第136話オーガの王

 森の中を4人が駆ける。オーガの襲撃にあった地点は、逃げてきた者達から既に聞いてあった。


「それにしても森の中なんてお姫様からしたら、あまり入りたくないんじゃないのか? 虫とかいっぱいいるし、泥が跳ねれば服だって汚れるだろ?」


 ちらりとジンはミーシャに目を向ける。現在彼女が着ているのは動きやすさと安全性を考慮して、姫様というよりも猟師のような服だ。その上、森に溶け込めるようにと、わざわざ迷彩色の長袖長ズボンを身につけていた。また目立つ金色の髪も帽子をかぶることで隠している。


「はあ、森の中に入るのにショートパンツとか、目立つ格好とかみたいな、アホな格好する訳ないじゃん。そんなのするのはよっぽどの馬鹿か、常識知らずだけよ」


 まさに正論である。だがジンのイメージする『お姫様』像とはかけ離れているのも確かだ。


「儂等の国は森に覆われていてな。幼少の砌より姫様は森の中で遊んでいたのだ。それはもう、周囲の迷惑も考えずに、な。何度遭難したかわからない」


「そ、それは別にいいじゃん!」


「このじいが何度探しに行ったと思っておられる? 100回を超えたところで数えるのを止めたわ!」


 ハンゾーの苦労がしのばれる。そんな彼らが言い合いを始める前に、空気を察知したクロウが二人に変わって話を引き継いだ。


「まあそんな感じで、姫様はお師匠様が徹底的にサバイバル技術を仕込みましてね。遭難しても大丈夫なようになったんですよ」


 妙に合理的な考えと行動をするのはハンゾーの影響らしい。それにしても普段とのギャップには驚かされる。いつもならこの寒い季節でも可愛さ重視とのことで、ショートパンツに膝上まである黒いソックスを履き、上はシャツとジャケットを重ね着し、さらにその上にマントを羽織っている。髪型もその日の気分でコロコロ変えている。その印象が強かった分、ジンには少しばかり違和感があった。


「そんなことより、そろそろ目的地に着きそうですよ、姫様にお師匠様」


 目と鼻の先に開けた空間があった。村人達によるとキャンプ地に用いているそうだ。既に捜索を始めてから、かなりの時間が経っている。


「今日はここで夜を明かしませんか? 火を焚いていれば相手を引き寄せられるかもしれないし」


 クロウの提案に3人は頷く。確かに僅かにではあるが、疲れが溜まっているからだ。早速ジン達は辺りにある木々を拾い集めて、組み立てて火をつけた。それからクロウが所持していた大きめのリュックから飯盒を取り出し、食事の準備を始めた。


「それにしても、魔獣に遭遇しませんでしたね」


「確かに、普段ならもっといるよね。なんでだろう?」


 ミーシャの言葉にハンゾーが答える。


「魔物のせいだろうな。活動を控えている、または喰い殺されたか。いや、おそらく前者だな」


「え、なんで?」


「姫様、ここに来るまでに死骸を見ましたか?」


「ああ、なるほどね」


 ハンゾーの答えに納得した彼女はポンと右手のひらを左拳で叩いた。


「それじゃあ、そろそろ休みますか。あまり疲れていないと思っていても、可能な限り休息するべきだ」


「そうだな。じゃあ誰がまず見張りをする?」


 ジンの質問に対しての話し合いの結果(当然のごとくミーシャがごねたが)、クロウ、ハンゾー、ジンの順番に決まった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 2メートルを優に超える一体のオーガが、遠くに見える灯りを見つけた。筋骨隆々のその肌は鈍い緑色で、身体中に戦いの傷跡が残り、薄汚れている。腰には一枚動物の毛皮で作ったらしい腰布をまとっている。手に持つ武器もそこいらに落ちていた丸太を少し加工しただけのみすぼらしい棍棒だ。


 その見た目からではあまり知的なレベルは高くないように見える。事実オーガはゴブリンよりも多少文化的ではあるものの、人間よりも圧倒的に低い。群体で行動し、まともな武器を使うという面においては、むしろゴブリンの方が優れているかもしれない。


 だがこのオーガの動きは通常のそれとは異なっていた。発見した光に向かうのではなく、元来た道を戻る。全ては自分たちの支配者に報告するためだ。それほどまでに彼の群れにおいてリーダーは絶対的な存在だった。


 リーダーは群れからはぐれた自分を彼の仲間として迎え入れてくれただけでなく、様々な知識を彼に与えてくれた。それは敵との戦闘時の連携方法であり、武器の使い方であり、偵察の仕方でありと多岐に渡った。彼にとってリーダーは神に等しい存在だった。リーダーの言うことさえ聞いていれば何も心配はいらなかったのだから。


