第113話シオンvsフォルス

 フォルス・ビルストの実力は一年の中で10本指に入ることは確実である。それはアルトワールやジンのようにひたすら爪を隠している連中を含めたとしてもだ。しかしそれが彼には我慢できない。王国騎士団長の三男として生を受けてからこのかた、常に誰よりも強くあることを求められてきたからだ。


 『使徒』である偉大な父は強者にしか興味がない。物心ついてすぐに彼はそれを理解した。兄達と自分に対する父の指導は苛烈を極め、何度血反吐を吐き、骨を折ったかわからない。身体中にいまだに傷跡が残るような怪我もした。そんな父に関心を持ってもらえるように兄達共々努力を続けてきた。最近ではようやく少しだけだが父の動きにも反応できるようになってきたのだ。だからこそ裏打ちされた自信を持っていた。それが崩れ去ったのは中等部の時代、彼女の試合を初めて見た時である。


 彼女の姿はまるで妖精のようだった。空高く舞、土や水と戯れ、炎を愛でた。一目見て彼の心は鷲掴みにされた。確かに強いというのは聞いていた。しかし如何せん、中等部時代は実力でクラスが分けられていたわけではなかった。父に認めてもらうために必死だったその頃の彼は、わざわざ彼女を観察しに行こうとは思わなかったし、大会にもさして興味がなかったのだ。そうであったからこそ彼女は衝撃的で、誰よりも美しく彼の瞳に映ったのだろう。確かにあの瞬間、彼女は自分よりも高みにいたのだから。


 この気持ちがなんなのか、フォルスには理解できなかった。当然のことだ。今まで修行にしか時間を割いてこなかったのだから。自然と心の中でこの気持ちは彼女と戦いたいという闘争本能からくるものだと勘違いしていた。だから彼女と会話するときは自然と喧嘩を売るようになっていた。いまだによく自分のことが分からない。ただ分かるのは彼女の隣に立つのにふさわしいのはあのEクラスの雑魚ではなく、自分だということだ。あの美しさはゴミが汚していいものではない。そうであるからこそ、あの言葉が自然と口に出たのであろう。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 シオンは開始直前にも関わらず、あまりの憂鬱さにため息が出そうになる。試合開始前にまさかの告白だ。しかもジンの前で。絶対に負けられないのは分かっているのだが、どうしてもモチベーションが上がらない。


「……れでは、試合開…」


「『炎拳』っ!」


 開始の宣言を言い終わる前に一匹の獣が赤い軌跡を残してシオンに接近する。その速さは常人でも追うのがやっとのほどだ。だがそれでも『彼女』よりは怖くない。所詮は人だ。それに、あの時に朧げながら見た『彼』よりも遅い。


「『水衣』」


 ぼそりと呟くと、一瞬にして彼女の体を水の衣が覆った。そこにフォルスの拳が突き刺さる。炎を纏ったそれは、ジュッという音とともに水を蒸発させるがシオンの体に触れる前に消火された。


「はっ、さすがだな。『水衣』でもそのレベルかよ」


 『水衣』は『水鎧』よりも薄いため防御力は低い。ただその分身軽で、纏う水の量も少ないため、集中しなくても長時間維持し続けられる。ただそれは普通の人間の話だ。『使徒』ほどではないが法術に長けた彼女が使えば、その術は『水鎧』よりも厚い壁となる。


 だがそんなことはお構い無しにフォルスは拳を振るう。ジュッ、ジュッとなんども音がしてどんどん水が蒸発していく。


「オラオラオラオラ!」


 その様を見てため息をつく。シオンが彼を苦手としているのはここにある。確かに彼は強い。それは認める。だが彼は非常に直情的なのだ。そのせいで攻撃が単調なものになることもしばしばだ。それがブラフならまだしも、本気なのだから如何しようも無い。しかしその性格が彼の強さの礎になっているのもまた事実である。激情に駆られた彼の一撃はその一発一発が必死なのである。面倒臭いことこの上ない。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「アレクさん、どうですか?息子さん勝てそう?」


 先ほど来たアレキウスにウィリアムが顔を向ける。王国騎士団長は眉を吊り上げて眼下で戦う自身の息子を睨みつけていた。


「いや勝てねえな。あの馬鹿、なんでか知らんがブチ切れてやがる」


「押してるみたいなんですけどねえ」


 確かに一見するとシオンは防戦一方のようだ。


「お前本気で言ってるのか?」


 そんな彼の言葉にアレキウスは鋭い視線を向ける。法術に関しては誰よりも造形の深い男の言葉とは到底思えない。


「いや〜、そのですね。まあぶっちゃけちゃうと負けるんじゃないかな〜と思ったり、思わなかったり?」


 相変わらずの軽薄そうな態度に顔を一層しかめる。この男はいつも言葉をはぐらかすのだ。長い付き合いになるがあまり信頼できない。


「ふん、あいつは俺のガキどもの中じゃ一番センスがある。だが感情のコントロールが一番できないのもあいつだ」


「ほぉ、つまりはお前に一番似ているということか」


 イース王が茶々を入れる。その言葉に思わず反論したくなるが流石に王相手にそれは不敬だ。喉まで出かかった言葉をぐっと堪えた。イースはそれを見て小さく笑った。


「まあそれは置いといて、サリカちゃんはどう思う?やっぱり勝つのはシオンちゃん?」


 ウィリアムが目を向けると、今度はしっかりと目を開けて観戦するサリカがいた。


「多分、というか確実にね。あれだけ攻められても顔色一つ変えないし、張っている水も分厚いのに維持するのに集中すらしていない。多分だけど法術への適性はあの年齢ぐらいの頃の私より上だと思う。下手したら覚醒してないだけで使徒なんじゃないかと思えるぐらい」


