第169話突然の再会

 翌朝、ジンは『白熊亭』に向かって歩いていた。前日に会った姉と同じ名前、同じ容姿の女性と会うためだ。宿に帰ってからハンゾーも彼女に会ったのだと聞いた。その上彼は気になることを言っていた。


「エルマーか……」


 ジンは小さく呟いた。ただの偶然の一致かもしれない。その名前がハンゾーの口から出たときはそう思った。しかし、彼の容姿についての説明を聞いて、その少年がジンの知るエルマーであることを理解した。彼の姉をジンが殺してから行方不明になっていたエルマーは、どうやらその後ナギと出会い、行動を共にしていたのだろう。


「やっぱり俺を憎んでいるか……」


 ハンゾーに様子を聞いたところ、エルマーの瞳の奥には深い憎しみの感情が宿っていたのだそうだ。あの時、彼の姉を殺すという判断が最善であったことを彼は確信している。それが彼女の願いであり、もしジンが殺さなければシオンだけでなく、多くの人が死ぬことになっていたはずだ。それほどに合成獣は危険な存在だった。しかしエルマーにとって、ジンは最愛の姉を殺した人殺しだ。何よりも、心の安寧のためには憎むべき対象が必要だ。そうしなければ愛が深いだけ、心が壊れてしまう。だからこそ、ジンはエルマーを救うためにも、その感情を受け入れなければならない。


「仕方ないとはいえ、友達から恨まれるのは辛えな」


 きっと、エルマーはジンと出会えば戦おうとするはずだ。少なくともジンならそうする。だが、ハンゾーの言葉を信じるならば、あれからどれだけエルマーが鍛えていても、よっぽどの奥の手がない限り、ジンが負ける可能性は皆無だろう。何よりもジンは彼と戦いたくない。彼がそうなってしまったのは、ジンが彼の姉を殺したからだ。そんな友達を当然のように倒せるほど、ジンの心は割り切れていない。だからエルマーとは正直言って会いたくない。


 それなのに何故『白熊亭』に向かっているのかというと、理由は単純だ。そのエルマー以上にナギと会ってみたいという気持ちが優っているからだ。もちろん遠目から見るつもりだった。彼女が一体なんなのか分からない以上、直接会うのは愚策のように感じられた。それでも一目会いたいというの気持ちを抑えることができなかった。


「なんだ?」


 そんなことを考えながら道を歩いていると、前方で人集りが出来ていた。興味が湧いた彼は近付いて、そばに居た恰幅の良い女性に話しかけてみた。


「何があったんですか?」


「スラムの中で人殺しだってさ。それも1人2人じゃないって話だよ。怖い怖い」


 女性の言葉にジンの背筋が凍る。昨日知り合ったばかりの姉弟の顔が浮かんだ。


「それ、いつの話ですか?」


「さあ、少なくても夜から朝にかけてって話だけど、あれ?」


 女性が振り向くとすでにそこにジンはいなかった。彼女の言葉を聞いた瞬間に、ジンは建物の壁を駆け上り、屋根を伝って人混みを乗り越えた。そして閉鎖されていたスラムの中へと飛び込んだ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「悪い予感がしたんだ……」


 ジンは最後に少女と別れた場所にいた。そこには夥しい量の血溜まりが広がり、奥へと延びていた。死体は無いが、この傷を負った者は確実に死んでいるだろう。まだ死んだということを確認した訳では無いが、何故かジンはもう2人がこの世にいないということを確信していた。それでも一縷の望みに懸けて血の跡を追う。すると曲がり角の先から声が聞こえてきた。


「……があったんだ?」


 角からそっと顔を出して、様子を窺うと騎士達が倒れている少女に話を聞こうとしているのが見えた。血だらけであっても、その顔には覚えがあった。たった1日、それも数時間だけしか話さなかったが、その少女がティータであることは明白だった。ジンは下唇を血が出るほど強く噛む。彼女のことは何も知らない。だがこんなふうに死んでいいような少女では無いことは確かだ。今も必死になって、1人の騎士が彼女の治療を続けているが、ティータの顔はどんどん青ざめていく。もはや手遅れであることは明白だ。それでも彼女の傷を癒そうと、その騎士は術をかけ続けていた。背中しか見えないが、その後ろ姿はとても華奢で、おそらく女性だろう。


「もう死んでます」


 1人がその騎士の肩に手を乗せる。


「くそ……」


 騎士が顔を上げる。後ろで束ねた銀色の美しい髪が揺れた。その横顔を見て、ジンの息が止まる。


 会いたくて、触れたくて、笑顔が見たくて。それでも一緒にいればいつかきっと失うことになる。そうして断腸の思いで別れた少女。


「なんで、あいつが……」


 あの日からすでに2年も経っている。あの時はまだどことなく幼い感じがあったが、今ではもうすっかり美しい女性だ。ティータが死んだことも、ナギのことも全てが頭の中から零れ落ちる。気づかぬうちにシオンに目が釘付けになっていた。だから後ろから人が来ていることに気がつかなかった。


「なんだお前は?」


 声をかけられたので振り返ると、シオンと同じ服を着た大柄な男がジンの後ろにいつの間にか立っていた。年齢はジンの少し上といったところか。王国騎士団長のアレキウスに似た赤髪と、自信に満ち溢れたその表情には既視感があり、すぐに彼がアレキウスの息子、あるいは親戚である事が分かった。


