第171話イヴェル・リーラー

「……以上です」


 トレスの用は、団長のアレキウスともう1人の副団長であるスコットが街に着いたことを伝えることだった。シオンは彼の報告を受けてから、制服を整えてから彼らがいる兵舎の一室に向かい、今朝スラムで発生した事件の様子についてざっと2人に報告した。ただしジンについては触れなかった。彼が何かしら事件と関係している可能性も考えられたが、そんなことをすればまたジンがシオンの前からいなくなってしまうのではないか。そんな気持ちが過ったためだった。その話を聞いたスコットとアレキウスは互いに視線を交わし合った。彼らはこれと似た事件を知っていたからだ。


「分かった。下がっていいぞ」


 アレキウスの言葉にシオンは素直に従い、一礼すると部屋から出て行った。


「それで、どう思う?」


「似ていますね」


 散らばった羽に、喰い散らかされた死体の数々。スラムという人目につかない場所で発生したこと。シオンには伝わっていなかったが、その後の調査で喰われた箇所が人の歯形によるものであったことが判明し、事件を起こしたのが魔人であることはほぼ確実であると2人は睨んでいた。


「10年前の件と繋がりがあると思うか?」


 アレキウスはオリジンのスラムで起こった事件を思い出す。調査によって、魔人へと変化したのがおそらく『ナギ』と呼ばれる少女であったことまでは分かっている。さらにその少女の魔人化した容姿が白い翼を生やしたものだったということも、今際の際にいた被害者から聞いている。


「魔人の性質を考えれば確実にあるかと」


 その上、2年前にあった2体の魔人が発生した事件でも、片方が白い翼を生やしていたのだ。これほど偶然が重なるとはアレキウスもスコットも思っていない。


「ってぇことは、魔人化実験か。まだそんなの実験するやつがいたとはな」


「弟子共々消したと思っていましたが、もしかしたらあの作戦時に運よく逃れていた者がいたのかもしれません」


 20年ほど前、チェルカにてとある理論を提唱する一派がいた。人の手によって魔人を生み出す方法を彼らは探究し、非人道的実験が極秘裏に行われた。分かっているだけでも数百もの人間がその実験で命を落とすか、魔物へと変化した。当時、既に騎士団長を務めていたアレキウスと、騎士団の第一部隊長だったスコットはこの一派を殲滅し、研究データを全て破棄した。その際、何かしらの幻覚を見せる薬物が用いられ、多くの部下達が正気を失い、味方同士でも殺し合いを始めた。今でも廃人となっている者が多い。


「それで、いかがいたしますか?」


「チェルカに行って、情報を集めろ。それから、このことを陛下に報告し、至急捜査部隊を結成する様に頼め。ただし、極秘裏にな」


「了解いたしました」


 スコットは頭を下げると早速部屋から出て行った。

「イヴェル・リーラーの跡を継ぐ者か……」


 アレキウスはギシリと背もたれに背中を預け、かつての事件の首魁の顔を思い浮かべた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「つまりさ、アレキウス。魔人という存在を我々が作り出せるのだとすれば、その反対も当然できる様になるということだよ」


 その男は邪気のない瞳で笑いながら言った。


 イヴェル・リーラーはアレキウスにとって大切な存在だった。兄弟の様に育ってきた親友であり、兄の様な存在であり、まだ使徒に目覚めて苦労ばかりしていた彼を救い、導いてくれた存在だった。


 魔物の生物学に非常に精通していたイヴェルは、若いうちからチェルカで魔物についての研究を始め、多くの事を発見していった。中でも物議を醸したのが合成獣の理論を証明した論文だ。彼は魔核が如何に人間と融合しているのかを研究する過程で、魔物となった人間のそれぞれに、魔核に対しての許容量というものが存在している事を偶然発見した。


 しかしこの研究に対しての世間の評価は厳しかった。ただでさえ、魔物は人間から転じたものであり、その生物学は忌避される傾向にあったのだ。魔物になったとはいえ、元人間を解剖し、合成獣という、さらに禍々しい存在を創り出せるなどという研究を、人々は良しとしなかった。例え、イヴェルの願いが魔物を完全に理解する事で人を元に戻すというものだったとしてもだ。世界はそんな彼を受け入れず、激しく非難した。


 そうして彼は徐々に歪んでいった。彼は人々に忌避される様な研究にどんどん着手した。それはきっと、名声欲から来るものではなかった。そんな時、彼の家族が魔物へと転じた。目の前で魔物になった妻と娘を殺された彼を、人々は天罰だと嘲笑った。


