は再度頭を縦に振る。

 ルイーズは現金にも喜びの表情を浮かべた。

 

「ほら、サラダもちゃんとお食べ。

 このビスクスープは上等なナドレエビをじっくり煮込んで作ってるから、美味しすぎて驚くかもよ~」


 口にスプーンで掬ったスープを飲みながら、舌でじっくりと濃厚なスープの味を確かめる。


「ズズズズ……ン、ウァ、ウアアアア!」


 エビの独特な旨味と、プリップリとした食感。あっつあつなスープの美味しさに感嘆の言葉をあげちゃった。

 ついでにデジレもルイーズもスプーンで一匙すすり、とても幸せそうだわ。

 

「うん、うまぁい! ああ、やっぱ特権階級の料理は別格ね!

 ルイーズ! 次のメインディッシュを持ってきて!」

「人使いが荒いなぁ。まあ、ご相伴に預かれるし、文句ないよ」


 再度キッチンに戻ってから、ルイーズが料理を運んでやってくる。

 子羊のステーキにかけられたデミグラスソースの匂いが鼻腔を刺激し、グルルルっとお腹が鳴った。

 

「こんなお肉、めったにお目にかからないよ! いやはや、ジャンはこんなの食べれていいなぁ」


 キリキリとナイフで肉を切り分けてから、私の口元に運んでくれる。

 ステーキが近づくと、更に美味しい焦げた匂いが立ち込めた。

 

「アグ、ムシャ、ムシャ……ガウ、ガウゥウウ~!!」


 ミディアムレアで焼いた赤みと共に、柔らかい歯ごたえで舌が溶けそうだわ!

 私が貴族として生活してた時よりも、とても上等なお肉。ああ、こんなの初めて!

 

「匂いもソースで消してあるし、ガーリックもいい感じ! 人参もマッシュポテトも、とっても美味しいね」

「アウ、アウウ!!」


 コクリコクリと頭を動かし、2人のメイドと一緒に美味しさを享受したわ。

 うん、うん! なんて幸せな時間なんだろう。

 

「これで、ワインも一緒に飲むと、苦味のアクセントが効いてすっごく美味しいよ」


 先程こぼしてしまったワインに私はちょっと眉をひそめてしまう。でも、飲んでみたい。

 デジレは服が汚れないように前掛けをツケてくれた。グラスを口に付けゆっくりと流し込んでいく。

 

「ウウゥ!」

「私もちょっと飲んでみようかな……さすが14年物。安物とは味が別格だわ」

「ずる~い! 私も飲む!」


 瓶に入ったワインをルイーズがコップに注ぎ、クイッと飲み込む。舌を動かしながらテイスティングをしているようだわ。


「やっば、これ本当に美味しいわね……渋みもない、上品すぎる味だわ」

「ウウ~アウ!」


 女3人で料理を食べながら一緒に喜びを分かち合う。少々品が無いかもしれないけど、これ以上ない幸せだった。

 多分、あの厳格な雰囲気の場所にいたら、こんなにも楽しく振る舞えなかったかもしれない。

 こればかりはデジレとルイーズに感謝しなくちゃいけないわ。

 

「食後のデザートは、いちごタルトとコーヒーだ! コーヒーは新大陸の美味しい豆を使ってるから」


 新大陸、話には聞いていたけど、どんなところなのかしら?

 そんなことを考えながら、私はタルトの切れ端を食べさせてもらう。

 ちょっと酸味の聞いたいちごがとても刺激的で、身震いをしてしまうの。

 ああ、お料理ってこんなにも人を幸せにしてくれるだなんて、生きててよかったと、素直に思っちゃった。

 

「神よ、今日この日の贅沢に感謝いたします……」


「ちょっと、ルイーズ! お祈りしちゃだめ!」

「アウ?」


 お料理を食べ終わったら、ちゃんと神様に感謝しなくちゃいけないわ。

 私が子供の頃にはちゃんとやってたもん。でも、牢屋に居た時はしなくなっちゃったなぁ。

 

「ごめん、ついやっちゃった……誰かに言わないで」

「分かってるよ……こんなのアカデミア派に見つかったら、懲役物だし」


 アカデミア派? 一体、それはなんなんだろうか? それに、神様に祈っちゃだめって。

 


「ミーシャ、覚えておきな。この国は宗教が禁止なんだ」



 釈然としないことを言われて、私は少し混乱してしまう。

 牢屋に居たときとは違う、この世界は大きく変革しちゃったってことなのかな。


 私はまだまだ、この世界に慣れていない。だからこそ、私は学んで生きたい。

 だって、この世界はまだまだ楽しいことが一杯あるって、お料理を食べて知ってしまったから。

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