2010年・冬~冬至

第77話「覇気のない店員」

「デザート食べ行くかー」

 ワンコインピザ屋を出た後、近隣の居酒屋を二軒はしごし、駅方面に足を進めていた。

 いつもより多く飲んだ反動か、普段以上にケーキやパフェなどを欲しており、珍しく私のほうから提案する。

「甘いの食って酒を散らすかねー」


 互いに互いの提案を却下することなく、それでいて妙に気を遣うこともなく、いつも成り行き任せあるいは行き当たりばったりな行動を共有していて少しの不快感も居心地の悪さも――少なくとも自分は――感じないこの関係性は、改めて俯瞰するとかけがえのないものだなと、ジントニックやレモンサワーでふわついた脳であっても鮮明に感じる。


「ここ、前に来たよね」

 東口から徒歩数分の場所にある『らんぶる』は、以前一度だけ訪れたことのある喫茶店だ。

「ここでいいか」

 光蟲がつぶやき、地下へ通ずる裏口から入店する。


 らんぶるは一階にも席はあるが、なんといってもこの地下フロアには驚倒せざるを得ない。天井から吊るされたシャンデリア風のライトや深紅の椅子、一見すると窓のような大型の鏡など、ヨーロッパ調の絢爛けんらんたる内装は確かに一度見れば脳に染みついて忘れないが、何より舌を巻くのは、外観からは想像しがたい圧倒的な広さである。インターネットの情報によれば、席数は二百を超えるらしい。先ほどまで狭苦しい居酒屋にいたこともあり、私の両眼にはいっそう強調されて映った。


「お好きな席どうぞ」

 私たちが入ると、ベートーヴェンのような鬱陶しい髪をした三十手前ぐらいの男性店員が、覇気のない口調で案内する。地下フロアの中にさらに八段ほどの階段があり、それを下りてすぐの四人掛けの席に腰かけた。

 珈琲西武ほどではないが、夜の十時だというのに店内は老若男女問わず賑わっており、新宿という街の生命力を肌で感じる。


「すいませーん」

 光蟲が店員を呼ぶと、さっきのベートーヴェンではなく、アルバイトらしき若い女性店員が注文をとりにきた。


「ブレンドとモンブラン」

「アイスティーと、ニューヨークチーズで」

「あぁ、すいません。ケーキがモンブランしか残ってないんですよ……」

 女性店員が、やはり活気に乏しい語調で答えた。

「では、自分も同じで」

 本当はモンブランという気分ではなかったが、それでも甘い物を求めていたので妥協した。


「この時間だからなー」

「そうねー。まあ、なんでもいいよ」

 ルノアールに行くべきだったかと、先日に続いて若干の後悔を覚える。


「あのぉ、すいません」

 注文をしてから一分も経たないうちに、女性店員ではなくベートーヴェンが現れる。

「申し訳ありません。今確認したら、ケーキがもう全てなかったんですよね……」

「えっ」

 思わず、二人同時に声が出る。


「申し訳ありません」

 ベートーヴェンが、形式的に頭を下げる。

「じゃあ、このへんのパフェとかは」

 私がメニューを示しながら、更なる妥協案を模索する。

「申し訳ありません、そちらも売り切れです」

 彼の言葉に、私たちは思わず半笑いをつがえた。

「じゃあ、ドリンクだけでいいです」


 私が降参すると、ベートーヴェンが何度目かの申し訳ありませんを述べ、さっさと階段を上がっていった。

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