第172話死生観

「きっと、その魔物か魔人はお腹が空いてたんだよ。彼らにとって人間は食料だし、食べないと彼らも生きていけないんだから」


「で、でも昨日会ったティータ達も死んだんですよ!」


「うん、本当に可哀想。もうちょっといろいろお話ししてみたかったけど、残念ね」


 言葉とは裏腹に笑みを浮かべる彼女を見て、ジンはゾッとする。ここに来て彼女の違和感に気がついた。表面上取り繕ってはいるが、人間としての感情が一部存在していないのだ。相手に対する思いやりという、何よりも姉が持っていた感情を、目の前の『ナギ』は有していない。


「なんで、なんでそんなにあっさりとしていられるんですか!」


 ジンが想像以上に声を大きくした事で、目を丸くした後に『ナギ』は困った様な顔をした。


「あの、何でそんなに怒っているの? 私、何か間違った事言った?」


 その様子は自分の発言になんら疑問を抱いていない事を示していた。つまり、彼女にとって、例え知り合いだったとしても、人の命は重くないのだ。人を助けるためならば自分の身さえも削ったジンの姉とは大違いだ。


「間違ってはいません。だけど、人としてそんな簡単に切り捨てられる話じゃないでしょう」


 だがその言葉に『ナギ』は困惑する。彼女にとって【人】とは自分と父親だ。それ以外は【人】ではなく【人間】だ。例え自分が拾ったエルマーであっても、父親に請われれば実験の素体として、なんの疑問もなく差し出す事ができる。愛着は僅かに感じてはいるが、父親の頼みを断るほどではない。その程度の存在だ。だからこそ「人として」という言葉の意味が理解できなかった。


「ちょっとよく分からないんだけど、それって普通のことなの?」


 ジンはその言葉に絶句する。姉と『ナギ』との間には深い溝があるのだ。彼女が似ているのは容姿だけであり、その精神性や死生観は全く異なっている。


「だって、魔人や魔物たちだってお腹が空いたら死んじゃうでしょ? 人間と一緒だよ。被害に遭う人間は可哀想だけど、それなら魔人や魔物達だって、ご飯を食べられないのは可哀想でしょ?」


 自分の考えが一切間違っていないと信じているからこそ出てくる言葉に、ジンは顔を顰める。


『一体どんな人生を過ごしてきたんだ。どうすればこんな風に歪むんだ』


 そんな考えが頭を過ぎる。確かにジンは魔人や魔物を人として見る事が多々ある。しかし、それでもここまで割り切る事はできない。魔人はどこまで行っても魔人だし、魔物だってそうだ。人を喰らう化け物である以上、最終的には殺す決断をせざるを得ない。後悔しながらも今までそうしてきた。だが目の前の彼女はそんな心の葛藤さえ抱かず、魔人も魔物も人間も価値が等しいと捉えているのだ。


 それに気がつくと、目の前の女性が姉の面影を持った別人としか思えなくなった。記憶を失うとどうなるのかは分からないが、彼女は少なくとも彼が知る姉ではない。仮に本当に『ナギ』が姉であるのだとしても、今の彼にはその死生観を受け入れる事が出来なかった。それからは『ナギ』から話しかけられても、心ここに在らずという様にあやふやな回答ばかりした。一刻も早く、目の前の『ナギ』から逃げ出したかった。最愛の姉の顔で、姉の仕草で、姉の声で発せられる言葉を聞いていたくなかった。


「もうこんな時間!エルマーが心配するだろうから帰らなくちゃ」


 『ナギ』がふと顔を上げて時計を確認すると、エルマーと約束した時間が迫っていた。宿を出る際、1人で外出する代わりに、戻る時間を決めていたのだ。別に彼の言う事を聞く必要はないが、父親以外で自分にその様な口を聞く相手が新鮮だったので、そういった事を『ナギ』は楽しんでいた。


「そうですか。それじゃあ解散しましょう」


「うん。あの、よかったらもう一度会えるかな?」


 恐る恐る『ナギ』が尋ねてくる。だがジンは首を横に振った。


「すいません。明日にはこの街を出なければならないんです」


「そっか。残念だなぁ」


「そうですね。縁があったらまた会いましょう」


 その言葉にパアッと顔を明るくさせて笑う。その顔に見覚えがあって、ジンは吐き気がした。


 それから、2人は店を出て別れると、それぞれの宿屋に戻るために歩き出した。振り返ることもせずに進んでいく『ナギ』の後ろ姿を、何度も後ろを向いて眺めながら、ジンは自嘲する。


「分かっていたはずなんだけどな」


 10年前、森の主と戦った時に、彼はラグナの取り計らいでナギの魂と決別した。だからこそ、あの『ナギ』がナギである事は有り得ない。それでも、心のどこかで、姉が生きていたのだと信じたかった。だがその願いは無に帰した。彼女は姉と容姿以外、何もかもが違った。何よりも彼女の精神性は、姉とはかけ離れていた。


「つまり……」


 『ナギ』が姉ではないと確信したジンは、最悪な可能性をイメージした。あの『ナギ』が肉体としては本物であるという可能性だ。以前アカツキの皇族用大書庫で読んだ書物の中に、肉体の複製技術について纏めた物があった。無神術による創造についてを調べていた彼は偶然その本を発見して、その中身を読んだのだった。『ナギ』が姉の複製体であるとしたら、それを行った人間は恐らく彼女の話に度々出てきた父親なのだろう。その人物が一体何を考えているのか。複製体などという狂った技術に手を出した人間がまともなはずがない。


