2 軒下のモンスター

 バチスタ監獄の闇深く。独房に閉じ込められ、誰かに話すことも出来なくなってしまった。

 思考はまどろむように鈍り、どうしようもない寂しさが襲ってくる。

 でも、この怪物となった私には寂しさを紛らわす何かは与えられなかった。

 

「飯だ。モップと一緒にここに置いておく」


 いつもどおりに牢に入っていく看守。私はこの人と話すことを禁じられている。

 たとえ、私が話しかけても、一度も会話らしいものをすることはなかった。

 

(召使いめ。余の娘を蔑む目をしておった)


 最初は自分の境遇を嘆いてた。魔王になっちゃったのがそもそもの原因だったから。

 何度も自分の中にいる魔王に八つ当たりしたけれど、魔王は申し訳なさそうに言うの。

 

(すまなかった、我が娘よ。余は、余はお前を守りたかっただけなのだ……)


 これは本心なのだろうと、分かるまで時間がかかったわ。

 でも、こうなってしまった以上、私はどうこうすることもできないと悟ったの。

 今ではそれを受け入れていて、私はこの体に居る魔王を許すことが出来た。

 けど、バケモノである自分自身は相変わらず嫌いだわ。醜いんだもの。

 

(今日はどんなお話をしてくれるの?)

 

 唯一、話せる相手は心の中にいる魔王しかいない。結構おしゃべりさんな魔王だった。


 この魔王の名前は雷帝グロズニュイ。三代目の魔界の王であり、歴代の中でも最強と謳われていたらしい。


 なぜ、私に取り憑いたたかを聞くと意外な答えが返ってきた。

 

(お前は我が娘の生まれ変わりなのだ。たとえ人間だとしても、余の寵愛を受けるべき存在だ)

 

 どうやら、私は不遇な死に方をした魔王の娘の生まれ変わりで、娘を守るために取り憑いているんだって。

 ありがた迷惑だなって思ったけど、話していればなんとなく愛着も湧いてきた。


 暇つぶしに色々と魔王から自慢話を聞いたわ。それが人間が紡ぐ英雄譚とは逆の話だから、とてもユニークで面白い。

 やれ、他の魔王候補を根絶やしにしてみせた。先代の魔王から王位を簒奪した。魔界に紛れ込んだ天使を、勇者を殺した。

 なんだか、野蛮なお話だったけど、不思議と聞き入ってしまうの。


(うん、仕方ないよ。私はバケモノだもの……ここに居なきゃいけないわ)

(この檻を破り、人間に復讐したいと思わぬか? 悪辣の限りを尽くし、人を支配したくはないのか……お前には詮無きことか)


 カチカチに固まった黒パンと冷めきったコーンスープ。今日はおまけに木苺が載せられていた。

 私はそれを屈んで、口だけで咀嚼する。食器を握ることができないから、犬のようにブサイクながらもこう食べるしかない。

 口からご飯がこぼれていくたびに、私は人ならざる者であることを自覚してしまう。

 

「グチャ、グチャ………ウウウゥウ」


 心の中では幾度も話しているけれど、長い間口から声を出さなかった。

 だから、話し方を忘れちゃって、獣のように唸ることしかできなくなってしまう。言葉を出そうにも喉がつっかえるわ。

 

「アゥウウ」


 ベトベトに汚した灰色のエプロン。1ヶ月に1回だけ新しいものを渡される。だから、とても着心地が悪かった。

 桜色の自慢の髪も今では地面にへばりつくように伸び切ってゴワゴワで、体は垢まみれ。

 浮浪者よりも醜い容姿。人間の生臭い異臭が漂う。でも、慣れてしまった。

 

「ウッグゥウウウ」


 水の入ったバケツからモップを取り出す。いつもどおり、床を濡らし掃除する。

 これくらいしか体を動かすことがなく、排水口にドロドロと糞尿と垢が流れていく。でも、臭いはとれない。


 残りの水で体を洗うけど、焼け石に水だわ。垢がこびりついてて、ちっともとれやしない。

 でも、魔王の体を持った私はとても頑丈で、不衛生なのに病気にかかったことは一度もなかった。

 

「オソト……オゥウ」


 松明の炎だけが照らす地下牢獄には、太陽の光なんて入ってくるわけもなく。

 腐臭が涼しい風と共に吹いてきて、とても寂しい場所だわ。

 いつか、お外に出てみたいとは思うけど、今はただじっとしていたい。


 きっと、家族の誰かが私を引き取りに来てくれるんじゃないかなって、淡い希望を持つしかない。

 私はお仕置きをされているだけなのだわ。だから、時間が過ぎれば許してくれるんじゃないかって。


 一時期、すごい騒ぎがあったけど。地下に封じ込められていた私には関係なかったし、気にしないことにしてた。

 怒号と大歓声が2・3日続いてて、あれは一体何だったんだろうね。

 

「クゥンン」


 またいつものように座り込む。じっと、体育座りをしながら思い返す。あの輝かしくも苦い思い出。

 魔王の力をふるい、暴力のままに全てを焼き尽くしたあのことも鮮明に蘇る。嵐の権化と化した災厄そのもの。


 いつも、いつでも思い返せば。今の自分と比較して、悲しいことばっかり。でも、それしか暇つぶしがない。

 今日もまた、いつものように無為に時間が過ぎると思えば。もう、考えたくない。息苦しさだけが胸を締め付ける。

 

 

「何だこの腐臭は……ここにあのバケモノがいるのか」



 なにやら聞き慣れない声がする。いつもの看守じゃない。

 年老いた男の声。それも鉄のように冷たい。まるで、お父様みたいだわ。だんだん近づいてくる。

 靴の音からして、どうやら二人組みたい。珍しい、一体だれなんだろうか。

 

「これが2年前の“ペトラルカ公爵家の厄災”そのものか。みずぼらしい、これが貴族の娘だったというのか?

