1 変身
私、ミーシャ・ペトラルカは魔王だ。魔王の魂に取り憑かれた、公爵家の長女だった。
12歳だった私は年相応の体で、肌は白磁のようなつや肌。背丈はちょっと低いけど、お胸は他の子より大きい。
ポンパドールに結ったパールピンクのつややかな髪は高貴の証。
お顔だってまるで宮殿に咲く薔薇のように気品があるねってお父様も言っていたわ。
大貴族の娘として、家族に愛されながら生きてきた。
贅沢だってしてきたし、綺麗なお洋服だって、美味しいお料理だって食べてきた。
お作法やお勉強だっていっぱい学んだわ。魔法だって使えたのよ。
懐かしい、料理人が腕によりをかけたマカロンやケーキを、砂糖を入れた紅茶と一緒にいただく優雅なティータイム。
栄華を極めた輝かしい記憶が今でも蘇るわ。忘れたくても、忘れられない過去だから。
でも、ある時、私は魔王に取り憑かれてしまった。13歳を迎えるちょっと前だった。
頭には灰色のコウモリの耳が生え、両腕は全てを引き裂く巨大なダークブラウンのクマの手。
歯はのこぎりのように鋭く、お目々は禍々しいピジョンブラッド。
ムチのようにしなる太い虎の尻尾。凶暴さを秘めた怪物へと変貌してしまった。
まごうことなき悪魔の身体になってしまった私を受け入れてくれる人はいない。
この巨大な手で物を握れば潰してしまい、不器用になった私は獣のように口だけでご飯を食らう。
服も着ることも出来ず、エプロンだけの貧相な出で立ち。血走った瞳は邪悪さを帯び、無意識に人を威圧する。
醜い私をお父様は、お兄様は、妹は、お母様は蔑んだ。
家族は愚か、いままでちやほやしてくれた女中や召使い、ありとあらゆる人間達は私を拒絶した。
時には罵詈雑言を、時にはムチを。
『この、バケモノめ! 我が家の恥だ!』
好きでこんな体になったんじゃない。けれど、お父様は私が悪いと決めつけた。
家紋に傷がつくと罵られ、私は自分の部屋に幽閉されてしまった。
あの時は、今までの幸せが裏返ってしまい、その現実が受け止められなくてずっと泣いていたわ。
真っ赤な絨毯にクリーム色のゴシック模様の壁紙。天蓋付きのベッドも、家具職人が精緻を凝らした机や椅子も。
今まで自由にお外に出られたのに、このお部屋だけでしか私は生きられなくなってしまった。
だんだん、そのお部屋も掃除がされなくなって汚れていく。お風呂にも入れないし、おトイレだってない部屋だもの。
この両手では大事に物も扱えず、机は爪痕だらけになり、ベッドは綿が飛び散ってしまう。
もがけばもがくほど、悲惨なことになってしまい、私は動くことすらやめてしまった。
ご飯だって、どんどん貧相になっていく。
今まではあっつあつのトマトスープや、ジューシーなステーキにお魚のソテーだったのに。
パン1切れとチーズだけの時がほとんどだった。それを汚らしく、ギザギザの歯で噛みしめる。
『お願い、お父様、ここから出して……』
お腹がずっと空いていて、どんどん体が衰弱していく。
垢まみれのベッドで寝そべることが多くなった。シーツを最後に変えたのはいつ頃だろうか。
最初は部屋に鍵がかけられていただけなのに、いつの間にか針金と板で開かないようにされてしまった。
ご丁寧に防壁魔法までかけられていて、絶対に壊せないように。
ああ、私が餓死するまで閉じ込めるつもりなのね……死がよぎった瞬間、私はなけなしの涙とともに憎悪に満ち溢れた。
『なんで、なんで私がこんな目に。どうして、私達家族じゃなかったの……グスッ………
許せない、許せない、許せない!
