第114話シオンvsフォルス2

 炎の拳が接近する。その一撃のキレは凄まじい。だが所詮『炎化』したからと言って速度までが変わるものではない。あくまで攻撃の威力だけが上がるのだ。だから回避のみなら容易である。ただ問題なのは、その副次的効果である。周囲の空間を巻き込むのだ。それが厄介なことこの上ない。今も回避した瞬間に多くの水が一瞬で蒸発させられた。


 蒸気が二人を包み込む。視野が奪われ、むせ返りそうなほどの熱気にシオンは顔をしかめる。直後彼女の膝を狙って蹴りが飛んできた。慌てて足を上げてそれを防ぐ。火傷したのではないかと疑いたくなるほどの熱さを肌に感じる。


「しゃあっ!」


 続けて右拳が放たれる。蒸気の先から飛んでくるそれを躱すことは難しい。仕方なく右手で上にいなし、左手に持ち替えていた剣で突きを放つ。だが案の定、手応えがあまりない。自分と年齢が変わらないのに、このレベルまで炎と融合しているあたり、やはり彼も天才と言われる部類か、はたまた単なる怖いもの知らずか。


 『炎化』等のような自身の体を違う物質と融合させる術を行使する者は高いリスクに晒される。肉体という境界線を消失させるのだ。もし何かしらの原因でその物質が散ってしまえば、それは同時に自らの死を意味する。それゆえ術者はそれぞれの実力に見合った親和度を設定し、消失を防ぐのだ。その代わり融合レベルが高ければ高いほど、使える力が増すのである。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「へえ、フォルス君『炎化』なんて術が使えるんだね。確かアレクさんも得意だったよね」


「まあな。あいつにせがまれたんで、しょうがなく教えてやったんだ」


 そうぶっきらぼうに言いながらも、笑みを隠せてはいない。


「しかも相当な融合率。下手したら存在消滅もありえるぞ」


「だよね。少なくとも俺はあそこまではしないよ。失敗したら消えちゃうもん」


 サリカの言葉にウィリアムは相槌をうつ。


「んな初歩的なミスはしねえよ。俺が鍛えたんだぞ」


 二人の言葉にアレキウスは不満そうな顔を浮かべた。常人では耐えられないほどの訓練を施してきた実感はある。フォルスの上の息子二人は彼の与える修行について来られなかった。フォルスだけが凶悪な課題を全て達成したのだ。そのためアレキウスのフォルスにかける期待も大きい。たとえ使徒にはなれなかったとしても、どの騎士団に配属されても恥ずかしくない。


「しかしグルードの娘は大して慌てていないな」


 イースの言葉通り彼女は丁寧に丁寧にフォルスの攻撃を躱し、いなしていく。その様子に何ら焦りも感じられない。むしろ切羽詰まっているのはフォルスの方に見える。


「まあ、正直どうなるかわかんないですよ。だってあれって普通の子にとっては凄まじい術でも、多分シオンちゃんから見たら自爆技に近いんじゃないかな。下手したら殺しちゃう感じの。だからシオンちゃんもルールの問題でうまく攻撃できてないみたいですよ。アレクさんには悪いですけど、フォルス君とシオンちゃんだと相当レベルが違いますね」


「いや、お前の言う通りだ。あいつは確実に勝てねえ。正直な話、強いっつても所詮は学生レベルだろうと舐めてたが、今シオンが俺の隊に入ったら騎士長クラスだろうな。アスランと同じだ」


 ウィリアムは一人の少年を思い浮かべる。各騎士団で熱烈なラブコールを送った彼は、本人の希望もあって結局近衛師団に配属が決まった。サリカが珍しくガッツポーズをしていたのを今でも覚えている。ふとイースに顔を向けると自分たちの話を聞いて楽しそうな顔を浮かべていた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 現在のフォルスはおそらく常人ならば正常ではいられないレベルで炎と同化しているはずだ。自分の存在が消滅するという可能性に誰であれ耐えられない。そんなことができるのは一握りの天才か狂人だけだ。しかし彼がそれを可能としているのは、激しい鍛錬の末に得た絶対の自信によるからだろう。


