第106話アルトワールの予選最終試合

  アルトワールは基本的に無気力人間だ。勉強も運動も必要最低限で乗り切るし、人間関係を煩わしく感じることもしばしばだ。彼女にとって重要なのはただ本を読むことで、その姿はもはや一種の狂気に近い。事実今まで彼女が本気で怒ったのは本が関係していた事が多い。


 受験時もそうだ。受けたくもない試験を、何を勘違いしたのか親が受けるように強要してきたのだ。元々狩猟や料理の知識など、彼女にとって不要なものを教えてくる面倒な親だった。だからその時も『嫌だ』と答えると、代案で出てきたのは近くに住む、本を読むことすらまともにできない無能との結婚だった。


 仕方なく嫌々ながら受験をしたが、試験問題を見た時彼女は唖然とした。あまりにも簡単だったからだ。下手に高得点を取ると上のクラスに強制的に入れられるらしい。だから点数の調整をして合格ラインギリギリを目指した。実技も同様だ。一部を除いて、周囲のレベルの低さに驚きを隠せなかった。法術理論を正しく理解せずに行使する彼らは無駄が多く、最低限の力で最大限の成果を理想とする彼女にとって見苦しさすら覚えるものであった。そもそも彼女が無詠唱を覚えたのも、喋るのが面倒だからである。だからここでも自分の能力を隠すことにした。


 合格発表後のクラス分けでは、同じ村から来たバカがアルトワールと同じクラスであることを知り驚いたが、付き合いが長い分、自分のことを理解している彼は極力干渉してくることはなかった。


 忌々しくもそれが壊されたのは野外演習のグループ分けの日だ。厄介な少女に目をつけられて、変な渾名で呼ばれることになった。全くもって鬱陶しい。思えば今自分がこんなところで立たされているのは、全て彼女のせいではないか。餌につられた自分も問題だが、そもそも推薦したのはマルシェだ。アルトワールはだんだん腹が立ってきた。


 目の前の対戦相手(3年生)を睨みつける。まるで本の中の登場人物のような容姿だ。さらさらした肩まである青髪に、180センチを軽く超える長身で足も長い。それにイケメン。周囲には取り巻きの女生徒がギャアギャア喚き立てている。しかも口々にアルを見下す発言をしている。男に聞こえないように言っているのがまたタチが悪い。見ていて不快になってきた。多分もし勝ちでもしたら、彼女らという新たな面倒事を引き受けることになるだろう。だが仮に何もせずに降参すれば、今度はマルシェがうるさい。そこで彼女は流して戦うことにした。ここまで来てやったのだ。勝つつもりなど毛頭ない。


「いい試合をしよう」


「はあ、よろっす」


 眩しい笑顔を向けて握手を求めてくる先輩に気怠げに応える。


「それでは第6ブロック予選最終試合、開始!」


 審判の掛け声とともにアルはトンと右足のつま先で地面を叩く。床が盛り上がり、岩杭が相手に突き刺さろうと押し寄せる。だがさすがにここまで勝ち残って来た3年生だ。彼女の攻撃は容易く回避された。


「本当に無詠唱で術が使えるんだね。そんなことができるのはこの学校だとテレジアさんとアスランだけかと思っていたよ」


「そーなんすか」


「あんまり試合中におしゃべりするのは好きじゃないのかな?」


 綺麗な歯を見せびらかしながら笑顔で尋ねてくる、名前も知らない先輩。


「はあ、まあそうっすね」


 というよりもさっさと試合を終わらせたい。


「そんなことより攻撃してこないんすか?」


 手っ取り早く煽ってみる。


「ははは、それじゃあお言葉に甘えようかな」


 そう言って謎の先輩はアルに一気に接近して長剣を振りかぶる。上段からのその攻撃は隙だらけだが、おそらくはブラフだろう。下手に狙えばおそらく返り討ちに合うだろう。できれば痛くないように負けたいので、この攻撃は避けるか、持っている剣で防ぐに限る。アルトワールが選択したのは後者だった。