アレキウスが異変に気づいた頃、イヴェルの研究は既に取り返しが付かない所まで来ていた。だが彼の本質にあるのは、やはり人を救いたいという願いだった。


「なぜだ?」


 そう尋ねたアレキウスにイヴェルは悪びれもなく答えた。


「誰もやらないのなら、誰かがやるしかないだろう? 例え後悔する事になったとしても、これから不幸になる人々を少しでも多く減らすためには、もっと僕達はこの世界のシステムを理解しないといけないんだ」


 アレキウスはその言葉を聞いてから、彼の首を切り落とした。


「馬鹿野郎が……」


 そうしてアレキウスは大切な兄が全てを捧げた研究を闇へと永遠に葬り去った。そのはずだった。


〜〜〜〜〜〜〜〜


 こっそりと外から『白熊亭』を覗いてみると、ちょうど『ナギ』が2回から降りてくる所だった。彼女の後からは見知った少年が追従してきた。


「エルマー……」


 ジンはボソリと彼の名を口にする。かつての様子と比べると、まるで別人の様だった。表情は暗く、それなのに瞳はぎらついている。そんなふうに彼を変えてしまったのが自分だという事に罪悪感を覚える。そんな事を考えていると、『ナギ』が視線をふとジンの方に向けた。エルマーは気がついていない様だったので、ジンが軽く手を振ると、彼女は少しだけ口角を上げて微笑み、小さく手を振り返してきた。その姿も彼に姉を連想させた。それから彼女は何かをエルマーに言うと、外に出ようとドアに向かって歩き出した。エルマーも付いてくるのかと思いきや、そのまま2階に引き返して行った。


「お待たせ、もう来ないのかと思ってた」


「すみません。色々と予想外の事があって」


「そう。あの、もしよかったら近くのカフェにでも行かない?」


「いいですね」


 ジンは目の前の姉によく似た女性に対して敬語を使う事に若干の違和感を覚えるも、それを無視して、『ナギ』に賛同すると、彼女のお勧めだと言うカフェに向かった。


「それで、もしよかったらなんだけど、私とそっくりな君の大切な人について教えてもらえないかな? もしかしたら、私の記憶と何か関係しているかもしれないし」


 席に着くと、早速『ナギ』がジンに尋ねた。自分の記憶が欠けているという事は、『ナギ』にとって恐怖であった。今まで気にしてこなかったのは、無意識的にその事を避けていたからだった。しかし、今彼女の目の前にいる少年はもしかしたら、その消えた過去を知っている可能性があるのだ。それに気がついた途端、どんな事をしてでも知りたくなった。例え相手の心を傷つけるとしても、彼女にとって、それは自分の事よりも優先すべき事ではなかった。


「……そうですね」


 ジンは改めて姉を思い出す。彼女と目の前にいる『ナギ』との間に若干の齟齬を感じるも、それ以上に最愛の姉とよく似た人と一緒の時間を過ごせる事の方が幸せだった。


「その人は、俺の姉です。俺が小さい頃に亡くなりました」


「それって、何年前かな?」


「10年ぐらい前です」


「どんな人だったの?」


「姉は……」


 それから『ナギ』は事細かにナギについて尋ねた。ジンとの間にある思い出や、どんな事をする性格だったのか。どんなふうに物事を捉え、どんなふうに行動したのか。そんな事を聞いて、自分との違いを当てはめる作業を彼女は行っている様だった。ちなみにジンの姉の名前が自分と同じ、ナギであるという事を知った時は目を丸くして驚いていた。


「……次は、あなたのことを教えてもらえませんか?」


 ジンは恐る恐る尋ねる。しかし『ナギ』はジンの話を聞いて何かを深く考え込んでいる様子だった。ジンの方に意識が向いていない。ジンはもう一度尋ねようとして口を噤んだ。何が彼女から飛び出てくるかわからず、怖かったからだ。有り得ない話だが、もし彼女が本当にナギだったとしたら。記憶を取り戻した後に自分を恨むのではないだろうか。あるいは、もし彼女が何かしら姉と関連があるのだとしたら、何か危険な事が背後で起こっているのではないか。あるいは、もし彼女がただのそっくりな人だとしたら、自分は一体どの様に向き合えばいいのか。そんな事が頭に浮かび、再度聞く事を躊躇わせた。


「何か言った?」


 『ナギ』が顔を上げて、ジンに尋ねてくる。あらぬ方向へと考えを飛ばしていた彼は慌てて話題を探し、すぐに思い浮かんだ。


「そういえば、朝スラムで起きた事件を知っていますか?」


「スラムで? 何かあったの?」


 キョトンとした表情を浮かべた彼女に何があったかをジンは説明する。


「そうなんだ。可哀想に。でも仕方ないよね」


「は?」


 ナギならば絶対に言わない言葉に、ジンは目を丸くした。

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