こんな死に方は嫌だ――復讐シテヤル! 絶対に、ゼッタイニ、許スモノカァアァアア!!」
ぷつんと何かが弾けた音がする。これが、理性というモノなのだろう。
みなぎる憎悪の力が私の全身を駆け巡る。メラメラと燃えさかる邪悪なオーラが私の体を覆う。
いつの間にかニヤリと笑っていた。頭の中が破壊衝動で埋め尽くされ、ぐちゃぐちゃに怒気に塗れた。
(我が娘、ミーシャよ。貴様は捨てられたのだ)
どこからともなく声がする。私の中に潜む魔王が語りかけてくる。
一瞬、身構えてしまったけど、その声は魅力的だった。
私の寂しさにつけ入る、砂糖のように甘く、コーヒーのように苦く。
『そんなコト……』
(どのようなことを思っていても構わない。だが、余は許せないのだ……愛すべき我が娘を虐げることは、余が許さぬ!!)
『そうだ、そうダ! 私ハマダ、死ヌワケニハイケナイノダワ!!』
初めてなのかもしれない、家族に対して怒りを感じたのは。私をバケモノと呼び、苦しめる存在を。
絶対に、許せない。この気持ちに呼応するように、マグマのごとく魔王の邪悪な力が溢れ出した。
(力を求めろ! 余は、余は我が娘にいくらでも愛をくれてやろう!!)
『グァアアアオオオオオオオ!!!』
今まで縛り付けていたものが解けたの。ムカデのように蝕んだ見えない鎖がちぎれていく。
魔王の魂が私の体に途方もない力を与えてくれたわ。
獣じみた唸り声を上げ、扉を野獣の手でバターのように切り裂く。
ああ、私を閉じ込めていたものはこんなにも脆かったんだと、悔しさで涙が出る。更に怒りへと変換していく。
怪腕を振るえば、その全てのものを裂壊し、念じれば雷がありとあらゆる物を焼き尽くす。
今まで住んでいた部屋を破壊し、轟音をあげながら圧倒的な暴力を振るっていく。
『バケモノ、バケモノだ!! あいつを殺せ!!』
屋敷の衛兵達が私に穂先を向ける。そして、容赦なく体のいたる所に突き刺してくる。
でも、その刃が私の肌を穿つことは叶わず。
ただ右腕を震えば鉄製の槍は折れ曲がり、人を掴んで投げれば枝葉のように折れ曲がって散っていく。とても、楽しい。
魔王の魂は私の体に湯水のように力を与えてくれた。そう、誰にもこの私を傷つけるものはいない。
絶対的強者の力を激怒と共に暴れさせる。心のうちが晴れると同時に、さらなる破壊を求めて体が動いた。
私を閉じ込めた、このおぞましい鳥かごを完膚無きまで破り捨ててやる。
『ミーシャ、私が悪かった! だから、やめてくれ!!』
『黙レェエエ!! 喋ルナァアアアア!!!』
お父様の命乞いに怒髪天を衝いた。今まで弱い私を見下し、虐げていたくせに。なにを今更都合の良いことを。
荘厳華麗な館の壁を壊し、調度品の絵画や壺を破壊していく。
あんなに立派なお屋敷だったのに、紅蓮の炎に包まれて焼き尽くされていく。
大きく口を開けて雄叫びを鳴り響かせ、両腕からバチバチを青白い光を放つ稲妻を走らせ。
英雄譚に出てくる災厄の権化の如く、破壊の限りを尽くした。
『燃えろ、燃えロ、燃エロ!!』
(燃やせ! お前を縛る全てのものは、余の力で薙ぎ払ってみせよう!!)
