第2話 昔話

 そこはとても、とても小さな村。ぽつぽつと、レンガ造りの小さな家が立ち並んでいる。しかし、全ての家に明かりが灯っているわけではない。全体の二割程度には漏れる光も無く、人が住んでいる気配が無かった。それが、この村の人口の少なさを物語っている。

 そんな決して煌びやかではない明かりだが、だからこそ吸い込まれるような闇と、しんしんと降る雪に彩られ、それは幻想的な光景を見せる。だが、そんな景色を楽しもうとする人は、この村には一人もいない。それが当たり前なのだから。人が空の青さをほとんど意識しないのと同じように。


 その数少ない家のとある一つ。そこのリビングで、一組の夫婦が暖炉の前でお茶を飲みながら暖を取っていた。二人とも三十半ばといったところか。

 男性の方の容貌は、こざっぱりと切りそろえられていた金髪にほっそりとした体つきで優男といった感じだった。

 女性は線が細くどこか雰囲気が儚げで、腰まで伸ばした長い金髪と、切れ長の細い目が印象的だった。

 男性がふと思い立ったように壁掛けの時計に目をやった。時刻は午後六時を回ったところだった。


「ちょっと遅いな」

「そうね、いつもだったらそろそろ帰ってくる頃だけど。それに、今日はほんのわずかだけど、日が出たみたいだし」


 女性が心配そうに窓の外へ目をやる。もうすっかりと日が暮れ、窓が黒塗られていた。

 男性は座っていた椅子から立ち上がると、そばにあった服掛けから深緑のコートを取って着る。


「ちょっと迎えに行ってくるよ」

「はい、気をつけて。また雪が降り出したみたいですから」

「分かった」


 男性は玄関へ向かうと、玄関の脇に掛けてあったカンテラを取る。そしてドアのノブに手をかけようとしたその瞬間、触れる前に音を立ててノブが回り、ドアが勢い良く開く。そこにはミウとルークが立っていた。


「ただいまー!」

「ミウ! 今から迎えに行こうとしてたんだぞ?」


 男性はその場にしゃがみこみ、大きく手を広げる。そこにミウは当たり前のように飛び込んでいった。そのミウを力強く抱きしめると、そのまま抱え上げて立ち上がった。


「悪いな、ミョルク。ミウを帰すのが遅くなった」

「気にするなよ。ちゃんとお前が送り届けてくれたじゃないか……ん?」


 ミョルクはふと、ミウに巻かれている包帯に気付いた。そこをそっと空いている方の手で撫でる。


「ミウ、もしかしてこれは」

「……すまん。まだ日が落ちきっていないのに、窓際に行かせてしまった俺の不注意だ」


 ルークはミョルクに深々と頭を下げる。すると、ミウが必死にルークをかばった。


「違うよ! 気をつけていなかった私が悪いの! だからお願い、おじさんを怒らないで?」


 ミウはミョルクの首にしがみ付き嘆願する。そんなミウの頭を、ミョルクが優しく二度叩いた。


「じゃあお相子だ。ほら、父さんはおじさんと話があるから、母さんに顔を見せてあげなさい。心配していたからね」

「はい!」


 ミウはミョルクの手から飛び降りると、駆け足で家の奥へと消えていった。

 その姿を見送ると、ミョルクとルークは改めて顔を合わせる。


「こうやってお前の顔を見るのも、随分と久しぶりな気がするよ。どうだった、差し入れのあれは?」

「最高だ。よくあんなもんが手に入ったな」

「仕事上のちょっとしたつてでね。酒好きのお前に飲まれるなら本望だろう。どうだ、ちょっと上がってかないか? シーアもお前と話したがってるぞ」

「悪い、ちょっと今日は体調が悪くてな。また村に来たついでに寄らせてもらうさ。あの酒を持ってな」

「そうか」


 ミョルクは少し寂しそうに肩をすくめる。


「なんなら送っていこうか? 風邪なんだろ? 倒れでもしたら大変だ」

「そんな心配はいらん。子供じゃないんだからな!」

「あ、ああ。ならいいんだ」


 ルークは少しだけ意地になったように語気を強めた。その態度は、もうすでに倒れてしまい、ミウに助けられてしまった恥ずかしさを思い出してしまったからなのだろう。

 だがそれを知らないミョルクは、なぜそんな風に反発されるのか分からず気圧されて困惑する。

 思いがけず空気がおかしくなってしまい、会話が止まってしまった。ルークは逃げるように踵を返したが、ふと思い出したかのように振り返った。


「ミウなんだが、俺の家にいた時に咳が出ていた。本人は埃っぽいからとか言っていたが、一応気を付けてやってくれ」

「ん、分かった。明日一番にでもセージュ先生に診てもらう事にしよう。じゃあ、またいつか」

「ああ。必ず」


 ルークが雪の舞い踊る夜の闇へ消えていく。ミョルクはそれが見えなくなるまで見送ると、そっとドアを閉めた。

 ミョルクがリビングに戻ると、ミウがシーアの膝元に頭を置いて甘えていた。

 ミウは今年でもう十二になるが、甘え癖がどうにも抜けないでいた。夫婦の二人にとってはそれが嬉しくもあるため、直そうと思った事は無いが。

 だが、ルークや村の人々の話を聞くと、ミウは我慢強くて大人な子と思っているらしい。その話を聞いた時、ミョルクはギャップがあんまりおかしくて、つい噴き出してしまった事がある。しかし、ミウの名誉のために、あえて本当の事は誰にも言ってはいない。


