第75話「奇襲に対する奇襲」

 観客の耳障りな拍手が止むと、幕が上がり芝居が始まった。


 王の部下役と山賊役を兼任している私は、序盤に二つ、中盤に二つ、終盤に一つ台詞がある。最後のみ山賊役だ。

 通してまんべんなく出番はあるが、舞台に出ている時間はそれほど多くない。台詞も最後のみ若干長いことを除けばおまけのようなもので、台詞よりもむしろ動きのほうに意識を向ける必要があった。数名がまとまって移動する中で一人だけ後れをとったり、反対に先走ってしまったりしては滑稽なので、そうならないよう注意を払う。


 序盤の出番が訪れ舞台に出ると、予想以上の観客の多さに驚かされた。

 私のクラスだけでなく、同学年の別のクラスや、もしくは違う学年の保護者もそれなりに残っているようで、また保護者だけでなく生徒も――昨日も観ているだろうに――ちらほらと見受けられた。いつもと異なる日本の作品だからか、あるいは今年はなぜか五年生がトリを務めるということで注目を集めたのかわからないが、この人数は例年と比べて大分多い。


 別に、ギャラリーが多いからといって何も気負う必要はない。何か重要なオーディションでもなければ、賞金がかかっているわけでもないのだ。無意味に醜態をさらすことはないが、必要以上に良いところを見せようなどと張り切る意味はない。

 私は、昨日と同様に淡々とこなす。舞台袖に戻って次の出番を待っている時間は不意に眠気が到来することもあり――昼食を腹一杯食べた上に、長時間囲碁の問題集を解いていたことで疲れが生じたのだろう――、しゃがんで待機しているうちにうとうとしたり、あくびが生じたりすることもあった。


 今日の夕飯はどうしようか、明日は天気が良ければ、自転車に乗って少し遠くまで足を伸ばしてみようか――土日に学芸会が行われる分、翌日の月曜日は学校が休みとなる――など悠長なことを考えていた。

 序盤と中盤の王の部下役をつつがなく乗り切り、残すは上村・有馬と一緒の山賊役だけとなった。


 終盤、主人公のメロスが友人のセリヌンティウスとの約束を果たすため、彼を捕らえている王のもとに脱兎だっとの勢いで向かっている最中、王の差し金か否かは定かでないが、三人の山賊がメロスの行く手を阻んで現れた場面。


「急がなければ。セリヌンティウスを裏切るわけにはいかない!」


 舞台袖から走ってくるメロス役の高杉に照明が当たり、その後、暗くなっていた舞台の左側に光が生まれる。

 そこには、舞台の奥から順に有馬・私・上村が横一列に並んで待ち受けていた。


「何だ、お前達は」


 高杉のこのひと言の後、五秒間無言で彼を睨みつけるというわけのわからないステップを踏み、真ん中の私の台詞だ。これで最後だと安堵を覚えつつも、脳内できっちりカウントする。



「ずいぶんと急いでいるようだが、このまま易々とここを通すわけにはいかぬ。通りたくば、持ち物全部を置いてゆけ。それが嫌なら、ここで我々と勝負するがよい!」

 


 私が思わず上村のほうを向いたのは、台詞をど忘れして助けを求めたからではない。

 私が五秒数え終えるよりも先に、上村が私の台詞を声高らかに発したからである。


「私は、陽が沈む前に王城へ行かなければならない。それに、私は命の他には何も持っていない。その命さえも、これから王に差し出すのだ」


 私が正面に向き直るよりも先に、高杉が自身の台詞を言う。

 いったいどういうことだろうか。練習と違うではないか。

 

 高杉の「何だ、お前達は」を合図として、まず私の台詞――先ほど上村が口にした台詞――があり、それに続いて有馬が短い台詞を畳みかけ、もう一度高杉の手番の後に上村が締めるというのが正規の手順で、台本にもそう書いてある。第一、昨日だってその通りに演じていたではないか。


「わかっていないな。我々は、その命が欲しいのだ!」

 

 私が混乱している間に、有馬が最後の台詞――本来であれば上村が言うところだ――を躊躇なく発した。


 台本と異なる運びにも関わらず、誰も何の疑問も示さない。

 それどころかあまりにも自然に進みすぎており、しかも有馬までもがそれに順応していることを目の当たりにして確信した。私はめられたのだ。


 それに気付いて芽生えた感情は、怒りでも屈辱でも焦燥でもなかった。むしろ、愉快にすら感じていた。とうとう局面もここまで進んだかという他人事のような感心と、ではここで私が彼らのリズムを断てば、彼らや観客はどういう反応を示すだろうという好奇心とが、水底から湧き出るように横溢おういつしていた。


 それらの感情は、凡人の常識の埒外らちがいともいえる大胆な言動を惹起じゃっきした。



「ちょっとちょっと、みんな台詞の順番間違えてるじゃない。山賊役の三人の中で最初に台詞言うの僕だから。昨日はできてたのにわかんなくなっちゃったのかなあ。おかげで僕の台詞なくなっちゃったじゃん」



 芝居の流れを完全に断ち切り、私は漫才でも始めたかのような陽気な口調で、時折半笑いを浮かべながら話す。

 観客は何が起こっているのか把握できていない様子で、顔を見合わせたり何やら話したりしている。


「困るなあこういうの。これじゃあ、何のために居残り練習なんかして頑張ってきたのかわかんないわー。まあ、僕は一度もしなかったけどさ」

 立て板に水のごとく話し続ける私のそばで、高杉も有馬も上村も唖然としていた。


「こうなったらしょうがない。仕切り直してテイク・ツーと行きましょう。皆様、よろしゅうございますか!?」


 正面に向き直り、中指と人差し指を立てながら観客に尋ねると、客席からぽつぽつと笑い声が生まれた。それは次第に「いいぞー」、「頑張れー」などの賛同の言葉へと変わり、そして拍手へと変化を遂げた。


「ありがとうございます。それでこそ、器の大きいジャパニーズ! それでは、山賊役の最初の台詞、つまり僕の台詞から行きまーす」


 そう言って私は右手をあげ、先ほど上村に言われてしまった――本来であれば私の――台詞を情感たっぷりに口にする。


 高杉が私をねめつける視線を背に感じていたが、観客の拍手を受けて気を取り直したのか、上村と有馬にあごで合図を送り、芝居は本来の手順で再開された。

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