 サリカは試験の時の彼女の様子を思い出す。あの時はこれほどまでの実力ではなかった。確かに才能は感じたがそれも常人の領域内での話だ。自分たちのように超人の領域にはたどり着いていなかった。つまりはこの数ヶ月で彼女の覚醒を促す何かがあったのだろう。おそらくは自分と同じく死にかけるような経験が。


 一方、そんなことは知らないウィリアムたちは想像以上の褒め言葉に思わず目を丸くした。確かにシオンの実力は同年代よりずば抜けている。それこそ技量においてはすでに使徒として覚醒しているあの少年に肉薄するほどだ。


「なるほどなるほど。じゃあ今度ナディアさんに聞いてみようか」


 この場にいない使徒の一人を思い出す。今日も神殿にいるのだろう。神託の巫女である彼女ならきっと何かしら知っているはずだ。


「しっかしありえるのか?使徒ってえのはそんなにほいほい現れるようなもんじゃねえだろ」


「わからない。でも……」


「ふむ、何かが起ころうとしているのかもな。あるいはもう起こっているのか」


 イースは目を細めた。実際に王国の歴史を紐解けば、一斉に使徒として覚醒した者達がいた時代がある。そういった時は大抵の場合、四魔人のような凶悪な魔人なり、魔物なりが国に攻め入ってきたのだ。今王国にいる使徒は自分を入れて6人。これは歴史書を調べても多い部類である。つまりは自分の治世で何かが起こる可能性が非常に大きいということだ。それを考えるとイースは憂鬱になってきた。


「おっと、シオンちゃん動くみたいだね」


 イースが飛ばしていた意識を試合に戻すと、シオンがフォルスに右手を向けていた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「っと!」


 フォルスの攻撃に涼しい顔を浮かべていたシオンが自分に向けて右手を伸ばしてきた。それだけでフォルスは警戒して距離をとった。まだ全力ではないとはいえ、自分の攻撃を容易に防ぐ相手だ。警戒に越したことはない。


「なんだ。離れるのか」


 シオンの挑発に一瞬、頭に血が上るがすぐにそれを抑える。自分の欠点はこの性格だ。何度も父親に注意を受けてきている。


「はっ、その挑発には乗んねえよ」


 挑戦的な目で彼女を睨みつける。分かっていたことだが自分と彼女には圧倒的な開きがある。入学したての時はここまでの差はなかった。一気に離れたと感じたのは、あの野外訓練の後だ。彼女の力がグンと跳ね上がっていたのだ。


「そうか。じゃあ今度はこっちから行かせてもらうぞ」


 シオンは右手から『水弾』を放つ。纏っていた水をその場で凝縮させて作ったのだ。『操水』を鍛えているからこその技術である。ただ当然のことながらそれはフォルスに回避される。それを見た彼女は『水衣』を削って、どんどん『水弾』を放つ。単純な攻撃ではあるが威力は高い。舞台をどんどん穿っていく。


「ちっ、舐めてんのかてめえ!」


 だがフォルスもそんな初歩的な技を受けるほど雑魚ではない。他のやつのよりも速く、威力もあるが避けられないほどでもない。だからこそそんな攻撃を繰り返すシオンに苛立ちが増していた。


「そんな技を俺が喰らうわけねえだろ!」


 そんな彼を見てシオンはニヤリと笑った。


「それはどうかな?」


 その瞬間、一斉に舞台の開けられた穴に溜まっていた水が一気にフォルスを包み込んだ。『操水』によって先日、朝の訓練の時にジンにやったように『水牢』を発動したのだ。


「ゴボッ」


 フォルスは突然のことに咄嗟に混乱する。息を吸うこともできず、一気に肺にたまっていた空気を吐き出してしまった。


「さあ、どうする?」


 シオンの言葉はフォルスの耳には届かない。だが彼にはなんとなく彼女が言っている意味がわかった。精神を落ち着けるために彼はあえて瞳を閉じた。試合中に無謀とも思える行動は、しかし彼の頭をクリアにさせた。


「『水棘』」


 彼の雰囲気が変わったことに気がついたシオンはすぐに追加の法術を放つ。牢の中の水が動き出し、棘を形成すると一斉にフォルスに向かって突き刺さろうと伸びた。だが一瞬早くフォルスが全身から炎を発し、一気に水が蒸気へと変化した。


「へえ、『炎化』か」


「ああ、その通りだ。褒めてやるよ、俺にこれを使わせたことをな」


 『炎化』とはウィルがかつて使っていた『雷化』に近い術である。一時的に炎と肉体を同化させる。その状態から放たれる攻撃の威力は想像を絶する。必死になって修行して身につけたこの法術こそが彼の切り札であった。シオンはフォルスを見て小さく舌打ちをする。この後の試合の展開が面倒になったことを考えて。


「行くぞ!」


 炎の化身となったフォルスがシオンに駆け出した。彼を迎撃するためにシオンは全身に纏う水の量をさらに増やした。

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