お腹が空いたので食堂に入り、残されていた夕食を平らげる。
鴨肉のソテーや、じゃがいものビシソワーズ。ああ、懐かしいわ。
巨大な手で食べ物を握りしめ、口元が汚れるのもお構いなしにかきこんでいく。
久しぶりのご飯を味わうこともせず、ただ食べ尽くしていった。
栄養が体の中を駆け巡り、心臓がボイラーのように加熱していく。
今まで足りなかった魔力がみなぎり、私は魔王の力を全力で使い、青空を漆黒に染めて暗雲を召喚せしめた。
『私を縛る全てのモノよ、灰燼トナレェエエエ!! “雷帝ノ裁キ”ヲ受ケロ!!』
(雷帝は全てを穿ち、雷帝は恐怖のままに全てを圧制する。この憤怒は雷と共に服従と絶望を与えよう!!)
この体からほとばしる魔力の奔流が雷雨を巻き起こし、滝のごとく召雷された稲光は当たり一面を焼き尽くす。
小さい頃に駆け巡った綺麗な花壇も、公爵家の威信を込めたお館も。何もかも、鮮烈な雷は平等に破壊していく。
怨嗟が込められた破壊衝動は大きなクレーターをいくつも作り、私の思い出の家は消滅してしまった。
この家の家紋、獅子のエンブレムが無残に引きちぎられていく。
(ほれ見たことか! 余は雷帝、三代目魔王はここに健在なり!!)
『アハ、アハハハ! ギャハハハッハ!! アッハハハ!! タノシイ、タノシイワ!!』
このときの高揚感は今でも忘れない。これ以上の爽快感はないだろうと思えるくらいに、純粋に楽しかった。
自分の力を誇示するのはここまで楽しいものだったのか。全てを破壊するこの力は魔性のものだ。
私の中に眠る魔王の力がこんなにも素晴らしいものだったなんて。
『ウ、ウァア……うぅ、私は、私はっ』
(どうした、娘よ………まだ終わっておらぬぞ!!)
でも、私はすんでのところで意志だけは魔王になることを拒んだ。こんな幼い自分には罪悪感があったから。
人を傷つけることが、大切な物を壊し続けるのは、心が壊れるほど辛いものだったから。
『どうして、こんなことをしてしまったの』
(ああ、我が娘よ。痛ましい……愛娘よ、お前は人間なのだな。人間の道徳を尊ぶか)
今にも罪悪感で押しつぶされそうだった。なぜなら、思い出の全てを私が否定し、壊してしまったから。
もう元には戻れない。一生かけても、家族との絆を治すことは出来ないだろう。
『どうすればいいの。私は。私は何が間違っていたの?』
何もかもが失われた私は消失感で真っ青になる。自然と後悔の涙がながれ、その場で頭を抱えうずくまった。
『うぁあああああああああ!!!!』
私は魔王だったんだ。魔王になってしまったんだ。
みんな、私がバケモノだって蔑んできた。でも、私は人間だってずっと思ってきたのに。
『早く捕らえろ! このバケモノを!』
『無茶言わないでください、ご主人様……』
お父様の命令で私に刃と銃口を向けるへっぴり腰の衛兵。魔王である私に対して怯えながらも囲んでいく。
けれど、私は抵抗の意志を見せず、そのまま檻の中へと入れられてしまった。
□ □ □
あれから私はこの家にいることが出来なくなり、重犯罪者が収監されたバチスタ監獄へと閉じ込められることになる。
幾重もの防壁もこの力を使えば逃げ出すことだって出来るだろう。でも、私には出来なかった。
(余は、この屈辱を認めぬ。だが、余はお前の決断を否定はせぬぞ……力が欲しいのならくれてやる)
怪物の私にはこの牢の中でしか人間性を保てなかったから。
じめっとした腐臭のする、仄暗い鉄格子の中で。ただ、孤独に息をするだけの生活が怪物の私にはお似合いだ。
もう、それも慣れてしまって、考えることをやめた。
「お前は一体、なんなんだ?」
監獄長がそう尋ねて来たから、私は濁った目で応えた。
「私は、魔王よ。魔王の魂に取り憑かれた、バケモノなの」
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