focus
彼女は、カメラの視線に非常に敏い。
僕がいくら見つめていようと気がつかないが、一度カメラを構えるとそっと微笑むのが背中を写していても分かる。
人生が今まさに切り取られようとしていることがわかるのだという。
「自然な姿を撮りたいんだろうなっていうのは分かるんだけど、つい背筋を伸ばしたりしちゃう」
春も夏も秋も冬も、彼女の写真を撮った。たくさん撮ってね、と彼女はその日の初めに言うのだ。僕は頑張ります、とだけ言う。たくさん撮れた?と彼女はその日のお終いに言うのだ。僕は頑張りました、とだけ応える。
彼女は僕が撮った彼女を見たことがない。見ますか?と聞いたら、そのうちゆっくり見ると言われる。
この日は何の気まぐれか、彼女にケーキを御馳走していると彼女がカメラをつついた。
「今日撮った中でいちばんの私を見せて」
「二枚見せてもいいですか?」
「ダメ。一枚だけ」
僕は少し悩んだ。全身の写っているものと、そうでないもの。
「あのね、何も見せてもらった一枚であなたの写真技術を測ろうとか言うんじゃないんだから。あなたがよく撮れたなって思った写真を見せて欲しいだけ」
「……じゃあ、これ」
撮ったデータを写した画面を彼女に差し出す。昼頃通りかかった商店街で、店主のおじさんと談笑しながら髪飾りを選ぶ彼女を斜め後ろから撮ったものだ。
「いいね」
「本当に思ってます?」
「あなた相手にお世辞を言ってどうなるっていうのさ」
カメラを返して、ミルクレープを実に上手に食べながら彼女は言う。
「私が幸せな時はあなたを呼ぶわ。幸せな私をたくさん撮って。明日からの私が不幸に苛まれ続ければあなたと会うのはこれが最後ということになるけれど」
「もし今日が最後だったら……幸せなあなたを撮って、僕はどうすればいいんです?」
「私の棺桶に全部入れるのよ」
「棺桶」
「棺桶。私がこれから超絶不幸な人生を送って、人生を呪い悲しみながら死ぬとするでしょう。私は思ったことがすぐに顔に出るから、きっと不機嫌そうだったり悲しそうな顔をして死ぬでしょうね。そのとき、焼香も合掌も必要ないし、なんだったら葬儀だって必要ないけれど、あなただけはチラリと顔を出して私の棺桶にその写真を全部入れて欲しいの。大きなバッドエンドにも切り取った小さなハッピーエンドがあったんだって思い出したいの」
「あなたがこれから超絶ハッピーな人生を送って死んだその瞬間も至極幸せそうな顔をしていたらどうすれば?」
「死に顔を一枚撮って、それを棺桶に入れて」
「それまでの、恐らくたくさんあるあなたの写真は?」
「あなたの幸せの足しにして」
「僕の幸せですか?」
「あなたが私を撮るのが好きなの、知ってるんだから」
「自惚れますね」
「幸せだからね」
「あなたの写真をこれからもたくさん撮れたら、嬉しいですね」
「約束はできないけど、私って結構前向きなのよね。期待してて」
ミルクレープを皿から忽然と消し去った彼女は会計する僕を置いて、店員にごちそうさまでしたと言うと一足先に出て行ってしまう。
少し慌てて追いかけると、彼女は少し先で散步中の犬に話しかけていた。カメラを構えるとこちらを向かないまま犬を撫でる手を少しゆっくりにする。
彼女は今日も、少しでも幸せそうな自分を切り取ってもらうために、少し背筋を伸ばす。
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