狼の暮らし(2)

 妙な異名が流れているのに気付いた所為でどうも周りが気になるんだけど、そんなに注目される心配はなさそうじゃん。若い娘が冒険者装束に身を包んでいるんだ。番犬の一匹くらいは飼ってると思われてるんだろ。


 それ以上に気になることができちまったしな。なんだよ、この強めの血臭は。こんなん無視できないじゃんか。


「気になるの? 行ってもいいよ」

 悪いな。ちょっと付き合え。


 俺が鼻面を上げてくんかくんかしていたら、相棒が察して言ってくれる。見過ごして災難に巻き込まれるよりは、確認しといたほうがいいだろ?

 隔絶山脈寄りに街道を外れて、まばらな木立を透かして見る。


「すごい血の匂いでやすね? おいらにもわかるでやんす」

 冗談でなく厄介事の匂いなんだけどな。

「ご主人のことは心配しなくてもいいでやんす」

 助かる。絶対に降りられないようにしといてくれ。


 ラウディに跨ったリーエの足はあぶみに掛かっている。そこは身体と翼の間に当たる部分で、ラウディが翼を締めておくと相棒は絶対に降りられないんだ。攻撃力も逃げ足もあるから安心して任せられる。


 匂いの元はこれか。泡犬バブルドッグだな。

「犬の死体がいっぱい。どうしたのかな?」

 縄張り争いだろ。派手にやってんな。

「人間がやったんじゃないよね? 還してあげたほうがいいのかな?」

 不要だね。放っとけば誰かの餌になる。そうだろ?


 俺が声を掛けたのは相棒じゃなくて、木立の向こうに潜んでいる奴にだ。


「それが節理ってやつだぜ。解って言ってるのか……」

 解ってるって。これでも群れの生まれだからな。

「なら、どうして人間の側にいる?」

 色々あるんだよ。


 姿を見せたのは斬狼ブレードファング。風系の狼魔獣だ。どうやら泡犬の死骸はこいつの群れと争った結果らしいな。相手が悪い。無謀ってもんだぜ。

 最初に顔を見せたところをみるとボスなんだろうが、身体は俺と遜色ないくらいでかい。無意識に尻尾が揺れる。要警戒だぜ。ただ、それだけじゃなかった。


「大変! 怪我してる!」

 何ヶ所か噛み傷があるな。

治癒キュア


 ロッドリングを右腕から外して握り込むと、ボスに照準を合わせて治癒魔法を使う。相棒の魔法なら、この程度の傷はあっという間だぜ。


「その人間は何なんだ? どうして俺を癒す必要がある?」

 そういう人間なんだよ。だから俺が相棒にしてる。

「理解した。もう戦う気はない。どうする?」

 さあ、こいつ次第だ。


 ボスが矛先を収めた時点で隠れていた他の連中も姿も現す。負傷している奴も結構いるな。リーエはそれぞれに治癒キュアを飛ばすと、満足げな面持ちで一息吐いた。


「なんか見た目がキグノに似てるし、襲ってくる気なさそうだから治してあげちゃった」

 それでお前の気が済むんならいいだろ。


 視線だけ合わせて通じない会話をしていると、ボスが躊躇いもなく近付いてきた。


「相応の礼はしねえといけねえな。この雌はそういうのは大丈夫か?」

 見ての通り、無闇に怖がったりはしない。群れに受け入れる気か?

「こんな血生臭い所で何ができる?」

 ひとのことをどうこう言うが、お前も相当変わってるぞ。

「お互い様だ」


 ラウディはちょっとビビってるようだけど、俺が促すと狼の後に続いた。


   ◇      ◇      ◇


「わーい、お父ちゃん帰ってきたー!」

「悪いやつ、やっつけた?」

「ああ、もう心配いらないぞ」


 どうやらここが群れの棲み処らしい。思い思いにくつろぐ雌たちの中から仔狼がわんさかと飛び出してきやがった。


「なにこれ?」

「食べていいのー?」

 それは食わないでやってくれ。蹴られるぞ。


 怖れおののいて羽毛が膨らむラウディを指して言っておく。


「蹴る―?」

「蹴るの?」

「痛いことする?」

 齧ったらな。

「何もしないでやんす。だから齧らないでほしいでやす」

「分かったー」

「齧らないよ」


 集まってくる仔狼に相棒の表情が一気に明るくなっていく。もう触りたくてうずうずしてんだろう。ちびの時は今以上に俺に触りたがったからな。


「すごい! ちびちゃん、いっぱい! もふもふー!」

くーんくーんなでなで気持ちいい

きゅーん撫でてー

 まあ、そうなるよな。


 この時分は好奇心が強い。新しいものには目がないぜ。


「誰?」

「ボスの友達?」

 そんなもんだ。

「違うボス?」

 俺はキグノ。そう呼べ。

「キグノ?」

「人間の傍にいるとそう呼ばれるの?」

 そうだな。あの人間の傍での役割がキグノだと思っていいぜ。

「わかった、キグノね」

「キグノ、大きいー」


 こいつらに名前って概念はない。あるのは群れでの役割だけだ。

 そもそも名前なんてもので区別しなくても、一頭一頭匂いが違う。それが名前みたいなもので、わざわざ付ける必要がないんだ。


「ねえ、ちょっと。助けて、キグノ」

 なんだ、相棒?

「どうしてこの狼たちはわたしのお尻をつっつくの? 軽く噛まれたりもするんだけど嫌われてるの? 出ていけって合図?」

 あー、それか。


 言って聞かせられないんで、仕方なく例で示すか。おあつらえ向きに、俺の前に雌が一頭やってきた。俺に興味津々で、尻尾がピンと後ろに伸びてる。


「ねえ、あなた、強いの?」

 さあ、どうだかな。


 尻尾を上げるとその雌が嗅いでくるから、俺もお尻を嗅いでやる。雌は鼻を押し付け、軽くついばむような挨拶もしてくる。


「あっ、これ挨拶なのね!」

 そういうこった。

「わたし、歓迎されてるんだ。嬉しい」


 リーエは挨拶を済ませた奴から順に頭を撫でたり首を掻いてやったりしている。


 ふむふむ。この雌、結構いい匂いじゃないかくんかくんかくんかくーんかくんかくんか。

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