 物乞いよりも無様だな」

「大佐、それは言い過ぎでは?……しかし、あれはドラゴンの襲撃だと新聞で読みましたが、本当はこの少女が」

「そうだ。公爵家の恥だと思ったのか、事実は隠蔽された。

 それに、殺すにはあまりにも強大過ぎたゆえ、こうやってここに閉じ込められている。

 なけなしの温情なのか、それとも情けないだけか。

だが、貴族は全て我々が国民公会が粛清したのだ。


 こいつは貴族のご令嬢でもなければ……市民(シトワイヤン)とも言い難いな」


「セリュリエ大佐。私にはこの少女が人間にしか見えません。我々と同じ市民ではないのですか?」


 白髪の気品のあるおじさんと、茶髪のどこか飄々とした若いお兄さん。

 二人共、ゴシック模様が描かれた軍服を着ている。多分、とっても偉い人なのかもしれない。


 一体、なんの話をしているの? 私をじろじろと見定めていて、少し気持ちが悪い。自然とぎゅっと握りこぶし。

 

「まさか。2ヘクタールの豪邸を一瞬にして灰にしてしまうモンスターだ。人間であるわけがない」

「この子は確かにそうなのかもしれません。ですが、ひと目見てわかりました。この子は理性を持ち合わせた人間です」

「まて、近づきすぎるな。こいつは牢を紙切れのように破壊する力がある。

それに、幾重にも張り巡らせた最上級の防壁魔法だ。普通の人間が鉄格子に触れた瞬間、指が吹っ飛ぶぞ」


 おじさんの引き止める声も効かず、お兄さんは近づいてくる。私もその邪なものがない瞳に吸われて、鉄格子に近づいた。

 首を差し出し、濁った眼でお兄さんを見る。お兄さんも屈んで、私を覗く。人懐こいのかもしれない。

 

「赤いお目々に獣の耳と腕。でも、とても可愛い顔をしている」

「ウゥウ……」


 この姿になって初めて褒められたのかもしれない。少し気恥ずかしくて、顔を隠してしまいそうだわ。

 だって、みんな私のことを罵倒してくるから。あれはバケモノだ、怪物だ、この世のものとは思えない醜いなにかだ。

 でも、この人は嘘をついているのかもしれない。おだててから、からかうんだ。最低だわ。

 

「魔に魅入られたか? それとも、元教師の勘か?」

「僕は学校でも、戦場でも問題児をたくさん見てきましたからね。人を見る目には自信があります」


(我が娘よ、気をつけよ。この手の輩には裏がある)


「ウゥウウウウ!!」


 バチチィイ!!っと電流が走る鉄の檻。魔法防壁が赤い火花を放ち、触れた私の両手を焼こうとする。

 けれど、そんなものは私には効かない。痺れることも痛みもないし、ただこそばゆいだけ。


 閃光を放つ魔法防壁も力が衰えていき、鉄格子は静かになった。

 私はただ、この人達が何を考えているかを知りたいだけ。顔を近づけたのもそのため。

 

「かなり強力な魔法障壁ですよね……まったく効いていない」

「我輩も本物を見るまでは疑っていたが。やはり、バケモノだな」

「彼女はきっと、僕たちの話を聞きたいんじゃないのでしょうか?」

「ウゥ」


 こくりと頷いてみせる。ちゃんと言葉が話せるのなら、色んなことを聞いてみたかったのに。

 あれから家族はどうなったのか、お屋敷はどうなったのかな。


 どんなことが流行っているのか、世の中はどんなふうに変わってしまったのか。

 情報が全く入ってこないから、聞きたいことは山ほどあった。

 でも、へばりつくように言葉が喉から出てこない。こんなにも、もどかしい気持ちは久方ぶりね。

 

「言葉が話せないのかい?」

「ウァア!!」


 こくんこくんと大きく頭を縦にふる。それしか意志表示が出来ない自分が恨めしい。

 無意識にストレスを感じているのか、パシンパシンと尻尾が床を打つ。

 

「ずっと監禁されていたから、人と喋る機会がなかったってことか」

「ウゥ」

「そうか。わかった。言葉は理解できるみたいだから、用件を話したいんだ」

「スーシェ、それは我輩が説明する。貴様ではやり辛かろう」


 ナイフのように鋭い視線が刺さる。けれど、別に怖くない。だって、私のほうがずっと強いから。

 その隣でお兄さんがこほんと咳をして空気を変えた。


「まずは自己紹介を。僕はエミール・スーシェ。階級は少尉で政治委員をやらせてもらっている」

「吾輩はセリュリエ大佐だ。これからもよろしくと言えるかは、お前の態度次第だ。良いか?」


 一体、私に何をするのかな。

 もしかして、お父様が私のことを引き受けに来てくれたのかしら? それとも親戚の方が。

 そんな淡い期待を持っていたけど、このおじさんは吐き捨てるように言った。


 

「フランク王国はフランク共和国になった。王は処刑され、市民を搾取し苦しめ続けた貴族は軒並み粛清した。

そのリストの中には……ペトラルカ家も含まれる」


「ウゥ……アェ?」



「お前の家族はもう、このフランク共和国には居ない。お前には後ろ盾はない。


 だれも、お前を救うものは存在しないということだ」



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