第3話 ミレイ
日もすっかり昇った昼過ぎ、ミョルクとシーアはまたミレイの家に見舞いに来た。手には色とりどりの果物を持って。
ここでは新鮮な野菜や果物が手に入る事は珍しい。雪と寒さで育たないからだ。今日は店で偶然仕入れのタイミングに会い、栄養を取った方がいいだろうと買ってきた。少々値は張ったが、これで元気になるなら安いものだ。
ミレイには両親がいない。街で捨てられて孤児でいたところを保護され、この村にやってきたからだ。そのため幼い頃からずっと一人で暮らしてきた。
ただ、今回は流石に一人では辛いだろうと、セージュが一晩ミレイの家に泊まっているはずだった。もし何かあってもセージュは医者だ。何も心配があるはずが無かった。
「や、具合はど……ミレ、イ?」
だが、ミレイの寝室を開けてその中を見た時、腕から果物が転げ落ち、ミョルクは絶句した。
一瞬、それがミレイに似た違う人物だと錯覚した。だが、それは確かに本人だった。目の下には真っ黒な隈を作り、頬は痩せこけ、自慢だった赤毛の髪も艶を失っている。全身から、生気が残らず搾り取られてしまっているかのようだった。
たった一日で、ここまで人は弱々しくなれるものなのか……。
「ミョルク?」
か細い声を出すと、ミレイはミョルクの方を向いて笑うと、右手を差し伸べてきた。それにすがりつくかのように、ミョルクはその手を握る。
「何で、どうして……!」
シーアがその場で崩れ落ち、嗚咽を上げて泣き出した。その姿を見て、ミョルクはぎりっと歯を軋ませる。そして、傍にいたセージュという、この村唯一の女性医師に掴みかかった。
「先生! なんでこんな事になってるんですか! 昨日はただの風邪だって……!」
「当たる相手が違うよ、ミョルク。これはね、私が望んだ事なの。だからお願い、先生を離して」
その言葉に、ミョルクは信じられないといった表情でミレイを見た。ミレイの言っている意味が分からない。こんな惨めに死ぬ事が、ミレイの望みだったのか? そんな事が、ミョルクに納得できるはずが無かった。
それでも、ミョルクはミレイの言う通りにセージュを掴んでいた手を離し、ミレイを問い詰める。
「ミレイ、それってどういう事なんだ? まさか、こんな死に方がお前の望みだったのかよ!」
ミョルクの剣幕にもミレイはまるで動じない。ゆっくりと首を横に振り、それを否定した。
「はは、そんな訳無いじゃない。私の望みはただ一つ。最後の最後まであんた達のリーダーでいて、そのために強く生きる事。それが出来るなら、どうなっても構わないとさえ思ってる」
「ミョルク、ミレイの体は数年前から徐々に壊れ始めていたんだ。だが、それを悟らせまいと、表面上は何でもないように振る舞い、陰では密かに治療を行なっていた。だが、それももう限界だった。今回の小さな風邪が引き金になり、体の中で燻っていたいくつもの病気が、連鎖的に悪化してしまったんだ」
ミレイの話にセージュが補足する。ミレイは上半身を起こし、セージュに小さく頭を下げた。
「ありがとね、先生。私のわがままに付き合ってくれて。出来れば、最後の瞬間まで元気な姿でいたかったんだけど、それは流石に都合が良過ぎだったか。結局、ミョルク達に見られちゃったし」
そこまで話すと、ミレイは自分の右手を瞳に被せるように置いた。喋る事に疲れてしまったのか、それともその下で泣いているのだろうか。
すると、それまで床で泣いていたシーアが、ミレイのベッドにすがりついた。
「ミレイ、お願いだから死なないで! 後少しでルークも帰ってくるし、それに……」
シーアはそう言ったが、この時ルークはここから遠く離れた街にいた。昨日ミレイが風邪を引いたと連絡を入れたが、あそこからここまで三日は優にかかる。今日中に来られるはずがない。
もちろん、ミレイもそれを知っている。だからなのかそれには触れずに、シーアの膨らんだお腹に自分の手を当てた。
「ああ、そういえばもうすぐ産まれるんだっけか。おめでとうシーア、ミョルク。見たかったなあ。あんた達の子なら、本当に可愛いんだろうなあ……グ、ゴホ! ゴホゴホ、ゼッ!」
ミレイの口から咳が溢れ出す。それを手で受け止めていたが、口の端から鮮やかな赤い血が一筋流れ出した。
「ミレイ!」
「……ふう、そろそろ一人にしてくれるかな。特にシーア。今、私の病気がうつりでもしたら大変だよ。ちゃんとお腹の子の事を考えてあげないと」
「嫌! 私は最後までミレイの傍にいる!」
「シーア!」
ミレイの怒声が部屋中に響き渡る。ついさっきまで血を吐いていたとは思えないほどの声量で。シーアはその迫力に、しがみ付いていた手が離れ、後ろ手に尻餅をついた。
「ミョルク、先生。シーアを連れて出て行ってくれ。私の、最後のお願いだ」
なぜ、ミレイが一人になりたいと言うのか。その意図をミョルクは悟っていた。
いつもリーダーとして強く在りたい。そんなミレイの信念が、今の弱々しい姿を見られるのが耐えられないんだろう。そして恐らく、このまま外へ出てしまえば、もうミレイの生きている姿は見られなくなる。
出来る事ならこの場にいて、ミレイを看取ってやりたい。しかし、それを本人が望んではいない。それを無視して残る事が、はたしてミレイの為なのか。
しばらくミョルクはその場に立ち尽くした。血が滲むまで拳を握り、一つの決断を下す。
「……出よう、シーア」
ミョルクはシーアを抱え上げる。シーアを抵抗できないようにさせるためだ。身重のシーアはかなり重たいが、そんな様子は微塵も見せない。
「ありがとう、ミョルク。ルークに伝えて。あなたの草花畑が見れなかったのは残念だけど、必ず実現させてって。あと、大好きだよって」
「ああ、必ず伝える。……さよなら、ミレイ」
「ミレイ! ミレイ!」
必死にミョルクの腕から逃れようとするシーアを、ぐっと抱きしめて離さない。
セージュがドアを開け、先にミョルクとシーアがそこから外へ出る。だが、せめてもう一目と部屋の中を振り返った。
「バイバイ」
いつも通りの笑みを浮かべ、ミレイは手を振って三人を送り出した。そしてゆっくりと、ドアによってその視界は狭まれて……消えてしまった。
シーアをその場に降ろし、もう一度閉じられてしまったドアを見る。その瞬間、耐え難い誘惑に駆られ、ノブに手をかけてしまう。だが、それを回す事は出来なかった。
「……ぁぁぁああぁあああ!」
両目から涙が溢れる。感情がほとばしる。その激情は行き場無く、無意識にミョルクの両手は床を殴りつけていた。手の皮が破れ、その血で床が赤黒く染まる。かすれた叫び声を上げながら、いつまでも、いつまでも。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます