第173話デート
「全く、なんであいつはいつもいつも絶妙なタイミングで最悪な事を的確にやるんだよ!」
悪態をつきながらも辺りを見渡すが、如何せん、外は祭りの真っ只中だ。混雑のため、もう彼女は見つからなかった。それならばと感覚を強化し、研ぎ澄ませる。すぐにシオンらしき存在を発見し、急いで追いかける。人を掻き分けながら進むため、なかなか距離が縮まらない。
「そうだ!」
屋根に上がればよかったのだ、という事に気がついたタイミングで、シオンらしき者も上に向かっている事に気がついた。どうやら考えは同じだったらしい。慌ててジンも屋根に登ると、すぐに屋根から屋根へと飛び移っていく少女を見つけた。
「シオン!」
ジンが叫ぶとシオンはビクリと震えてから、風法術を使って速度を上げた。
「ちっ、マジかよ」
舌打ちを一つしてジンも足を強化する。それもラグナからもらった【強化】の権能で。扱い方を間違えれば肉体を破壊する力で追いかけている自分に気がついて、一瞬苦笑いするが、そんなことよりも今は彼女の誤解を解く方が重要だった。すぐに追いつけば大して負荷もかからない。だが彼が今追いかけているのは使徒である。そう容易く追いつける相手ではなかった。
結局、30分ほど追いかけ回して漸く彼女の手を掴んだ。無理に走ったため、微かに脚に痛みを感じるが今はそんな事を気にしていられない。
「は、話を聞いてくれ」
ジンの方は粗い息を吐いているが、シオンの方は平然としている。ただ一向に彼の方を向こうとせず、顔が見られないように逸らしている。
「やだ」
「いいから聞いてくれって!」
「別にボクはお前と何も関係ないし、何か聞く事もない」
突き放すような言葉だが微かに震えているのが分かる。ジンも鈍すぎるわけではない。さすがにここまでの反応をされれば、シオンの想いも少しは察する事ができる。それが分かったからこそ、彼は本来ここで彼女を放置するべきであった。自分の置かれた環境と使命を思えば、彼女の想いに応えることは決してできない。だがそれでも彼女に勘違いして欲しくなかった。それがどれだけ独善的で、彼女の心を傷つけると理解していてもだ。
「……あいつは」
「何も言わなくていい」
シオンが両耳を塞ごうとして、片手が掴まれている事に気がつき、ジンの手を剥がそうとするも、ジンはしっかりと握る。彼女の顔が痛みで微かに歪むが、それを無視してジンは掴み続けた。
「あいつは!」
「うるさい!」
ジタバタ暴れ始めるシオンにジンは叫んだ。
「従妹なんだ!」
「うるさ……え?」
耳に届いた言葉に目を丸くして、シオンがジンにやっと顔をむけた。目が少し赤くなっている事から、泣きながら走っていたのだろう。それに気がついてジンは胸が痛んだ。
「あいつは従妹なんだ」
「い……とこ?従妹ってあの?」
「ああ、その従妹だ。とにかくあいつとは別に特別な関係でもなんでも無い。そもそもあいつには許嫁がいるしな」
「へ、へえ。ま、ままま、まあボクには別に何にも関係ないけど。無いけどなんだか随分親しそうに見えたけど?」
口では無関心を装ってはいるが、表情も仕草も何もかもが今の彼女の心情を隠せていない。何せ従妹と分かってから顔が緩んでいるからだ。
「元からああいう、人が迷惑に思う事をするのが大好きなやつなんだ。一体何度困らされたか分からないぐらい面倒なやつなんだよ」
「ふ、ふぅん。ま、まあボクには別に関係ないけどね。本当に何にも、そういった事は何にもないの?」
「ああ、全く。というよりあの日からそんな事になったのは一度もねえよ」
あの日というのがいつの事か、すぐに理解した彼女は顔を明るく輝かせるが、それに気がついて後ろを向き、顔を見られないようにした。
「ま、まあボクには別に関係ないんだけどね」
そんな台詞を吐きながら小さくガッツポーズをしている彼女を見て頬が綻んだ。
「とにかく、あいつは本当になんでもないから」
もう一度念を押すとシオンは振り返って頷き、次いで2人の間にグゥという二つの音が鳴り響いた。ジンは腹を抑えて苦笑し、シオンは恥ずかしさに頬を赤らめた。追いかけっこに夢中でいつの間にか昼はとっくに過ぎていたのだ。
「……適当に店に入るか?」
「………うん」
ジンの提案に蚊の鳴くような声でシオンは賛同した。
