阻む風(5)

 これは完全に賭けさ。こんな高さから落ちれば俺だってただじゃ済まない。


「ぐああ! 見えない!」


 両目に突き刺さった堅刃は真っ先に振り払われちまった。あれがとどめを刺すには一番有望だったんだけど、一番痛かったんだろう。視界を奪えただけでも良しとするしかないな。見えてたら俺が狙われる。


「何をする気だ、貴様ー!」

 ここまできたら倒すしかないんだよ、お前を。


 手負いのまま逃げ出したりすれば、こいつは獣人郷や人族の集落を襲うだろう。一方的にはやられないにしても、倒すまでにどれだけの人間が犠牲になるか想像もつかない。間違いなく禍根になっちまう。

 そうすれば、魔獣排斥論を胸に抱く一派を喜ばせるだけじゃんか。俺と相棒はますます肩身が狭くなっちまう。そんなの許せない。


 があっ!

「そこかー!」

治癒キュア!」


 横腹を深く引っ掻かれた。すぐに治癒キュアが飛んでくるけど、飛び散った血は返ってこない。こうなったら我慢比べだ。堅刃がこいつにとどめを刺すか、俺が血を失い過ぎて力尽きるか、或いはリーエの魔力が尽きるか。そのどれかでこの勝負は終わる。


 ぎっ!

「うががが!」

治癒キュア!」


 耳をかすって背中を裂かれた。発作的に悲鳴で口を開けたくなるが耐える。逆に牙を深く打ち込んで我慢してやるぜ。


「ラウディ、キグノを助けて!」

きゅい了解でやす!」


 氷結弾フリージングブリッド暴風熊ハリケーンベアの前脚に連続して当たる。一部が凍り付くように霜が広がるけど完全に凍らせるには至らない。だが、それで前脚の動きはかなり鈍る。

 助かるぜ、ラウディ。援護になってる。


 かはっ!

「落ちろ!」

治癒キュア!」


 今度ばかりはさすがに牙が抜けそうになった。何かが潰れるような感触とともに激痛。右側の視界は失われた。どうやら目玉をやられちまったらしい。治癒じゃ再生まではしない。


 でもな、見えたんだ。こいつの鼻面に降り立って攻撃を避けようと周囲を窺ったときに。

 そこからは東にとびきり幅のある大河があった。冗談みたいに大きな橋も掛かっていたから問題ない。

 そして、その先の森。樹々の間から尖塔が突き出ているのがはっきりと見えた。あれが目的地なんだ。相棒と俺の幸せの場所。もう少しなんだ。もう少しなんだから邪魔をするんじゃねー!

 目玉がどうした! 脚の一、二本くらいくれてやるさ! あの場所へ辿り着けるんなら惜しくなんてない! さっさとくたばりやがれ!


 食らえ!

「ぎゃあぁー!」


 全力で制御した堅刃が一気に頭蓋へと埋まり込んでいく。魔力も膂力も気力も全て総動員して、この一撃に賭けた。


「が…………」

 血が足りない。もう意識が……。


 風鳴がする。眩暈が止まらない。自分がどんな状態なのか分からない。なんかすごい衝撃がきたな。


 ……これは相棒の匂い。忘れるもんか。なんだ、これ、濃い若草のような匂い……。


   ◇      ◇      ◇


 あめ、ふってきたな。こかげににげこもうぜ、あいぼう。あんがいおおつぶだ。かぜ、ひいちまう……。


 治癒魔法士が風邪を……、違う! どこだ! どうなった!


 見上げれば相棒が俺の頭を抱え込んでぼろぼろと涙を零してる。そうか、これを雨だって思っちまったか。


「キグノ……。良かった……」

 心配させたか、すまん。ちゃんと生きてるみたいだぜ。


 頭を上げるけど視界は半分しかない。そうか、無くなったんだな。でも、片目は残ってるからお前の顔を見ることはできる。耳も鼻も正常だ。声は聞こえるし、匂いもちゃんと嗅げるくんくん。

 ん? 若草の匂い? 草原にぶっ倒れてんのか? それにしちゃ揺れてるし、車輪の鳴る音が聞こえてる。


 見回すと初めての雄の顔。なんだ、こいつ。どうもお前からの匂いだぞ。

 思いっ切り緑色じゃん。長い真っ直ぐな髪も、瞳も。それで草の匂いまで纏っているとか何者だ?


「どうやら無事目を覚ましたようだね? 問題ないだろうか?」

 いや、そこら中痛い。だから敵とか言わないでくれ。

「私はエルフィンのテオドール。君の働きに感謝する」

 もうちょっと詳しく。


 驚いたことに「エルフィン」てのは、あのおとぎ話に出てくる森の民のことらしい。ちびの頃に相棒と読んだ絵本に出てたな。

 外を見せてもらうと、そのエルフィンが数百人も軍団をなしてセネル鳥せねるちょうに乗って走ってる。なかなかに壮麗な光景だ。なにせ全員が全員、絵画に描かれているような顔の作りをしてやがるんだからな。

 その中に数台だけある馬車に相棒と俺は乗せられていたんだ。


 ラウディも一緒に走ってるけど、雌に囲まれてデレデレしてやがる。こいつ、俺がボロボロになっている時に色気出しやがって。


「あの暴風熊ハリケーンベアの存在は確認していた。しかし、かなり知性を残しているようで、巧妙に隠れているので捕捉できないでいたのだ。やっと姿を現したとの情報を受けて討伐に向かったら、君がもう倒していた。見事なものだ」

 奴を倒せたか、俺。

「その功績を讃えよう。こちらのお嬢さんが、目的地は赤燐宮だというので案内するところだ。君も構わないな?」

 異存はないぜ。なにより運んでもらうしかない状態なんだ。

「ようこそ、ゼプル女王国へ」


 駄目だ。もうひと眠りさせてくれぺろぺろ。


 舌の動きも冴えないだろぺろぺろぺ……。

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