「あなた、ルークは?」

「調子が悪いらしくてね。上がるように勧めたんだが、帰ってしまったよ」

「そう、残念。久しぶりに幼馴染が集まって話せると思ったのに」


 シーアは本当に残念そうに溜息をつく。

 ここ半年ほど、シーアはルークの顔を見ていなかった。たまにルークの元へ遊びに行ったミウの話を聞いて、どうしているかを知るぐらいだ。積もる話もあっただろう。


「お父さん達とルークおじさんって、幼馴染だったんだ」

「ああ。この村は子供が少ないからね。四人でいつも遊んでいたさ」

「四人? お父さんとお母さんとルークおじさんで三人だよね?」


 ミウが首を傾げて、素朴な疑問を口にする。

 ミョルクはしまったと視線を泳がせてしまう。そんな仕草をしてしまっては、何か隠しているのはばればれだった。

 どうしようかと思案していると、そこにシーアが助け舟を出してくれた。


「あなた、別に隠さなくてもいいじゃない。ミウは知っておくべきだと思うわ」

「むう、ルークに口止めされてるんだがなあ」

「はあ……お父さんって私に隠し事するんだ。ひどいよ。なんか、嫌いになっちゃいそう」

「な!? ちょっと待った! 話す、話すから!」


 泣いているように顔を伏せるミウを見て、ミョルクがあからさまに取り乱した。実はこっそりと、下で小さく舌を出している事も知らずに。

 ミョルクは観念して傍にあった椅子に座る。そしてゆっくりと、噛み締めるように話しだした。


「当時、僕達のグループは僕とシーア、は母さんだね。そしてルークともう一人、ミレイという人がいたんだ」

「ミレイさん……その人、今はこの村にいないよね? どんな人だったの?」


 ミウの問いに、ミョルクは頬を掻いて苦笑いする。


「うん、まあ何と言うか無茶苦茶な奴だったよ。僕達のリーダー格で、何をするにも彼女中心だった。こっそり村の食料庫に忍び込んで全部食べ切ってやろうとか、村中に落とし穴を掘ろうとか」

「でもそれがみんな失敗しちゃうのよね。食料庫は全部の一割も食べきれずに皆倒れちゃうし、落とし穴は夜に抜け出したのがばれて、村のみんなにこってり絞られたっけ」

「あっははは! そうだったな!」


 二人は大きな声で笑い出す。普段は物静かな二人だが、この時ばかりはまるで子供のようだった。そんな二人を見て、ミウが目を丸くする。


「ふわぁ……なんか信じられないな。お父さんはともかく、お母さんまでそんな頃があったなんて」

「それだけ楽しかったのさ。毎日が新しい刺激に満ち溢れていて。今でも目を瞑るとあの頃が蘇ってきて、体が疼くんだ」


 そう言ってミョルクは目を閉じる。

 そこには確かにあった。四人で村中を駆け巡り、興奮に胸を躍らせた日々が。雪の上にシートを引き、各自で持ち寄った弁当を分け合って食べたあの味が。まるで過去の事ではなく、今起きているかのように。


「ちなみに、ミレイはルークと恋人でもあったのよ? ルークが植物学者になったのも、ミレイが原因だったの」

「え? どういう事?」

「ルークがミレイに、今何が欲しいか聞いたんだ。そうしたら、ここで草花畑が見たいと言ったらしくてね。その日からルークは暇さえあれば勉強するようになって、果ては街の学校を出て、立派な植物学者になってしまった。ミレイは冗談で言ったらしいんだけどね。本当に馬鹿らしいぐらいに真っ直ぐな奴だよ、あいつは」


 ミウが口元を押さえてコロコロと笑う。


「おじさんらしいね。でも何で草花畑を見たいなんて言ったんだろう。一日ぐらい遠出すれば、道端のあちこちで見れるはずなのに」


 ミウの言葉に、ミョルクの顔から笑顔が一瞬消えた。

 ミョルクは、上目遣いに自分を見上げるミウを見つめた。その顔には、光によって出来た跡を隠すガーゼが張られている。


「ミレイはね、ミウと同じだったんだ」

「それって……」

「そうよ。ミレイも雪肌だったの。でも、そんな風には全然見えなかった。私なんかよりもずっと元気で、病気にもならなくて。このまま私達と、ずっと生きていけるんだって思ってた。でも……」


 シーアの目に涙が浮かぶ。辛そうに眉間を歪ませ、慌ててそれを隠そうと下を向いた。そしてミョルクも同じように、顔を悲しみに染めた。

 雪肌を持つ人は必ず体が弱い。ミウも例外ではなく、月に多い時は十日以上寝込む時もある。そのためなのか寿命も短かった。平均で十七歳前後。普通の寿命と比べると半分以下だ。

 ミョルクとシーアはそれをひた隠しにしてきたが、結局ミウはそれをどこからか知ってしまった。その時ミウは泣き喚き、当り散らしてそれは大変だった。しかし、二人の粘り強い説得と愛情で、ミウは少しずつ事実を受け止め始め、今ではその手の話を聞いても、さほど動揺はしなくなった。だが、普段はなるべく話には出さないように避けている。


「あれはミレイが二十歳を迎えてすぐだった。珍しく体調を崩したんだが、ただの軽い風邪だとセージュ先生に診断された。だから明日には治って、またいつも通りに会えると信じていたんだ。だが、あの日……」


 思い出が蘇る。思い出したくは無い。だが、決して忘れられない出来事が。

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