 だが想定していた軌道に降りて来た剣は構えた彼女の剣を通り抜けた。それに驚き目を丸めたアルは、予想外にも横からの攻撃で体が吹き飛ばされた。なんとか倒れずに済んだが今の一撃で肋にヒビが入ったようだ。息するだけで激痛が走る。額に脂汗が滲む。リング外からマルシェとバカの声が聞こえるが痛みのせいで何を言っているのかわからない。


「痛ってぇなくそ……つーか『光幻』っすか」


「ご名答。すごいね、一発でわかったのは今までで数人しかいないよ」


「そりゃ、どうも」


 『光幻』は相手に幻覚を見せる光法術である。つまりアルは幻影の攻撃を受け止めようとして、遅れてきた本体の攻撃を食らったのである。


「先輩ひどくないっすか。私これでも一応女ですよ」


 思わず愚痴をこぼす。謎の先輩は苦笑いを浮かべる。イケメンはどんな顔をしてもイケメンだから腹が立つ。彼の浮かべた表情を見て女生徒たちがキャアキャア騒ぎ始めるせいだ。


「それはすまないが勘弁してくれないかな。これも試合なんでね」


 長剣を再度構えて目を鋭くさせる。その真剣な表情を見て女生徒たちがまた騒ぎ始める。全くもって鬱陶しい。


 ちなみにアルは知らないが、この男は3年Sクラスに所属している『幻惑師』の異名を持つ、ルシア・ガルツィナという。さらに補足するとこの技を身につけてから、初見で彼の『光幻』に対応できたのはシオンとアスランだけだ。


 シオンは先月開かれたSクラス交流会での模擬戦で偶然剣を交えることになったのだが、その時に野生的とも言える感で回避し、カウンターを放った。アスランの場合は昨年の大会で、覚えたてであったとはいえ新必殺技として初披露したが見事に読まれて通用しなかった。


 そんな彼の今大会での目標はアスランへのリベンジだ。3年にもなると騎士団に付いて討伐訓練や遠征などに時間が割かれ、対人訓練の機会が減る。その上アスランはすでに本格的に騎士団に参加しており、そもそもなかなか学校に来ることがない。そのため今大会がルシアにとってアスランと本気で戦うことのできるラストチャンスに等しい。


 もちろんアルトワールはそんなこと知らないし興味もない。ただこんな痛い思いをしたのだ。一発ぐらいは仕返ししなければ気が済まない。彼女は普段無気力な割に沸点が低いのだ。


「さてと、それじゃあこのまま勝負をつけさせてもらうよ」


 ルシアは踏み込むと一気に駆け出す。そこまで広くないリングだ。あっという間に接近を許すが、アルもバカではない。一度目の突撃の際にどの程度のスピードかはおおよそ把握している。だからすでに策も立てていた。


 トンっとつま先を地面に打ち付けると一瞬にして彼女の目の前に岩杭が飛び出た。ルシアはそれに反応し体をなんとか止めたところで、彼の足元の床が突如砂となった。


 それに右足を取られ、バランスを崩して膝をつく。アルは状況を確認するとすぐさまつま先で地面を叩いて砂になった床を再度固める。『砂化』と『凝土』の併用したのだ。結果右足を床に埋められ、ルシアは動けなくなった。


「くっ!」


「ふふふふ、そんじゃあ先輩一発殴らせてもらいますよっと言いたいけど肋が痛すぎるんでこれにします」


 四度つま先で地面を叩くとアルの頭ほどある石が空中に形成される。土法術の初歩『石飛礫』である。本来なら小さな石の礫が複数形成されるのだが今回はたった3つしか生み出されなかった。その代わりどう見ても当たれば大怪我になるとわかる巨大な石の塊となった。


