幸せの場所(1)

 いざ目の前にすると、密林ってのは圧倒的な緑だった。それこそ魔境山脈の樹林が可愛く感じられるほどに。

 そこに一本、結構な幅の土魔法舗装路が設けられて、奥の方へと伸びてるのさ。その先にはこの位置からでも赤燐宮の尖塔が窺える。ありゃ相当高いぜ。


 目を覚ました俺が、あの馬鹿でかい橋を渡る時の風景を見逃して、それを悔しがっているうちに入り口まで着いちまった。ここはもう魔獣避けの圏内。当たり前だが、あの感触をびしびし感じてる。


 舗装路を進んで、壁のように迫る密林の間を抜けると、切り拓かれた一角へと通じてる。奥まったところに宮殿と呼べるほどの威容を誇る赤燐宮がでんと構えてる。だが、それ以外の建造物はせいぜい二階建て程度の低層家屋や施設とかがずらりと並んでた。

 密林の街壁の中に都市がすっぽりと収まっているかのようじゃん。万単位の人間が暮らしている規模の小都市がゼプル女王国の全てって話だ。都市国家ってやつか。


「なんだかゆったりとした時間が流れていますね」

 それだよ。商店が並んでるのに独特の猥雑さがないんだ。

「これでも昔に比べると賑やかになったのだよ。もっと静かな場所だった」

「え、そうなんですか?」

 意外だな、相棒。


 聞けば、商業施設は各国大使や使節などの来訪者用に運営を始めたらしい。ところが、商店には従業員が必要で、その従業員にも生活があって様々な必需品があって、と芋づる式に拡大していった結果が今の街並みだと言う。


「全体に穏和な空気が感じられますけど」

 喧騒ってやつに乏しいじゃん。

「閣下の目が光っているから、諍い事を起こす者はいない」

「神使の方々もここへ?」

「いや、一族の方々は、昼間は使命に邁進しておられる。夕刻を過ぎれば街にもお見えになられるが、酒精も嗜まれる程度で騒ぎなどにはならない」


 ここに住む神使の一族は、ゼプルっていう長生人種。だいたい千数百くらいは生きるんだそうだ。このエルフィンの兄ちゃんも千ほど寿命があるらしい。


「以前はわずか二百数十名にまで減ってしまわれたのだ。今は六百名近くいらっしゃるが、全てが赤燐宮か周辺の官舎で生活しておられる」

 ほとんど絶滅寸前じゃん。

「そんなに少なかったんですね。対魔王戦略の最前線にいらっしゃるのに」

「だからこそ繁栄というものに興味を失われてしまった。ここに国を開くまではそれだけの存在意義だと思われていたのだろう」


 通りを進むと開けた場所に出る。さすがに宮殿周辺はゆったりとした敷地が設けられてるな。

 促されて相棒も俺も鳥車を降りる。駄目だ。まだ脚を引きずるようだぜ。左後ろ脚は腿で折れてたし、右前脚も骨折と脱臼でぷらぷらだったって話だからな。

 身体中引っ掻き傷の痕だらけだし、耳もギザギザにしか残ってないわ、右目は無いわでみすぼらしい姿になっちまった。でも、ここまで来られたんだから後悔は無い。


「いらっしゃい」


 向こうからふらりと一人、膝裏まであるんじゃないかっていう長くて鮮烈な青い髪の姉ちゃんがやってきた。佩剣してるし、騎士かなんかだろうけどそれにしちゃ軽装じゃん。

 ただ、とんでもない美形。王都とかの広場に置いてある石造形の女神像もかくやって感じの造作だ。表情が活き活きとしてる分、こっちのほうがよほど神々しい気さえする。これが神使の一族ってやつか。


「あなたたちが例の一人と一匹ね。遠くまで良く頑張ったわ。歓迎するわよ」

「陛下。お一人で動かれては」

「陛下!?」

 なんと!


 この姉ちゃんがここの女王だってのか?

 そりゃ驚くほどの美人さんだから分からなくもない。身に着けているのも上等のもんだろうさ。

 でもな、この纏ってる雰囲気、所作一つとっても凄まじく強い。魔法の腕のほうは窺い知れないが、この距離だと勝てる気がしない。見るからに強者だって分かる。この雌が王様だって?


「間に合わなかったんですって、テオドール?」

「申し訳ございません、陛下。到着するのが一足遅く、危うく失われてしまうところでした」

「仕方ないわね。まあ、この上ない結果を出してくれたのだから、誰も何も言わないでしょう」

 奴のことだろ? 責めてやってくれるな。あれは俺を狙ってた。

「あら、庇うの? こんなにボロボロになったっていうのに」

 おおう、ツボを心得た撫で方だぜ。

「どれもこれも塞がってはいるけどまだ新しい傷ばかりね。これなら十分間に合うはずよ。そのままね」

 しかも、とんでもなくいい匂いがする。


 俺が呆けていると、女王様は手を当てて「復元リペア」って発声。手の平に魔法陣が光って浮き出てる。こんな魔法が有るのかよ。

 そうしてると、右目の辺りがムズムズってして、疼くような痛みがなくなった。それどころか脚も何ともないし、傷痕もなくなってる。前脚で触ったら、耳まで元通りになってた。

 そんで、前みたいに右目が開いて視界が戻ってきたんだひゃっほう! このすげー魔法はなんだ!

 いや、そんなんはどうでもいい。ありがとう、女王様。最高だぜすりすり。匂いも堪らんぺろぺろぺろ。


「んふふ、そんなに嬉しい?」

 当然だろ? 見てくれ、相棒! 産まれたままの俺だぜぺろぺろ!

「良かった……。良かった、キグノ……。わたしをここまで連れてくるためにボロボロになっちゃって、どうしようかと思ってたの」

 復活だ!


 新品になった俺を力いっぱい抱き締めるリーエ。今陽きょうばかりは耳を舐めても何とも言わないな。嬉しいんだろ?


「ありがとうございます、陛下。これだけでも来た甲斐がありました!」

「それは気が早くてよ?」


 まだなんかあるのか、耳ぺろぺろぺろぺーろぺろぺろ。

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