「まさかな……」


 翼のある魔人と『ナギ』と『父親』に関連性がある気がしてならなかったが、今はまだ情報が足りなすぎた。そんな事を考えながら宿の前まで来ると、そこにはシオンが宿の壁に背を預けてぼんやりと空を見上げていた。


〜〜〜〜〜〜〜〜


「よう。仕事はどうした?」


 頭を切り替えてジンが話しかけると、シオンは一瞬明るい顔をしてから、すぐに咳払いをしてキリリと真面目な顔を作った。その姿を見て、ホッと安堵する。可愛いよりも格好良いが似合う彼女ではあるが、そんな些細なところを可愛いと感じるあたり、ジンは彼女に参っている。今の彼女がジンをどの様に思っているかは彼の知る由もないが、それでもジンは未だにシオンの事が変わらず好きだった。だからこそ危険に近づけさせないために傍にいられないのだが、それでも僅かな時間であったとしても、シオンと過ごす事ができることにたまらない喜びを感じていた。


「ゴホン、これも立派な仕事だよ。昨日現場にいたお前への事情聴取だからね」


 昨日既に話せる範囲で粗方の話はしたはずなのだが、そんな事を言ってくる彼女に思わず吹き出した。


「はははは、分かった分かった。あんまりサボるなよ」


「サボりじゃないって!」


 図星を突かれたのか少々顔を赤らめる。


「時間あるなら、その、一緒に飯でも食わねえか?」


「うん!」


 食い気味に返答してきた彼女を見て頬が緩む。


「じゃあ、中入れよ。宿屋だけどここの飯はかなり美味いんだ」


 そう言うと、ジンはシオンのためにドアを開けてやり、彼女に続いて中に入った。ジンが泊まっている宿屋は食事処としても有名だった。安価に似合わないクオリティの食事を提供してくれるので、冒険者や一般人に非常に人気で、食事のために来る者もいるほどだ。祭りがあるのにジンたちが泊まれたのは奇跡に近い。ただし今日は『界神祭』のおかげか、客はあまりいなかった。普段ならごった返している食堂も、今日はがらんとしている。


 ジンは窓際のテーブルにシオンを連れて行こうとして、選んだ店を間違えていたことに気がついて深く後悔した。


「ジンーーー!」


 後ろからミコトが彼にタックルを敢行してきたのだ。


「ぐはっ!」


 背後からくる衝撃で前に倒れると、その背にポスンと柔らかい感触を感じた。


「ジン!?」


 シオンが目の前の光景に目を丸くする。


「朝っぱらからどこ行ってたのよ? こっちはいろいろ大変だったんだからね!」


「いい加減こういうのは止めろって何度も言ってんだろ! 重いからさっさと離れろ!」


「ああん? 女の子に重いって言う馬鹿は誰だコラ!」


「ぐぇ……苦しい」


 ジンの言葉に笑いながら青筋を立てるという器用な事をしながら、ジンの首を肘で確保すると、そのまま仰反る。ジンの上半身が浮き上がり、呼吸が出来ず顔を歪める。


「わ、悪かった。も……もう言わないから放してくれ」


「2度と言うなよ」


「は……はい」


 その返答を聞いてミコトは満足そうな顔をして、ジンを解放すると、ジンは咳き込みながら立ち上がった。ミコトはこの様に、たまにストレス発散のためにジンを攻撃してくる事がある。主にゴウテンに絡まれた後にだ。立場的にはジンの方が上なのだが、以前、その事を遠回しに指摘した際、従兄に気を使う理由がどこにある、と一蹴された。普段のジンなら回避する事は容易いのだが、今日はシオンに意識を割いていたため、接近してきていた彼女に気がつかなかったのだった。


 そんな騒がしい彼らとは裏腹に、突然現れた活発な美少女とジンが戯れあっているのを目の当たりにして、シオンの心は激しくざわついた。


「ジン……その子は?」


 シオンがそんな気持ちを隠して尋ねると、ミコトは初めてシオンに気がついた。


「うわ、何この子めっちゃ美人!」


 そしてシオンの周りを珍しそうにグルグルと歩き回り、観察してきた。ミコトの行動に困惑して、ジンの方に顔を向けると、同じく彼も困った顔を浮かべていた。


「いい加減にしろよミコト」


 ジンはミコトの首根っこを掴み、シオンから放す。


「きゃあ、ジンに虐められる」


 ケラケラと笑うミコトに溜め息をついてから、シオンに彼女を紹介しようとする。


「悪いな。こいつはミコト。俺の……」


「ジンの彼女でーす!」


 2人の空気に何かを察したのか、ニヤリと笑うとミコトはジンの右腕に抱きついた。


「ちょ、待、お前!」


「美人さんのお名前は?」


 ミコトの質問はシオンの耳には届かなかった。その直前の言葉があまりにも衝撃的すぎたのだ。


「か、彼女……」


「あ、あれ? 聞こえてる?」


 呆然としているシオンに今度はミコトが面食らった。しかし、すぐにシオンも意識を取り戻した。


「あの、お名前は……」


「あ、えっと、シオンです。あはは、ジン、僕ちょっと、その、用事思い出したんで帰るね。2人の邪魔しちゃ悪いし」


 そう言うとシオンは宿屋から飛び出した。


「ああもう、お前が変な事言うから!」


 ミコトは毎度絶妙なタイミングで空気が読めない悪戯をするのだ。彼女に悪態をつきながら、ジンはすぐさま追いかけた。

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