 だが結局シオンからすれば、それだけのことである。彼を倒す方法など今の彼女にはいくらでもある。例えば彼を風で吹き飛ばせばいい。例えば蒸発させるのも間に合わないほどの水を浴びせればいい。例えば彼よりも強力な炎を放って、彼が認識している自己という存在自体を曖昧なものにすればいい。例えば大量の土砂を生成し、彼を覆い隠せばいい。


 ただ問題はその全ての方法で彼を殺すことになるということだ。だからこそ戦いが面倒臭くなったのである。思わず盛大にため息を吐いた。その様子がフォルスをさらに苛立たせる。試合前にあんなことを言った手前、引くに引けない。しかし理解していたとはいえ、自分と彼女の間にある圧倒的なまでの差に直面して悔しく思う。同時にそんな彼女に認められているあの少年についても不快感が一層増す。


 あの男の一回戦を観戦して感じた印象は、自分よりも確実に弱いということだ。体術においても、法術においても自分の方が遥かに優れているだろう。しかし一方で得体の知れなさも実感していた。特に最後の一撃だ。あそこまで濃密に練られた闘気は見たことがない。そしてあの一撃を放った瞬間は自分をも上回っていただろう。それに気がついて、それが彼女の気を引いたことを知って心が掻き乱された。あの瞬間に彼女が浮かべていた表情は忘れられない。


 そんな益体のないことを考えていたフォルスは改めて目の前の少女に意識を向ける。『炎化』は彼が身につけた技の中では最強だ。この年齢でここまでこの術を扱えるのは極少数だろう。しかしそれでも目の前の少女には勝てる気がしない。予選の時に彼女が力技で試合に勝利したという話を聞いた。もし彼女が強引に攻めてくれば、今の自分は確実に死ぬだろう。だからこそ彼女は攻めあぐねているのだ。そして例え汚いと罵られても、これが彼が彼女に勝つための唯一の手段でもあるはずだ。


【す、凄まじい試合です!石舞台の熱気が我々の方にまで届いておりますっ!一体フォルス選手はどこまで熱くなるのでしょうか!そしてっ、シオン選手はこの状況をどのように打ち崩すのでしょうか!解説のガバルさん、この試合どうなると予想しますか!】


 いつの間にか解説席にSクラスの担任であるガバルが座っていた。


【えー、そうですね。えー、シオンくんもね。フォルスくんもね。一瞬で勝負がえー、着くと思いますよ。おそらく彼らも相手のね、隙をえー、狙って……】


【なるほど、ありがとうございます!おおっとフォルス選手、突如炎を強め始めたぞおおお!もはや空気が熱いを通り越して痛い!】


 どうでもいい実況が耳に滑り込んでくる。そんなことよりも今は目の前の少女だ。自分の体を一層燃やして、フォルスは舞台を蹴る。もはやその熱は石畳を溶かすほどだった。ぐんぐん増していくスピードに、しかし彼女はいつか見た蝶のような動きで容易く回避する。それでも彼は諦めない。どんなことになっても決して諦めないことが彼の誇りでもあるのだから。


【シオン選手!躱す躱す躱すうううう!フォルス選手の攻撃が全く届かない!!】


【えー、シオンくんはね。回避も上手いんですよね。ほら、えー、全てね完全に間合いをね、えー、把握し……】


【なるほど!つまりこのままでは一向にフォルス選手の攻撃は届かないということですね!】


【……えー、そうで】


【おおっと!それでもフォルス選手、突進を止めないいいい!しかしシオン選手、華麗にかわし続けるうううう!!】


 フォルスは思わず笑いそうになった。自分の目の前にいる遥か高みの存在を認識して。どれほど努力をしても到達できる気がしない相手がいることを知って。それでも諦められない自分の図太さに気がついて。心の中で強く思う。


『こんだけやっても、まだ届かねえか……』


 そして、勝負は一瞬だった。突如シオンが猛烈な炎を放った。フォルスが覚悟を決めているように、彼女も覚悟を決めたのだろう。彼を殺すという覚悟を。自分の体をさらに巨大な炎が包み、自己という存在が溶け出し始める。


