第158話vs魔人4

「な…んで」


 吹き飛ばされた先で、自分の上に重なっていた瓦礫から抜け出したジンは絶句した。周囲一帯が吹き飛ばされた事にでも、地面に転がりかすかなうめき声を挙げているハンゾーたちにでもない。全ての中心にいる、この景色を作り出したであろう少女を見て、ジンの口からその言葉が漏れ出た。


 彼の視線の先にいる少女の姿は先ほどまでと大きく違っていた。背中からは純白の翼が生え、その風貌はどことなく懐かしさすら覚えさせる。全く違う容姿のはずなのに、彼女の醸し出す雰囲気はナギに似ていた。それも魔人になった時の。


 ゆらりとジンの方に視線を向けてくる。その瞳からは生気が抜け、一方でその表情は恍惚としている。その全てに既視感があった。


「姉…ちゃん」


 思わずその言葉が口から溢れでた。


「どうして?」


「え?」


 突然相手から投げかけられた言葉に困惑する。


「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして!?」


 壊れたように同じ言葉を続ける彼女は血が出るほどに頭を掻き毟り、突然静かになった。そしてジンから視線を移し、ゆらゆらと体ごと周囲をぐるりと見まわし、最後に自分の血で真っ赤に染まった手を見下ろした。


「きゃは、きゃははははははははははははははははははははははは!」


 狂ったように笑い始めた少女は首だけをジンに向ける。人間ではありえないほどに首を曲げて、ニタリと笑った。次の瞬間、ジンは凄まじい衝撃を腹部に感じたと同時に吹き飛ばされた。


「がはっ!」


 まだ残っていた家屋の壁にしこたま背中を打ち付けて、肺の中にあった空気が一気に吐き出された。感覚からして殴られたのだと判断し、動くのに支障があるかどうかをすぐさま確認する。呼吸時に痛みを感じるものの大したほどではない。それよりも状況を把握しなければならないと、彼は視線を少女に向けながら思考を開始する。


『まずは何が起きたか、だな』


 周囲の様子とあの少女の変化は密接に関わっている。ハンゾーたちをちらりと見ると生きていることは確実だが意識を失っていることがわかった。そこまで確認したところで、目の前に少女が現れる。


「きゃは!」


「ちっ!」


 舌打ちとともに少女が放った拳をギリギリのところで回避すると、お返しとばかりに彼女の腹部に思いっきり蹴りを入れる。まるで岩を蹴っているような硬い感触に、再度舌打ちをしながら距離を取ろうと後退するが、ぴったりとジンに張り付いて、アイラは次々と拳を、蹴りを放ってくる。全てが拙いために回避はできているものの、一撃でも受ければ死ぬのは確実だ。


『少しは考える時間をくれよ!』


 そんな必殺の攻撃を躱すのと同時並行で思考できるほど、ジンはまだ卓越していない。なんとか避けてはいるものの、徐々に体力も奪われてきている。


「くそっ!」


 ジンは強化した拳でアイラの顔にカウンターを入れる。しかしそれは振り抜くことができず、アイラの顔に押し返される。


「きゃははははははははははは!」


 アイラは口を大きく開けるとジンの肩に思いっきり噛み付いてきた。患部から大量に血が噴き出す。


「うぐっ、はっ、なっ、せ!」


 強引に引き剥がす事に成功するも、肩の肉を大きく喰い千切られた。痛みに顔を歪める。そこでようやくアイラが止まる。おそらく『食事』のためだろう。ぐちゃぐちゃという咀嚼音が聞こえてくる。ジンは肩を抑えながら、どうするかを考える。


『引くか?いや、そうするとあいつらが襲われる可能性が高い。なら、モガルに援護を頼むか?ダメだ、ここからあの人がいるところまで伝える手段がないし、攻撃に俺たちが巻き込まれる。そもそも効くかどうかもわからねえ』


「はは、1つしか手段が無いじゃねえか」


 ジンは覚悟を決める。


『俺がやるしかねえ』


 ここ数日の連戦と『権能』の行使で疲労が激しい。その上、どう考えても目の前にいる少女の方が、アイザックよりも強い。しかし現状の彼ではそれ以外に思い浮かぶことがない。


