第170話羽

 痛みを堪えながら立ち上がったジンに、シオンは体を預けた。


「どれだけ心配させるんだ」


 シオンは泣きながらジンの胸を弱々しく叩いた。ジンはそんな彼女の様子に狼狽るも、彼女をぎこちなく抱きしめた。


「悪かったよ」


 彼女の温もりに心が暖かくなる。突然の状況に周囲にいる騎士たちが凍りついていたが、次第に混乱した声を上げ始めた。


「あ、あの副団長?」


 1人が意を決してシオンに話しかける。すぐにシオンは状況を思い出したのか、ジンを突き飛ばした。


「な、なんだ?」


 ジンは咄嗟に反応できず、そのまましこたま尻を強く打ち付けた。痛みに微かに呻く。そんな彼を真っ赤な顔でシオンはちらりと見てから、すぐに声をかけてきた騎士に戻した。


「あの、そいつは一体?」


 恐る恐るといった様子でその騎士が周囲の気持ちを代弁するかの様に尋ねてくる。シオンは涙を拭きつつ、口を開けては閉じる。


「こ、こいつは僕の……ぼ、僕の……えっと……」


 ジンと自身との関係が何かといえば、単なる知り合いだ。別に彼女でもなんでもない。強いて言えば友人だが、彼は自分に何も告げずに目の前から去った。果たしてそんな彼は友人と言えるのだろうか?


 2年前から今まで、自分の彼への思いは風化していないとシオンは思っている。自分でも初恋を拗らせていることは実感している。あの頃は確かにジンも自分を憎からず思っている様に感じていたが、今はどうなのか分からない。彼女にとって、それがたまらなく不安だった。


「俺はこいつの友達だ」


 シオンが言葉に詰まっていると、ジンが代わりに騎士たちに言った。彼の言葉に安堵すると同時に、少し胸が痛んだ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「それで、なんでここにいるんだ?」


 シオンの言葉を受けて、ジンが真剣な顔をする。彼の目は薄暗い通路の奥で横になっている少女の死体を見ていた。


「知り合いなのか?」


 シオンは彼の様子を見て尋ねた。


「昨日、少しだけな。いいやつだったよ」


「そっか」


「ああ」


 ジンはその少女に近づくと、両手を合わせて目を閉じた。その所作が何なのか分からなかったが、何となくシオンは祈りを捧げているのだろうと感じた。


「ジン、何か知っていることはあるか?例えば、誰か不審な者を見たとか」


 ジンはその質問に、一瞬だけ例の『ナギ』を思い浮かべるが、すぐに否定した。少し話しただけだが、彼女がそんなことをするとは彼には考えられなかった。


「いや、誰も見なかった。それよりも、こいつの近くに小さな男の子はいなかったか?」


「いいや、その子が握っている手の持ち主らしき子は見なかったよ」


「そうか」


 ティータは果たしてどんな気持ちだったのだろうか。きっと彼女は目の前で弟を喰われたのだろう。自分と同じ様に家族を失い、絶望の中で命を落としていったのだ。ジンにはそれが堪らなくやるせなかった。


「あとは、不審な点があるとしたら、現場に大量の白い羽が落ちていたことかな」


「白い羽……ちょっと見せてくれないか?」


「うん。トレス、持ってきて」


 シオンは後ろで自分たちを伺っていた騎士達のうちの1人に声をかけた。片目を眼帯で隠した男が前に出てくる。彼はシオンが率いる部隊の副隊長である。


「あの、よろしいんでしょうか?」


 関係者以外に捜査資料を開示することは通常なら禁止である。それはシオンも分かっているはずだし、彼女は規律を常に厳守してきた。それなのに今それを破ろうとしているのだ。それも、身分も何もよく分からない少年に対してだ。いつものシオンならば取らないであろう行動に、その場にいた者達が困惑の表情を浮かべる。唯一の例外は先ほどまでジンと斬り合いをしていたテンザだけだ。戦えないと分かった途端、やる気がなくなったらしく、どうでもいいという様に爪をいじっている。


「ああ、許可する」


 その言葉に渋々とトレスは頷くと、保管していた羽をシオンに手渡した。


「これなんだけど、何か見覚えはあるか?」


「これは……」


 その羽には確かに見覚えがあった。1度目はナギ、2度目はアイラ、その2人が背中から生やしていた純白の翼から落ちた羽と大きさも形もそっくりだった。姉の方はあまりに幼かったので正確には覚えていないのだが、アイラの方ははっきりと覚えている。


