第39話「それぞれの気遣い」
「お疲れ様。何とか終わったね」
水屋に戻り、水筒に手をかけながらホッとした顔を作る。
「いや~驚いたよ。昨日と全然違うじゃん」
東が、爽やかな笑みを浮かべて驚嘆する。
「最後だし、思い切ってやってみようと思ってね」
「だとしても思い切ったよなー。あの挨拶は、横で聞いててハラハラしたわ」
確かに、今思うとよくあんな奇をてらったことを言えたものだと思う。
「まさか茶席で、ブレンドコーヒーって言う人がいるとは思わないわよ」
比較的話す機会の多い三年生の
「ちょっと
「柄杓のエピソードも面白かったよ。囲碁でも同じ用語があるなんて、知らなかった~」
本日二席の半東を無事に終えた大澤も、にこりと微笑んで輪に加わる。
「あれは、悦弥にしか語れないよな。なんか関係してそうな気もするけど、どうなんだろうね」
部長の東でさえも出来ないフリートークを展開したことを改めて実感し、私は少し満足げな半笑いを浮かべた。
「お疲れ様」
平山先生がやって来て、いつもの温柔な笑みを見せる。
「あなたらしい、ユーモアのあるお席でした」
基本に忠実で真面目な先生があのトークをどう思ったか、心配でもあり興味深くもあった。
「ありがとうございました。昨日、あなたらしくやりなさいと言って頂いたことでふっ切れました」
「最初の挨拶は、学生の催す席でなかったとすれば多少問題もあったでしょうが、自信を持ってなさっていたので、好感を持てましたよ」
やはりあの挨拶は思い切りすぎだったようだが、平山先生の好意的なリアクションを受けて安堵する。
「皆さんも、ご指導ありがとうございました」
部員たちにも礼を言い、軽く頭を下げた。
「そういや、友達二人来てるんだよね。行ってきなよ」
「そうそう、もう少ししたら
東と滝田さんの提案に、そういえば彼らが来ていたのだと思い出す。無事に茶席を終えたことで安心しきって、そのまま帰してしまうところだった。薄茶席の後は、四年生による立礼席(テーブルに釜と水差しを置き、椅子に腰かけて行うお点前のこと)に入る流れとなっており、浅井と光蟲は今そちらに参加している。
「じゃあ、そうさせてもらおうかな。お気遣いすみません」
彼らにまとめて礼を言い、小走りで入口へと向かった。
入口で少し待つと、最後の客たちが戻ってきた。
受付の三年生に混ざり、お辞儀をして彼らを見送る。浅井と光蟲が来ると、それぞれに笑みを向けて
「わざわざありがとね。あっ、彼、哲学科の友達の光蟲君」
不思議なツーショットに心躍りながらも、冷静に浅井に紹介する。
「はじめまして、悦弥くんの友達の光蟲です」
「はじめまして。囲碁部で、悦弥さんの後輩の浅井です」
光蟲がいつもの半笑いで自己紹介すると、浅井はやや戸惑いながら返答した。
「だいぶ緊張したけど、二人が席にいたから落ち着いて出来たよ。ありがとう」
「いやあ、面白かったよ。作法とかなんも知らないから、隣の女の人の真似して適当にやってたけど」
「私も楽しかったです。抹茶もお菓子も美味しかった~」
光蟲と浅井が、それぞれ簡潔に感想を述べる。
「せっかく来てくれたし、時間あったら皆で飲みにでもどうかな?」
飲みとしては少し時間が早いが、今しがた抹茶を堪能したところで、お茶でもと言うのは違うように感じた。
「あー、俺五時からバイト入ってるから遠慮しとくよ。また今度行こう」
光蟲が、スマートフォンにちらっと目を向けて時間を確認しながら答える。
「そっかそっか。浅井さんも忙しい?」
もしかすると、光蟲は気を遣ってくれたのだろうかと考えながら浅井に尋ねる。先日彼にお誘いメールを送った時、確か当日はバイトもなくて暇だと返してきたような気がする。
「あっ、いえ、私は大丈夫ですけど」
少しばかり意表を突かれた、という表情だった。
「じゃあ、少し部室で打ってもらえるかな? ご飯行くにも半端な時間だし」
光蟲の気遣いが、無駄にならずに済んで良かったと思う。
「こちらこそ、ぜひお願いします」
顔をほころばせて、浅井が了承する。
「ありがとう。ちょっと着替えてくるから、先に部室に行っててくれるかな。光蟲君もまた飲みに行こう」
「わかりました」
「ほーい、じゃあまた」
光蟲の気の抜けた返事を聞き終え、小走りで九号館のトイレに向かう。
浅井の、女としてはやや低めな声も悪くないなと感じた。
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