 肉体を失う。その恐怖が一気にフォルスの体を包み込み、思わず身体を繋ぎ止めるために、輪郭を構成した。その瞬間を彼女は狙っていたのだ。水の羽衣を纏った少女は猛火に飛び込み、高速で接近するとフォルスの胸に向かって拳を放った。フォルスは炎の中から自分が弾き飛ばされる感覚に陥り、そしてそれは事実であった。


 炎に包まれた石舞台から一人の少年が吹き飛んで、場外にそのまま落ちる。炎から避難するために舞台から落ちていた審判が慌てて駆け寄るとフォルスの意識は完全に途絶えていた。


【一体何が起こったのでしょうか!呆気ない!あまりにも呆気ない幕切れです!!フォルス選手の炎を包み込むほどの豪火をシオン選手が放ったと思った瞬間!突如としてフォルス選手が場外へと吹き飛びましたああああ!!】


【えー、今のはね。きっと彼女のね。えー、狙いだったんでしょうね。たとえ死ぬ覚悟をしていても、人間誰でも自己のね。えー、消失には耐えられないでしょうからね。一瞬肉体が戻ったね、隙をえー、狙っ……】


【なるほど、ありがとうございます!どうやらシオン選手はフォルス選手の同化が解ける一瞬の隙を狙っていたようです!なんとも凄まじい戦闘のセンスだあああ!観客たちも総立ち、総立ちであります!】


 観客たちが歓声をあげてシオンの名前を叫ぶ。それに少し恥ずかしそうに顔を赤らめながら、彼女は手を挙げた。それを見て観客たちが一層シオンの名を叫んだ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「あ〜らら、負けちゃいましたね。アレクさん」


「ああ、まだまだ修行が足りてねえな。また一から鍛え直しだな」


 胸の前で左掌に右拳をぶつける。バチンというよりもドゴンという音が鳴り響く。負けるだなんだと言ってはいたが、なんだかんだで悔しかったのだろう。


「それにしても、また一人使徒候補が増えたな」


「うん、あっ、でも今度はサリカちゃんはスカウトダメだよ。アスランくんで我慢してね」


「さあ、それはわからない。全ては彼女が決めることだからな」


「えー、あの子には小さい頃に僕が唾つけたんだから僕のところに入れさせてよぉ」


「……唾つけたって、お前あの子に何をしたんだ?」


 サリカの眉間にシワが寄る。


「いやいや、別にサリカちゃんの考えているようなことじゃないよ。ただあの子が僕の所に法術習いに来た時に、後数年したらおいでって言っただけで……」


「十分問題発言だそれは!」


「ひええ」


 サリカの形相にウィリアムは戯ける。そんなウィリアムに詰め寄ると襟元を掴んで首を絞め上げる。それを横目にイースはアレキウスに問いかけた。


「お前はアスランとあの少女、どちらが勝つと思う?」


「陛下、その前に二人とも二回戦があるんですよ?」


「どうせ二人とも二回戦は突破するだろう。それよりもお前はどう考える?」


「そうですね……グルードの娘だと思います」


「ほう、その理由は?」


「今年のアスランには色々と条件付けていますからね。シオンがもう少し弱ければアスランの勝利は確実でしたけど、今日見た感じだと多分シオンが勝つと思いますよ」


「ああ、そういえばそんな話だったな」


 イースは脳裏に銀色の髪の少年、アスランを思い浮かべる。あれが制限をかけられてどれほどの実力を見せるのか、それが今から楽しみで仕方がなかった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 フォルスが目を覚ますとそこは医務室だった。すぐに先ほどの記憶が思い出される。結局のところ敗因は自分の覚悟不足だ。自分の存在を失うことに恐怖したのだ。それが無性に悔しくて仕方がない。きっと彼女はそんな彼の心の奥底にある感情を見抜いていたのだろう。


「クソがっ」


 目から涙が溢れそうになる。きっと学年最強の座など本当はどうでもよかったのだ。ただ彼女に認めてもらいたい。それだけだった。だが自分は彼女の眼中にも入っていなかった。あまりの不甲斐なさにベットに拳を叩きつける。ギシギシと音を立ててベットが揺れた。

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