「くらえ『大石飛礫』!」「『三連光弾』!」


 ニヤリと笑ってアルはそれを放つがルシアは咄嗟に光の弾を射つ。両者の攻撃は打つかり合い消滅した。


「ふう、危ない危ない」


「ちっ」


 アルトワールは舌打ちをする。『暗闇』を使って視界を先に奪うべきだった。痛みのせいでそこに思いが至らなかった。それに気がついて腹が立つ。


「『暗闇』!」


 それならばと遅ればせながら相手の視界を奪おうとする。だがそれはすでに遅かった。


「『溶解』」


 ルシアの足を固めていた床が高熱によってドロリと溶ける。彼は容易く束縛から抜け出したのだ。視界を奪いはしたが相手にも自由を与えてしまった。まさかその状態で自分に攻撃を加えられるとは思わないが用心のために、音を立てないように気をつけながら一旦距離をとる。だがかすかに肋骨からの痛みによって口からこぼれたうめき声が、ルシアの耳に届いた。


「そこか、『炎波』!」


 アルの方へと広範囲の炎が放たれる。彼女の逃げ道はない。だが一度頭を冷ました彼女にとってその程度の攻撃はなんの問題もない。すぐさま自分の下に穴を作り出し。そこに落ちるように飛び込む。頭上をゴウゴウと炎が通り過ぎていく音が響いた。飛び降りたせいで肋が痛みで目がチカチカする。どうやら本格的に時間がない。さっさと決められるなら勝負を決めたいところだ。


「あのクソ野郎……あれ?」


 穴の中で彼女は気がついた。自分の目的を。最初は適当に流して終わりだったはずだ。それなのに気がつけば夢中になって戦っている自分がいた。


「……これ私もう降参してもいいんじゃね?」


 彼女は肋にヒビを入れられた時点でしっかり戦ったという証明を示した。もうマルシェの顔を立てたはずだ。今続けていたのは単にヒビを入れてくれたお礼に一発入れようと思っていたからだ。つまりもう危険しても構わないだろう。ただ……


「……まあ、あいつに一発かましてからでも遅くないっしょ」


 その結論に達したところで、上から炎の音が消えた。そっと穴から顔を出して様子を確認する。離れた距離でルシアは剣を構えて集中している。


「『暗闇』で視力を奪っていられる時間はあと少しか。そんなら」


 穴の中で仕込みを終えると、あえて音が立つように飛び出る。瞬時にルシアはその気配を察知して再び『炎波』を放った。猛火が襲いかかるがその足を止めずに飛びかかる。火だるまになりながらもルシアに接近してきた。


「ふっ!」


 反射的に剣を薙いで目の前の相手を切り裂く。そしてその感触に驚いた。


「なに!?」


 タリスマンが発動しなければ致命傷の攻撃だ。それなのに彼の剣が何かを切り裂いたということは。


「囮か!」


「そのとーり!だりゃああああ!」


「ぐはっ!」


 気配を消して背後に回っていたアルは渾身の力を込めてルシアの肋骨めがけて拳を放つ。彼女のその拳は彼の肋を見事粉砕した。それと同時に猛烈な痛みが体を走り、思わずそのままばたりと倒れてしまう。動けないこともないが、これ以上痛みに耐えて戦うほどアルはマゾヒストではない。


「くっ、な、なかなかやるね。だがまだまだ俺は動けるぞ、さあ続きをしようか!」


「やるかよバーカ、審判肋痛いんで棄権っす」


 そんなルシアの言葉を鼻で笑うと、アルは降参を宣言した。ルシアも審判も思いもよらない言葉に目を丸くする。


「しょ、勝者ルシア・ガルツィナ!よって本ブロックの代表はガルツィナに決定した!」


 審判の宣言にルシアは肋を抑え、苦虫を噛み潰した顔をする。実際にアルもルシアもまだ戦えるはずだ。しかもあのまま行けばギリギリの勝負を味わえたかもしれないのだ。だが彼女は降参してしまった。


 その上そんな彼を馬鹿にするかのようにアルはルシアの目の前で軽々と起き上がった。肋を抑え、少し顔を歪めているあたり、痛みがあるのは本当なのだろうが、まだまだ彼女は戦えそうである。どう見てもルシアの方がダメージが大きい。それを見てさらにルシアは顔を渋くさせた。


 そんな彼の顔を見て観客の女生徒たちが悲鳴を上げ、口々にアルに向かって怨嗟の声を飛ばす。それを見てアルトワールは中指を突きつけて笑い、駆け寄ってきたマルシェに肩を借りつつリングを降りた。

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