第十一話 策士、論ず

 俺にとって駿河での一日は、何事もなく過ぎ行くものであった。

 其れは、甲斐に居ても同じ。


 あぁ、暇だ。

 今晩、晴信から役目を与えられるまで、何もする事がない。

 何をしようとも思わない。思えない。


 俺は屋敷の縁側に座り、庭を眺める。

 思わず吐息が漏れるほど、蒼い空。

 其の下で、風に草花が揺れている。

 此処は駿河の如く、静かな場所だ。


 気付けば、目の前に白蝶が舞っている。

 其れは俺の袴の袖に留まった。

 

 ふと夢の蜻蛉を思い出し、懐古の念に駆られる。

 俺は袖を、顔の前まで持ち上げる。

 白蝶は再び花の蜜を求め、羽を広げ、地(袖)を蹴った。


 其の様を見て、俺は空を仰ぐ。

 雲の隙間から覗く、輝く無数の光の筋。

 其の横を、一匹の鳥が飛んでいる。


 (置いていかれたのだろうか。)

 遥か西の空に、背を向け飛び続ける無数の鳥を見る。

 俺は其の場で幾度と旋回する鳥を、ただ眺める。

 叫んでいるように見えた。

 己が孤独さを嘆いているような、鳴き声をあげている。

 

 あの蝶も、あの鳥も孤独だ。

 しかし、俺とは違う。

 あの者が得たのは、孤独と同等の〈自由〉だ。


 いつからだろうか。

 人間には叶わない、其の自由さに、

 憧れを抱いてしまう様になったのは。


 



 陽が沈む。城の辺りに灯がつき始める。

 大広間は既に酒に酔い、酒に騒ぐ者達で溢れて居る。


 こういった雰囲気は、どうにも苦手だ。

 其の中で、早々に食事を済ませた俺が向かうのは、晴信の寝室。

 先程、飯富に確認を取った。此処で間違い無い筈だ。


 「晴信様、晴幸にございます」

 直ぐに返される返事。間違い無く晴信の声だ。

 確信めいた俺は、ゆっくりと障子を開ける。

 途端に、俺は目を見開いた。


 槍、刀、鎧、

 其れ等が無数に、壁際に飾られている。

 

 「来たか、ほれ、近う寄れ」

 其の中心に座り手招きするのは、紛れも無い武田晴信

 と、その横に一人


 「板垣……殿?」

 板垣信方。彼が晴信と対面する形で座っていた。


 俺は板垣の側に座る。

 板垣は俺の方を向き、表情を緩ませた。

 気まずい雰囲気を払拭しようと、必死なのだろうか。

 俺は些か、申し訳無さを感じてしまう。


 「晴幸、何故其方を此処へ呼んだのか、分かるか」

 その言葉に強く反応する。

 俺に役目を言い渡す為ではないのか?


 「其方を此処へ呼んだのは、其方と語りたかったからじゃ」

 そう言って、右手を俺の前へ差し出す。


 「聞かせてみよ。其方の〈城取り〉について」


 成程な、あくまでまだ俺を試す段階に過ぎないという事か。

 己の中で、腑に落ちた心地がする。


 つまり俺は、飯富にも騙されていた訳だな。

 全く、騙す必要など皆無であろうに。

 俺は口を開いた。


 「私の流派は、京流にござります。

  其れでも、宜しゅうございますか?」


 御前が戦術について語れるのかと、そう思う者も居る事だろう。

 しかし、歴史嫌いの俺でさえ、此れまで何もして来なかった訳では無い。

 戦術、其れは此処で生きる上で、重要な事柄なのだ。

 言っただろう。〈歴史を学ばなかった自分を、今になって後悔している〉と。


 今川家に仕える為、俺はある書物を読み漁った。

 其れは、転生前の山本晴幸が何冊にも渡って記述した日記である。


 晴幸は駿河に仕える以前、10年という歳月をかけ、

 中国、四国、九州、関東の地方諸国を渡り歩いたという。

 彼は其の道中において、京流兵法を会得し、城取りや陣取りを極めていった。


 其の道中で書かれた日記には兵法のみではなく

 近隣諸国の情勢までも綿密に書かれている。


 俺は数年かけて、其れら全てを頭に詰め込んだ。

 興味のない城のことも独学で学んだ。

 其の文章量は、吐き気を催すほどである。

 

 

 「ほぉ、京流か。珍しいものだな」

 晴信は前のめりの姿勢を取る。

 見る限り、聞く姿勢に入っている。


 其れに、俺が転生したとしても、所詮は山本晴幸の身体に過ぎない。

 更に言えば、脳も晴幸の物だ。ならば、思考も自然に似通ってくる。


 俺は、じっと晴信の顔を見る。

 スキルが使えない今、この機は彼のステータスを知る良い機会だ。

 申し訳無く思っている暇は無い。

 其の為に、板垣、御前にも協力してもらうぞ。


 俺は先ず、城攻めの極意から、語り始めることにした。

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