第174話飢え
「お腹すいた」
宵闇の中、1人の女が呟いた。辺りに白い羽が舞った。
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「また人喰いが出たそうです」
部屋の中に引き篭もった主人を心配し、顔を覗かせたハンゾーから告げられた言葉にジンは顔を上げた。その顔はひどく疲れ切り、憔悴していた。
「人喰い?」
彼の頭の中にティータの顔が過ぎる。絶望の中、死んでいった姉と似た境遇の少女を思い出し、顔をしかめた。ジンは立ち上がるとハンゾーに尋ねた。
「それで、どこであったんだ?」
ハンゾーの説明によると、またしても犯行は夜に行われたのだそうだ。しかし、今度はスラムではなく、複数件の民家でだ。家の中には夥しい量の血が広がり、貪り尽くされた死体がいくつも転がっていたという。
「騎士団は警戒を強めるそうです。我々はいかがいたしましょうか? 今ならまだこの街を出ることも可能でしょうが」
ハンゾーの言いたい事はすぐに理解できた。もしこのまま街に残れば、事件が解決するまで、おそらく街は閉鎖され、ジンたちは外に出られなくなる。そうなると、学校に辿り着く前に、謎の人物による大規模実験が開始される可能性が出てくる。だがジンは首を振った。
「いや、ここに残って俺達も調査しよう」
彼の頭に過ぎったのは、涙を流しながら走り去ったシオンの顔だった。彼女は現在、騎士団に所属している。つまりこの事件の調査に彼女も駆り出されるのは目に見えている。その上、犯人が魔人である可能性が高いので、使徒になった彼女が戦闘に巻き込まれる事は想像に難くない。彼女の今現在の実力は分からないが、例え傷つけたとしても、惚れた女が死地に向かうのを指を加えて眺めているだけの男ではいたくない。
「それに……」
彼女が使徒になったという事に嫌な予感を感じるのだ。もし彼女が魔人との戦闘で命を落とせば、ジンには耐えられる気がしない。
「なんでしょうか?」
「いや、それよりもハンゾー達は情報を集めてくれ」
「了解いたしました」
部屋を出ていくハンゾーの後ろ姿を見ながら、ジンは自嘲した。
「本っ当に救えねえほどエゴイストだな」
自分の目的を考えればやるべき事、切り捨てるべき事は分かっている。その上彼の後ろ盾となってくれる国を危険から遠ざけるならば、極力面倒事には首を突っ込むべきではない。結局彼には非情な決断を下す勇気が無かったのだ。
「なんで、俺なんだ」
彼の口からポロリと弱音が零れ落ちた。
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「入りますよ」
扉をノックしてもしばらく反応がなかったので、エルマーは悪いと思いつつも、恐る恐るドアを開けて中を覗き込んだ。部屋の中にはいくつもの白い羽が落ちていた。それを一つ拾い上げるとエルマーは不思議そうな顔を浮かべた。
「なんでこんなものが?」
普段なら、エルマーが部屋に入れば彼女が声をかけてくれるはずだった。しかし一向に姿を見せない。それを疑問に思って、部屋の中を見回すと、窓に何かが出て行ったかのような傷がある事に気がついた。
「まさか!?」
エルマーは急いで窓から顔を出した。最悪の予想が頭を過ぎる。この街で人喰いが現れたという話はエルマーも知っている。さらに先ほど仕入れた情報によると、その人喰いは民家を襲い、人々を喰い散らかしたり、連れ去ったりしたそうだ。ナギがその人喰いに連れ去られる光景を想像し、エルマーは窓から外に飛び出した。
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「うぅ、どうしてこんなにお腹が空くの?」
森の中で、あまりの空腹に蹲っていると、きこりの男が斧を持って近づいてきた。
「嬢ちゃん。そんなとこで何してんだ?」
ナギはゆっくりと顔を上げて、ぼんやりと顔を見る。そこには心配そうな顔を浮かべて彼女を見つめる、筋骨隆々うの男がいた。
