第157話アイラ

 私は卑怯者だ。


 目の前で友人が殺された時、私はそれを手伝った。光を失っていく瞳から目をそらして。


 私は卑怯者だ。


 自分を慕ってくれる子供達を裏切った。そうして醜く生きながらえた。


 私は卑怯者だ。


 愛しい人を救わなかった。彼はやがて自我のない化け物になった。


 ただ死ぬことが怖かった。ただ誰かを殺すことが怖かった。彼はそれを「優しいからだ」と言った。だけどそうでないことは私自身が一番わかっている。私は優しくなんかない。醜くて愚かな卑怯者だ。


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 親友のサーシャと一緒にあの男に捕まって半年ほど経った頃、あの男は私と彼女に選択することを要求した。次の実験でどちらが参加するかを選ぶようにと。私は躊躇した。そんなことを選ぶことなんてできないと思った。自分が責任を持たされるという事が酷く恐ろしかった。だから彼女が自ら犠牲になる事を選んだ時、私を守ると言ってくれた時、私は悲しむよりも前に嬉しかった。サーシャがどうなっても自分のせいではないと思えたから。


 彼女に行われた実験は凄惨だった。実験しては患部を切除し、回復させる。それを何度も繰り返した。初めのうちは、男も彼女に麻酔を打っていた。切り刻んでいる最中に死なれたら困るから。だけど何度も打っているうちに、彼女に耐性ができてしまった。だから途中からは、彼女への実験は麻酔なし行われるようになった。そして切り刻まれた彼女を死なないように介抱するのが私の役目だった。


 私はサーシャに何度も謝った。彼女はその度に力なく笑った。私はサーシャの実験をいつも見学させられた。それを拒否すればどうなるかわかっていたから、素直に従った。実験中泣き叫ぶ彼女から目を背けることも禁止された。実験で苦しむ彼女に向かって、男に笑えと言われれば私は笑った。殴れと言われれば殴った。次第に私の感覚は麻痺していった。自分のために犠牲になったはずの彼女を傷つけることに快感を覚える自分がいることに気がついて、何度も自分に吐き気を覚えた。


 そんなある日、男は私に言った。彼女を廃棄する事が決まったと。生きながら解剖するのだと笑いながら、そしてそれを私に手伝えと言った。私は頷いた。そうすれば自分は助かると思ったから。


 麻酔が効かず、それなのに今までの実験で肉体が変化し、死ににくくなってしまった彼女は泣き叫びながら解体されていった。私はメスや鉗子やハサミを男に渡しながら、まるで動物をさばいているかのような不思議な気持ちになった。自分でも気づかなかったが、私はその時笑っていたらしい。


 そうしてサーシャは死んだ。


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 サーシャが死んでから少しして、私は新しく攫われてきた子供たちのお世話係を任された。サーシャが死んだ時に笑った私を、男は興味深く思ったらしく、いつしか私に実験を手伝わせるようになっていた。私は3人の子供の面倒を見ることになった。元々妹と弟がいたので、子供は嫌いではなかった。


 初めのうち、彼らは状況がわからなくて、いつも怖がって泣いていた。でも次第に私に心を開いてくれるようになった。彼らへの実験は「年齢における閾値の変動」というものだった。要するにどの程度魔物の因子を体に注入すれば変貌するかを実験するという事らしい。


 私は慕ってくれる子供たちの裏で、彼らの食事に言われた通りに薬を混ぜた。毎日毎日毎日毎日毎日毎日……


 ある日、3人のうちの1人に変化の兆しが見られた。彼はすぐに隔離され、詳しく調べるために、様々な実験が行われる事になった。当然のことながら私はそれらを手伝った。絶望した表情を浮かべるその子に「大丈夫だよ。すぐに治るよ」と気休めの言葉をかけながら、私を信じて止まないその子への実験を手伝った。