矛盾している事をジンは理解していた。それでも彼は、ただこの時間に浸っていたかった。シオンと共にいれば、あらゆる苦悩から解放されるからだ。彼の使命はそれほどに重かった。自分にとって掛け替えのない存在を守ろうとすればするほど、無意識の中で、彼は誰かに救われたかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ぶらぶらと通りを歩いていると、2人の鼻腔を美味しそうな匂いがくすぐった。ジンとシオンは顔を見合わせて頷くと店の中に入った。それからしばらくして、2人のテーブルには様々な料理が並べられた。
「それで、今までどこにいたんだ?」
当然の疑問をシオンが聞いてくる。
「大陸の東の方だ」
「どうしてそんなところに?」
シオンは頭の中に地図を描く。彼女の知る限り、大陸の東には特に何もない。
「ちょっと知り合いに会いに行ったんだ」
「知り合いって?」
「まあ師匠みたいなもんだ」
やはりジンはレヴィを倒すために更なる修行を積んでいたのだと、シオンは判断した。確かに一眼見ただけで、彼の纏う雰囲気は2年前とは別物だ。
「へえ、どんな人なの?」
ジンが2年間、何をしてきたのか気になって尋ねるも、彼は口籠った。それを見てあまり言いたくないのだという事を推察する。そんな空気を読めないほどシオンも鈍感ではない。ただ、今まで恋愛というものに興味を示してこなかったため、その一点においては異常な程に鈍かった。
「まあ、言いたくないなら別にいいけどさ」
「悪いな。それより、そっちはこの2年間どうだったんだ?」
「特に大した事はしてないよ。あの後、騎士団に見習いとして所属して任務していただけ」
「そうか」
「うん」
そこで会話が途切れる。よくよく考えれば、彼らはこのような状況に慣れていない。話したい事は色々あったはずなのだが、なんとなく沈黙してしまった。
『マルシェが見たらうるさいだろうなぁ』
そんな事をぼんやりとシオンは考える。恋愛話が好きな彼女なら、こんな機会があれば根掘り葉掘り聞いてくるのは間違いない。実際、ジンと初めて出掛けた時など、彼女の拘束は数時間に及んだ。やっと解放された時には既に空が白んでいた程だ。
「「あの」」
意を決して再び話そうとすると、2人同時で話始めてしまった。
「「そっちが先に」」
「「いやそっちが」」
「「俺(ボク)はいいから」」
何度も話を被せてしまい、不意に2人は吹き出した。
「ははは、なんか馬鹿みてえだな」
「ふふふ、本当だね」
ようやく2人の間にあった緊張がほぐれてきた。それから2人は様々な事を話した。学校にいる友人達の事や、旅で知った話など、思いつく限り話した。いつの間にか日が落ち始めていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「今日はありがと。またこんなふうに会えるかな?」
会計を終えたジンにシオンが微笑み、尋ねてきた。それは任務としてではなく私的にという事だと、すぐにジンは理解した。どう返答するか言い澱んでいると、ふとシオンの瞳から涙が一雫溢れた。彼女は、ジンが自分と一緒にいられないという事に気がついていた。話している時に何度か見せたジンの表情と、今彼が浮かべる顔がそれを物語っていた。そして、彼には言わなかったが、自分がディアスと結婚しなければならないという事実が重くのしかかってきたのだ。
『こんな気持ちになるなら、会わなければよかった』
そんなふうに思いながらも、シオンは必死に笑顔を浮かべようとする。学校でこれから起こるという事件を解決するまでは一緒にいられるのだと納得しようとした。だが、どうしても出来なかった。彼がまた自分の前から消えるという事、もう自分と彼が違う場所にいるという事に気がついて、瞳から溢れ出てくる涙は止まらなかった。
それを見て、ジンは胸が締め付けられる。本当ならば、今すぐにでも抱きしめたかった。だがそれをすればどうなるかは目に見えている。彼女の想いに応えられない自分は、一層彼女を不幸にする。涙を拭こうと持ち上げかけた腕を下ろした。その様子を見てシオンは強引に腕で顔を拭った。
「バイバイ」
顔を上げたシオンはジンに向かって言うと、答えも聞かずに駆け出した。
「……じゃあな」
思わず伸ばしていた腕を、ジンは力なく降ろし、去っていく彼女の後ろ姿を見続けて呟いた。
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