「お腹が、お腹がとっても空いて苦しいんです」
きこりはナギの美しい顔に一瞬目を奪われるが、すぐに自分の持っていた背嚢から昼食にと彼の妻が拵えてくれたサンドイッチを取り出して、彼女に差し出した。
「おお、そりゃ可哀想に。旨くねえかもしれねえが母ちゃんが作った飯だ。よかったら食ってくれ」
そう言ってきこりの男は優しく笑った。
「ありがとう、おじさん。じゃあ、いただきます」
次の瞬間、サンドイッチとともに、きこりの男の右手の指が消えた。
「へ?」
男は呆然と自分の右手を持ち上げて、指があった所を見つめる。血が吹き出して、その先には何もない。
「ひ、ひぎゃあああああああ!!!」
男はあまりの痛みに泣き叫ぶ。美味しそうにそれを咀嚼しているナギの口からは血が垂れている。ペロリと彼女はそれを舐めとった。
「あぁ、美味しい」
恍惚とした表情を浮かべた彼女は、ゆっくりときこりに目を向けた。
「もっとちょうだい」
「ひ、ひいいいいい!」
きこりはその場から逃げ出そうとするが、転んでしまう。急いで立ち上がろうとするも足が動かない。というより足が存在していない。激痛にきこりは顔をぐしゃぐしゃにして、必死に助けを呼ぶ。
「誰か、誰か助けてくれ!」
だがこの時間にこの辺りに人が来ない事を、彼は誰よりもよく知っている。彼の声を聞くものは誰もいない。
「逃げちゃダメだよ」
ナギは口を血塗れにして、なんとか逃げようとしているきこりに近寄る。
「く、来るな、来るなああああああ!」
「だーめ」
筋肉質の彼の肩の一部が喰いちぎられた。
「ああああ、誰か、誰かああああああ!!!」
左耳が引き裂かれ、目の前で美味しそうに食われる。
「ご飯の時は、行儀良くするって何度も教えてるでしょ、ジン」
ナギの背中から白い翼が生える。きこりは子供のようにいやいやと首を横に振る。
「あ、飴だ。食べちゃお」
ぶすりときこりの右目に指が突き刺さる。ずるりと引き出され、残った左目で、それが彼女の口の中に放り込まれるのを見送る。
「がああああああああ!!!」
きこりの腹に彼女の腕が突き刺さり、中から臓物が引っ張り出される。
「内臓はちゃんと調理しないとね」
次の瞬間、内臓を掴む彼女の手から炎が出て、その何かの臓器が丁度良く焼けて、香ばしい匂いが周囲に広がった。彼女はそれを口に放り込むと美味しそうに顔を綻ばせた。
「きゃは、きゃははははははははははははははははは!」
徐々に喰われていく激痛に苦しみながら、きこりはただこの絶望が早く終わる事だけを願い続けた。
結局、彼が解放されたのはそれから10分ほど後のことだった。
「ご馳走様でした」
ナギは目の前に転がる死体に手を合わせてそう言った。
「さてと、どうしようかな?」
先ほどまでの強い飢餓感は一切無くなっていた。目の前に転がっている【人間】を喰った事に、驚きはしているものの、なんら後悔を抱いていない。それよりも自分の服が血塗れである事の方が問題だった。
「こんなのエルマーに見られたらどう思われちゃうかな?」
エルマーと、もう1人の顔を思い浮かべる。今考えると、何が原因だったのかは分からないが、彼女と話している時の彼はひどく苦しそうだった。
「悪い事しちゃったかな」
ジンには辛い顔をして欲しくない。そんな気持ちが、目の前の男を喰った後からどんどん強くなっていた。
「もう一度会いたいなぁ」
彼の顔を思い出し、口から僅かに涎がこぼれ落ちた事に、彼女は気付いていなかった。
それからナギは、どうやってこの服を始末しようか頭を悩ませながら、森の中を歩いていた。すると、突然猛烈な雨が降り出した。
「うわわっ」
ナギは慌てて森の中を進むと、すぐに洞窟を見つけた。
「とりあえず、あそこで雨宿りしよう!」
そう言って彼女は洞窟に駆け込んだ。
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