 それから数日後、また別の子が、さらにその数日後、最後の子が実験場に送られた。やっぱり私は彼らをなだめながら、苦しい、苦しいと泣く子供たちを慰め、実験を手伝った。しばらくして3人は皆魔物へと変化した。いいデータが取れたと男は満足そうな笑みを浮かべていた。私も彼に「おめでとうございます」と言って微笑んだ。


 でも男にとって私は結局実験動物以外の何物でもなかった。ただ少し変わっていて興味深いと思われただけだった。飽きられればどうなるかは言うまでもない。


 そうして私の地獄が始まった。


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 彼に出会ったのは私が捕まってから2年目、私への本格的な実験が始まってから1年目だった。


 その頃の私は男の関心を取り戻す事に必死だった。そうすればひどい実験を受けずに済むから。私は新薬の実験と異種交配実験の被験者だった。来る日も来る日もよくわからない薬を注射され、それが終わると魔物たちの寝床に連れて行かれた。ゴブリンから始まって、蟲やコングやウルフなど、様々な魔物に犯された。毎日毎日毎日毎日毎日毎日。魔物の子供を妊娠したこともあった。それが分かると男は喜んで私のお腹から『それ』を摘出した。どうやら新薬には異種族間でも子孫を残せる体に変化させる効能があるようだった。


 気がつけば顔が崩れていた。だから私は髪で顔を隠すようになった。そんなある日、1人の少年が連れてこられた。久々に私は男からその少年、アイザックの面倒を見るように指示された。私は実験から解放された。


 アイザックは日に日に実験でやつれていった。私はそんな彼とよく話をした。男からアイザックに気に入られるように命令されていたから。でもいつの間にか私は彼のことが好きになっていたのだと思う。彼は私の話を聞いてくれたし、私も彼の話をしっかりと聞いた。外の様子も彼から知ることができた。代わりに私も彼が恐怖に囚われ続けないように努力した。


 楽しかった。久々に心の底から笑えた気がした。鈍くなっていた感情が戻ってきた。そして私は今までの自分を激しく嫌悪した。実験から助かるために、親友を、慕ってくれる子供たちを悪魔に差し出した。死なないために、実験を素直に受け入れ、犯された。


 そんな自分を優しいと言ってくれる彼が酷く憎くて、愛おしくなった。自分でも吐き気がするほどに嫌いな自分を彼は肯定してくれた。自分が行った唾棄すべき行いを彼に告げても、彼は受け入れてくれた。私は彼の優しさに泣いた。安らぎを得られた気がした。でもそんな日々も長く続かなかった。変化した箇所がどんどん広がっていった。ほとんどの時間を実験室で過ごすようになっていった。でも私にとって何よりも辛かったのは、アイザックに会えない事だった。


 それからしばらくして目の前にアイザックが連れてこられた。彼と再会できた私は喜んで、すぐに絶望した。自分の体が人間ではなくなっていたから。それから私と彼との交配実験が行われた。皮肉にも魔物になって、初めて実験に対して喜びを覚えた。


 そんな毎日も唐突に終わりを告げた。私と同じ姿になったアイザックが私を救ってくれたのだ。彼はそのすぐ後に完全に自我を手放して魔物へと変化したが、どういうわけか、私はそうはならなかった。人間としての自我を保った私は、人や動物を殺す事に酷く嫌悪感を覚え、私の代わりにアイザックが様々なことをやってくれた。私たちは平和に暮らしていた。時折人間と戦うこともあったが、アイザックはいつも私を助けてくれた。


 でもそんな彼ももういない。優柔不断で臆病者で、卑怯者な私が人を殺すのを躊躇ったせいで、彼は死んでしまった。あれほど私を助けてくれた人を、地獄から救ってくれた人を私は見捨てたのだ。


 もうこんな罪深い自分が嫌だった。これ以上生きていたくなかった。だから私は手放した。最後まで残っていた人間としての自我を手放した。そうして私は全てから目を背けた。

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