「……魔人」


 ボソリと呟いたつもりの言葉は予想以上に大きかったらしく、シオン達は一瞬にして警戒を強めた。


「それが何なのか知っているのか?」


「ああ、前に倒した魔人がこの羽と同じ羽が生えた翼を持っていた」


「……そうか、ロヴォーラの件か」


 シオンが顎に手を添えて考え始める。


「知ってたのか?」


「うん。ギルド長のエミリオさんから話は聞いてる。それで、どういうことだと思う?」


 シオンはトレスに目を向ける。この部隊の中で魔人と戦ったことがあるのは古株の彼だけだった。


「歴史書を見る限り、魔人の容姿は千差万別、同じモノは今までに確認されたことがありません」


「つまり、魔人の突然変異が始まっているということか?」


 シオンの疑問にトレスは分からないと首を振る。


「いや、おそらく魔人化実験が行われている可能性がある」


「魔人化?そんなことが出来るのか?」


 ジンの言葉にシオンは眉を顰める。人間を人工的に魔人にするなど、そんな研究を彼女は聞いたことがなかった。


「ロヴォーラで俺が倒した魔人が、元は誰だったか知ってるか?」


「いや」


「アイザックだよ」


 ジンが出した名前がすぐに思い当たらず、しばしシオンは考えて、その名がかつて行方不明になった班員であったことを思い出した。


「そんな!」


「ああ、しかも自然にではなく、人工的に魔物にされた挙句、魔人へと進化した。人工的に魔物化させる実験は既に立証されて可能だと言われている。おそらくアイザックに施術した人間の目的は、さらに魔人を生み出すことなんじゃねえかな。だから共通の特徴を持った個体が複数現れている」


 ジンは姉の顔を思い浮かべる。つまり、彼女もその実験に巻き込まれたのではないか。そんなことを考えて、顔を歪める。一方でそんなジンの様子には気づかず、彼の言葉にシオンは深刻そうな顔を浮かべて、トレスの方に顔を向けた。


「トレス、団長に至急連絡を。それとチェルカで魔物や魔人を専門にしている研究者達にも連絡をとってくれ」


 チェルカとはキール神聖王国西部にある学術都市であり、様々な分野の研究が日夜行われている。変わった専門家達も多く、閉鎖的な環境であるため、どんな実験が行われているか、あまり知られていない。シオンも使徒になってから検査として一度行ったことがある。その時色々と嫌な目にあったので、なるべく関わりたくはないが、そうも言っていられない。


「はっ!」


 トレスは了解の意を示すと、テキパキと部下達に指示をし始めた。彼らを横目に、ジンはシオンに気になっていたことを尋ねることにした。


「なあ、シオン」


「何だ?」


「学校ってどうなっている?何か問題は発生していないか?」


「どういうことだ?」


「アイザックが死ぬ間際に学校で大規模な実験が行われるって言ってたんだ。それももう直ぐ」


「特に変わったことはなかったけど。でも、そう言えば最近魔物の発生率が極端に高まっているかな。それと何か関係があるのか?」


「分からない。ただ気をつけた方がいい」


「分かった。もしかして、戻ってきたのはそれが理由か?」


「ああ」


 シオンの質問にジンは真剣な顔をして頷き、ティータのそばによると、彼女の手を優しく包んだ。


「2度と俺の大切な人達に危害を加えさせたりしない。絶対にだ」


 それを誓うかの様にジンはティータの手を握り続けた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「うあああああああああ!」


 ジンと別れ、死んだスラムの人々の処理を終えてから、部屋に戻って1人になった所で、僕はベッドにダイブすると枕に顔を押し当てて叫んだ。


「あああああああああ!」


 それも息が続く限り。それから枕を抱いてゴロリと転がると天井を見上げた。


「えへ、えへへへへへへ」


 自分でも気持ち悪いと思える笑い声を止めることが出来ない。真面目な顔をしようとしてもすぐに口角が上がってしまう。


「あいつ、格好良くなってたな」


 2年前と比べて、体が一回り大きくなり、顔も精悍になっていた。真剣な眼差しを思い出すだけでドキドキする。さっき別れたばかりなのにもう会いたい。


「明日、会いに行こうかな」


 自分の任務を放棄出来ないけど、少しでも時間があればもう一度会って、その声が聞きたかった。だって、2年間も探したんだから。仕事の話以外に、彼と話したいことはたくさんある。もちろん聞きたいことも。


「でも、あいつに好きな人がいたらどうしよう」


 心の中に何かドス黒いものが溜まっていく感じがする。そう考えるだけで胸がムカムカしてくる。いるかも分からない相手に強く嫉妬してしまう。2年は長い。僕のいる状況もかなり変わった。あいつだけがそうでないわけはない。


「うあああああああ!」


 僕はまた枕で顔を抑え、足をばたつかせながら叫んだ。しばらくして、心配したのか部下のトレスがドアをノックしてきた。

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