『限界を今ここで超えろ。俺があの娘を終わらせてやるんだ!』


 ジンは1つ深呼吸をすると体の中心に意識を傾ける。ラグナとミコトによって、自分の体の中には確かに枷のようなものが存在していることが認識できる。それを無理矢理にでも引きちぎり、力を解放しようとする。すぐさま体中の血が沸騰しているのではないかと錯覚するほど熱くなり、心臓が早鐘を打つ。それと同時に体の芯から力が吹き上がってくるのを感じる。黒い闘気が彼の体を包み込むと同時に、回復力も大幅に向上し、肩の傷が急速に塞がっていき、やがて完全に治った。肩をぐるりと回すと痛みはなく、全力で動かせると確認した。


 異変を察知したのか、食事を終えたのか、少女が活動を再開する。ジンに迫り来る拳を、今度は回避することなく鷲掴む。素の身体能力に差はあるが、強化した彼の力と少女の力とでは拮抗しているらしい。その証拠にアイラが拳を引こうとするも、微動だにせず、却ってジンが彼女の拳を握り締めると苦痛に顔を歪ませた。


「—————————————————!!!」



 甲高い悲鳴をあげて、再度ジンに噛みつこうとしたアイラの腹部に思いっきりもう片方の拳を叩き込む。空中に浮かび上がるほどの威力にアイラは苦悶の表情を浮かべた。ジンは掴んだ手を引っ張って強引に彼女を近づけると何度も何度も殴りつける。


「——————————————————!!!」


 アイラが悲鳴をあげて、ジンの攻撃から逃れようと体にバリアーを張った。これ以上ダメージが通らないと判断したジンはすぐさま距離を取ると、右手をアイラに向けて無神術『重力操作』を放つ。


「はあああああああああああ!」


 突然の負荷に、アイラは地面に這いつくばった。必死に起き上がろうとするも、ジンはその術を『権能』で強化し、アイラが逃げられないように固定し、そのまま押しつぶそうとする。楽に死なせてやりたいが、そんな配慮をできる相手ではない。事実既に左腕に力が入りにくくなってきている。彼にはもう時間があまり残されていない。


「このまま死んでくれ!」


 ジンの祈るような願いを。アイラは聞き入れることはない。


「————————————————!!!」


 アイラは張っていたバリアーを一気に放出することで、周囲一帯を吹き飛ばした。


「ちっ!」


 ジンは彼女の挙動から何をしようとしているかを察知し、術を咄嗟に解除すると、防御に力を費やす。爆風が彼に襲い掛かった。


 しかしなんとか堪えて、ジンが顔を上げると、目の前にアイラはいなかった。慌てて彼女を探すと、ミコトのそばまで接近していた。受けたダメージを回復するために彼女を喰おうとしているのだということをすぐに理解した。もはやジンが戦っているのは、アイザックが言っていた、優しい『人間』のアイラではなく、食欲と殺意に支配された『魔人』のアイラであった。


 しかしまだ間に合う。ここで彼女にミコトを殺させなければ、きっと彼女は人間として死ぬことができる。そしてそれを防ぐことができるのは、この場で彼しかいない。


「間に合え!」


 ジンは足を強化して地面を蹴る。だがその距離は無情なほどに遠い。せいぜい離れていると言っても300メートルほどで、今のジンなら数秒で辿り着ける。それでも間に合わない。まさにアイラはミコトの首筋に歯を立てようとしている。


「くそっ!」


 ジンは手を伸ばし無神術によって炎弾を放とうとする。しかし彼はすぐに術を放てない。イメージから放つまでに時差が有り過ぎるのだ。これは偏に彼が後天的に術を手に入れた事に起因している。どうしても無意識で発動するという感覚が掴めないのだ。だからこそ今、彼の術は間に合わない。ミコトは死に、アイラは魔人へと成り果てる。


「くそおおおおおお!」


 だが、ミコトとアイラの間を遮るかのように突如ハルバードがアイラの顔面目掛けて振るわれた。突然のことにアイラはなす術なく吹き飛ばされた。続いて蒼い影が彼女の背後に接近すると、その背の翼を思いっきり切り飛ばした。どさりという音とともに血に染まった白い翼が落ち、血が周囲に飛び散り、アイラが苦悶の声をあげた。


「遅れて申し訳ありませんジン様」


「わしらも微力ながら加勢させていただきます」


「ハンゾー、クロウ!」


 ところどころから血を流しながらも、彼らの身は『蒼気』で力強く輝いている。ジンは2人に向かって頷いて、アイラに目を向ける。


「よし、それじゃあ行くぞ!」


「「はっ!」」


 3人は決着をつけるために、少女に向かって駆け出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る