「まさか犯人な訳はねえよな?だがスラムの住人って格好でもねえし。入り口は塞いでいるのにどうやって入った?」


 思わず後ずさると、足元に落ちていた割れた瓶の破片に気がつかず踏んでしまい、音が鳴る。ジンのその動きに警戒心を強めた目の前の男は腰に差していた長剣の柄に手を乗せた。


「だんまりか」


 ジンはそれを見て慌てたようなふりをした。


「い、いや、すいません。ちょっと興味が出て、屋根伝いで覗きに来たんですよ。悪気はなかったんです!」


「ほう、つまり偶然ここに来たと」


「は、はい」


 次の瞬間、ジンは腰を落として頭上を通る剣を回避した。それを見た目の前の男は口笛を軽く吹くと、荒々しい笑みを浮かべて一歩踏み出し、上段から剣を振り下ろした。ジンは後方にバク転してそれを避けた。


「よく反応したじゃねえか」


「なんで!」


「ああ?怪しい奴がいるなら捕まえるだろ。普通に考えてな」


「常識的に考えて、不意打ちで首を落とそうとするかよ!」


「もちろん寸止めするつもりだったさ。でも避けただろ?つまりは強いってことだよな?そんでこんなところであいつらを遠巻きに観察している。そんな怪しい奴、見逃す訳ねえだろ」


 男は歯をむき出して荒々しく笑う。


「だから、俺は興味で!」


「そんな言い分を信じるほど、俺はお人好しじゃねえ」


 男は再度、ジンに斬りかかって来た。近くに転がっていた木箱をジンは男の顔にボールのように蹴り飛ばす。男がそれを両断すると、左右に木片が飛び散り、大きく音を立てた。


〜〜〜〜〜〜〜〜


「誰だ!」


 大きな音が聞こえてきた方に向けてシオンが大声で尋ねるも返事はなく、その代わりに鉄と鉄がぶつかり合う高い金属音が響いてきた。明らかに戦闘行為が行われている証拠だ。


「総員、抜刀!」


 シオンが鋭く言うと、騎士達は腰に下げていた武器を抜いて構えた。そして全員で音のする方へと近づく。団員達の間に緊張が走る。もし仮に戦っているうちの片方がこの惨劇を引き起こした犯人だとすると、魔人、あるいは魔物のどちらかだろう。つまり今いる兵力で規格外の化け物と戦わなければならない可能性が二つに一つあるのだ。魔物ならば苦労はしないが、魔人ならば多くの団員が命を失う危険がある。


 ハンドサインで四方を囲むよう指示してから覚悟を決めて、シオンが角を曲がると、目に入ってきたのは青年に斬りかかるテンザ・ビルストの姿だった。アレキウスの次子であり、彼女と同学年のフォルス・ビルストの兄だ。シオンよりも3つほど年上だが、気性の荒さは親譲りで、熱くなるとすぐに任務よりも戦いを優先する悪癖があるため、能力の高さに反して未だに平団員という問題児だ。だが本人は気にした風ではなく、むしろ自由に戦える上に、面倒な事務仕事もしなくて済むので喜んでその地位に甘んじている。


 そんな彼が笑顔を浮かべながら剣を振るっていることから、顔は見えないが相手がかなりの実力者であることが容易に想像できた。事実、先ほどからテンザの攻撃は一切届いていない。だが反撃する意思もなさそうなことから、おそらく魔人であるという可能性は排除できた。それに安心しつつも、シオンは頭を切り替える。


「テンザ、そこまでだ!」


 こんな場所にいるため怪しくはあるが、まだ正直な所は分からない。それ以上にテンザはこのままだと戦いに熱中し、下手したら相手を殺すかもしれないのだ。何かしら情報を持っている可能性があるので、それはまずいとシオンは考えていた。幸いなことにまだテンザには理性が残っていたらしく、振りかぶっていた剣を止めた。


「んだよ、今いいところなんだ。邪魔すんじゃねえよ」


 テンザが忌々しそうな顔でシオンを睨みつける。


「そこまでだ」


 しかしシオンが強く言うと、テンザは舌打ちをして剣を収めた。相対していた謎の男も同様に、手に持っていた短剣をしまった。そしてその場から走って逃げようとして、周囲を囲まれていることに気がついたようだった。


「そこのお前、僕の部下がすまなかった。ちょっと聞きたいことがあるんで、詰所まで付いてきてくれな……」


 男がゆっくりと振り返り、シオンの顔を見据えた。その瞬間、彼女は言葉を失った。


 どれだけ探しただろうか。どれだけ会いたかっただろうか。どれだけ触れたかっただろうか。


 たった数ヶ月の記憶は楽しいことだけでなく、悲しいことも絶望もあった。それでもジンと過ごした数ヶ月は彼女にとって、何にも変えられない宝物だった。


「ジ…ン?」


 シオンの様子を見て、困ったような顔を浮かべてから頭をボリボリ掻いて、若干笑顔を引きつらせながらジンは手を軽く挙げた


「よう、久しぶりだな」


 そんな彼にフラフラとシオンが近寄る。団員達も初めて見る彼女の様子に困惑した表情を浮かべた。


「お、おい大丈夫か?」


 心配そうな顔をシオンに向けるジンのそばまで近づくと、闘気を込めた拳をジンの腹部に叩き込んだ。


「ごはっ」


 ジンの体が僅かに宙に浮く。そのまま彼は地面に膝をついて蹲った。


「この大馬鹿が!」


 弱々しく顔を上げるとポロポロと涙を流しているシオンがジンの目に入ってきた。

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