6 ふがいないや

 お風呂でさっぱりした後、私はデジレの後に付いてく。

 赤い絨毯が敷き詰められた廊下を歩く。オレンジ色の照明で照らされた、灰色の壁をまじまじと見る。

 貴族の人たちの写実的に描かれた肖像画が並んでいて、美しい油絵が私の興味を引いた。

 懐かしいなって。お家で見たのと似ている。

 

「ここが食堂よ。今日はみんなでご飯を食べるの。

 ちょっとした歓迎のディナーだから、少しだけ贅沢なお料理が食べられるわよ。

 私は残り物しか食べられないけど、とても楽しみ」


 るんるん気分のデジレに対して、私はドキドキと胸の高鳴りを止められなかった。

 こんなに丁寧に扱われたのって久しぶりで、私は外に出て良かったなって心から思える。


 オーク材の扉をデジレが開いてくれると、真鍮製のシャンデリアが垂れ下がった広い食堂があった。

 

「ウゥウウウ!!」


 大きな長方形のテーブルに、立ち並ぶ革張りの意匠を凝らした椅子。

 シミひとつ無い白いテーブルクロスの上には銀細工のろうそくや、バラの花が小さく描かれた白磁のお皿が並ぶ。

 フォークだってナイフだって、銀製でキラキラと光っていて美しいわ。

 

「オゥ……」


 私はあまりの豪華さに、あっけにとられてしまう。

 暖炉や大角鹿の首の剥製、大きな鏡面にゴシック模様が描かれたワインレッドの壁紙がとてもシックで。

 自然と目移りしてしまったわ。まじまじと見てしまうのは、ちょっとはしたなかったかも。

 

「今日はジャンが主役だから、一番奥の席に座りな。上座よ」

「……ウッ!」


 昔はお父様が上座に座っていたっけ。その横にお兄様やお母様が並び、私は下座の方だった。

 こういったマナーは貴族のたしなみ、久しぶりに色々思い出してしまうわ。楽しい思い出も、苦い思い出も。

 

「お手手邪魔にならない? もうちょっと椅子引く?」

「ウウウ」


 デジレが私の椅子を引いてくれた。そこにちょこんとお尻を乗っけるけど、思った以上に大きな手が邪魔だったわ。

 気を利かせてくれたのか、デジレはうまい具合に調整してくれた。

 

「しかし、どうしたものか……」

「アウ?」


 深刻そうに首を傾げていて、なにか言いづらそうな感じだった。

 無遠慮に私のことをジャンと呼んでるくせに、よそよそしい。

 私はくいっとデジレを見上げると、不安げに視線を合わせる。更に申し訳無さそうな表情をするのね。

 


「その、ジャン。そのお手手で、フォークとナイフが使えるの?」

「ア、ウゥ………ウァァ」



 そうだ、私。ありとあらゆるモノを切り裂いちゃうお手手だったわ。

 

 □   □   □

 

 夜の帳を映し出す金枠のガラス窓。高い天井は私の心まで吸い込んでいきそうで。



「皆様おまたせしました。当館の管理者であるフーキエと申します。

 今宵は新しい客人として、ミーシャ・ペトラルカ様と、フランク“陸軍”のエミール・スーシェ少尉殿を迎えることになりました」

 

 歓迎会の挨拶を威勢のよい声でこなすフーキエさん。とても、様になっていて……

 かっこいいけど、むしろ私は今にも心臓が破裂しそうだった。

 カタカタと震える肩を抑えて、私は引きつった表情を歯噛みすることで隠そうとする。

 そうだ、まっすぐ見よう。視線を逸らさないようにしなきゃ。

 

「この館は由緒正しい、フランクの顔とも言うべき迎賓館になっております。

 それ相応の身分がなければ、この館に足を踏み込むことも出来ないでしょう。

 だからこそ、このお二方は高貴なるものとして、我々召使いたちは敬意を持ってあなた方に尽くします」


 エミール先生はキリっとした顔でお話を聞いている。背筋もぴんと張り詰めていて、とても様になっているわ。

 でも、私は猫背のまま長く居続けたせいか、背中が思うように伸びない。

 なんとか顎を引いて顔を上げるけど。多分、不格好なのかもしれないわね。

 