 自分たちが現在寝ぐらにしている家に戻る。雑な作りではあるが、木と岩で出来たそれは雨風を凌ぐのに大変便利だ。これもまたリーダーによってもたらされたものだ。


 中に入ると早速リーダーを起こしに行く。以前気を利かせて翌朝まで報告をしなかったら、しこたま怒られたからだ。部屋の中を覗くと、煌々と松明が揺れる下に敷き詰めた藁の上でリーダーとその妻が肌を重ね合っていた。この部屋だけはまるで日中のように明るい。リーダーの妻は彼から見れば非常に魅力的な女性だった。その力は彼を凌駕し、その頭脳はリーダーに匹敵するほどだ。とてもじゃないが、自分とは全く釣り合いの取れない、まさに雲の上の存在だ。


 そんな彼女が一糸まとわぬ姿であることに一瞬目を奪われるが、すぐに頭を切り替えて、リーダーについさっき発見したことを報告する。その彼の言葉に、行為を中断させられて不満そうな顔を浮かべていたリーダーは一転させて、獰猛な笑みを浮かべると、彼に、残っている20人の仲間のうちの2人の精鋭を起こしに行かせた。そしてさらに5人の配下を相手の実力を確認するために現場に向かわせる。一人だけ報告役にして、残りを戦わせる手はずになっていた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 オーガにとって戦いとは魂に刻まれた存在意義そのものであると、そのオーガは考えている。強者との戦いは自分をさらなる高みへと進めてくれる。雌であろうと地位であろうと、彼は全て己の力で奪ってきた。彼にとって苦手なのはただ一つ、暗闇だけだった。体の奥底に潜むそれへの漠然とした恐怖に、彼は常に怯えていた。それだけが彼を苛立たせていたが、治そうとすら思えないほど暗闇が怖い。


 そんな彼ではあるが、自分が他の者らと違うことをよく理解していた。自分の妻を除いて、他の同族には無い、彼だけの力があったからだ。一つは火、水、風を操ることが出来るということ。もう一つは知力だ。自分と自分の妻以外の同族はあまりにも頭が悪い。話していると頭が痛くなってくるほどだ。今報告に来た者も、命令に忠実ではあるのだが、空気を読むことができない。いくら以前に叱ったとはいえ、部屋に入っていいタイミングを自分で判断することは出来ないのだろうか。


 同族であるとはいえ、彼はその知能の低さに呆れ返り、見下していた。当然そんな様子を彼らに見せるつもりはないのだが。


 とにかく撒いた餌に相手は引っかかったようだ。自分の想像通りならば、わざわざ逃がしてやったあの哀れな人間どもは、より強い者を森に送り込んだはずだ。


 人間を自分たちよりも小さいからと、侮る者が自分の配下にもかなりいるのは知っている。だが彼はそうは思わない。人間は賢く、自分と同じ不思議な力が使えるからだ。そんな人間の、それも強い個体をわざわざ招き入れたのは、自分の強さを試すことと、戦いという快楽を味わうためである。


 起き上がると身支度を始める。変色して黄土色になってしまった髪を水鏡で眺めて、不快に思う。かつてはそれが自慢の一つだったのだが、もはやいくら手入れをしても、汚らしさを拭い去ることは出来なかった。


 オーガが持つにしては細めの剣(それでも人間から見れば長大ではあるのだが)を持ち上げると、手ではなく腰にかける。以前人間のものを真似て作ったベルトだ。彼の密かなお気に入りでもある。


 ある程度の身支度を整えたところで、先ほどの部下が2人の精鋭を連れて戻ってきた。彼は手短に状況を伝える。流石に彼が精鋭だと認めるだけあって、他の者達と比べて理解が早い。あと数時間後に森に入ってきた侵入者に攻撃を仕掛けることを伝えると、すぐさま2人は行動を開始した。


 それを見届けてから彼は他の部下を呼び、松明を持たせて外に出る。それから自分の周囲を明るくさせて、体を動かし始める。戦いに挑むのに何も準備をしないのはバカがすることだ。数時間後に最高の動きが出来るように強張った筋肉をほぐし、剣と体の動作を確認する。


 やがて徐々に日が昇り、あたりが白んできた頃、派遣していた部下のうちの報告役が戻ってきた。話によると他の4人はあっという間に倒されたのだそうだ。その言葉を聞いて、やはり自分の撒いた餌に見事に獲物が掛かったことを確信し、自分の有能さに酔いしれた。


 そうして彼は3人の部下と自分の妻を引き連れて、獰猛な笑みを浮かべながら侵入者の元へと歩き始めた。全ては魂の赴くままに。

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