「さて、挨拶も程々にしておいて。これから私達の今後を祝って、乾杯!」

「「「「乾杯!」」」」」


 赤ワインが注がれた透明のグラスをつまみ、皆各々持ち上げる。

 でも、私、どうすればいいの? みんなと、同じようにしなきゃ。そう、多分、ちゃんと、爪先で持ち上げれば―――



―――ガキンッ!



「ウァア!?」


 真っ二つに折れたワイングラスから、葡萄色の水しぶきが飛び散る。

 あっけにとられた人たちの顔。この瞬間がスローモーションのように長く感じて、慌てて杯を手で受け止めようとする。


「キャウウウ!」


 右手でなんとかカップの部分を掴むけど。

 ぎゅっと握ってしまったせいで、指の股からガラス片と共にワインが吹き出してしまう。

 バシャ!って……ポタポタと水滴したたる手をまじまじと見つめた。

 

「ウゥ、ウァアア………」


 あたりは静寂で埋め尽くされる。私の目の前には赤く染まる白いテーブルクロスと、ワインが注がれたお皿。

 そして、せっかく着替えさせてもらったお洋服が赤黒いシミで広がっていく。

 スカートからも、血のように床へと流れ落ちていって。台無しだわ。

 

「ウウウゥ……ウアッ」


 周りから冷たい視線が私の心を射抜く。まるで、まるでお父様やお母様みたいに。

 私はまた、皆から軽蔑されるのだわ……私はケダモノなのだわ。この世の中にいらない存在なんだ。

 

「ヒック、ヒック………」

 

 がんばって、涙をこらえようとする。でも、顔を上げられず、私はじっと膝を見つめてしまう。

 これ以上、私は無様な姿を見せたくない。けれど、羞恥心と劣等感の板挟みで、心が耐えられない。

 

「ウゥ、ウェ……グズッ、ア、アウゥ」


 歓迎の空気もぶち壊しちゃって。その上、泣きわめくなんて出来ない。しちゃダメ。

 だって、これ以上失態を重ねたら、みんな、私に失望して、所詮この程度だって思っちゃう。

 けど、こんなの耐えられないわ……っ。不出来な自分がこの上なく恥ずかしい。

 

「大丈夫? ミーシャ。今ナプキンで拭いてあげるから。後でしみ抜きすれば大丈夫だよ」


 がたりと席を立って、お兄さんが私の元へやってくる。

 茫然自失の私の代わりに、ナプキンで手際よく私のお洋服を拭いていく。

 飛沫で濡れた頬を丁寧に拭ってくれて、腕を持ち上げてくれた。

 

「お手手大丈夫? ガラスが刺さって……」


 刺さるわけがない。ガラスごときで私のこの、あらゆるモノを圧壊する手が傷つくわけがない。

 私はじっと、一生懸命に私の体を拭うお兄さんの顔を見る。その表情は不安げで、どう見ていいのかわからない。

 心配してくれてるのかな? 周りの視線を気にして焦ってるのかな。それとも、どっちもかな。

 

 

「ガラスの処理は私めがやりますので、少尉殿は席にお戻りになられてください」



 ちりとりを持ってきたデジレがやってきた。すばやくガラス片を片付け、テキパキと後処理をこなしていく。

 

「しかし、この子は私が―――」

「少尉殿はこの歓迎会の主役の一人なのです。ここで席を外してしまえば、ジャン……ミーシャ様の沽券に関わるかと」


 ぽんぽんと肩を叩くデジレ。くいっと首を引く。多分、立ち上がれってことなんだろう。

 片膝をついて私を見上げるお兄さんから視線を外し、私はデジレに連れられてこの場を離れていった。

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