第107話ジンの予選最終試合

「すー、はー、すー、はー」


 ジンは深呼吸をしてリングに登る。予選が始まる前はまさか自分がここまで残るとは考えてもいなかった。だが実際には今まさに決勝大会への切符を手に入れようとしている。


 リングに立って相手が来るのを待つ。やがて線の細い美男子がゆっくりと向かってきた。歩きながら両脇に群がる少女たちとイチャついている。見ていて腹立たしく思える。何故自分の対戦相手だけこういうのが多いのだろうか。


「ナルキス・ヴェルトラウエン、早く上がってきなさい!」


 3回戦の時から思っていたがこの審判とは気が合うのかもしれない。あの試合でもお互いに同情しあった仲だ。


 だがその審判の声も無視して、リングの近くまで来たのに登らずに見せつけるように連れて歩いている女生徒の肩に腕をかけて流れるように胸を揉みしだく。女生徒の方もまんざらではないようで笑っている。


「ナルキス・ヴェルトラウエン、早くしなさい!失格にするぞ!」


 その言葉にため息を吐くとその場で跳躍してシュタッという擬音が聞こえて来るような見事な着地をする。その姿に取り巻きの少女がキャアキャアと黄色い声援をあげる。それにナルキスはその甘い顔で微笑む。女生徒たちの声がより一層熱を増した。その光景を見たジンと審判は同時に溜息を吐いた。


「おや、どうしたのかな君たち?」


 態とらしく不思議そうな顔をして、前髪をかきあげる。


「なんでもないですよ先輩。それよりさっさと始めませんか?」


「まあそんなに慌てるなって。少しはおしゃべりでもしようじゃないか」


「はあ?」


「君、一年生なんだって?それもEクラスの」


「まあそうですけど」


 訝しげな顔を浮かべるジンとは対照的にナルキスはパッと顔を明るくする。


「素晴らしい!2、3年のEクラスならまだしも、一年の、本当にゴミみたいな生徒しかいないクラスに君のような子がいるとは!」


 ナチュラルにジンを見下している態度を不快に思うが、確かに一般的にEクラスのイメージはそうなのだろう。馬鹿にしたように話しかけてくるナルキスは自然と自分の話ばかりをしていた。


「……たちのような低レベルの生徒たちがこの僕と戦うことができることはとても幸運な……」


「……この間もこの僕の手で魔物を何匹も討伐してね……」


「……美しさと強さを兼ね備えた僕はまさにフィリア様が生み出された一つの芸術品……」


 ジンは話半分に聞いていたが、ついにしびれを切らして審判に目を向ける。審判もそれに気がついて一つ頷くと高らかに試合開始を宣言した。


「全く、まだ僕のことを彼に紹介し終えていないのに無粋な審判だね。まあいい、ここからは言葉ではなく行動で証明してみせぶぎゅ!」


「いい加減試合に集中しましょうよ、先輩」


 先制打にジンの右拳がナルキスの顔面を捉える。観客の女生徒たちから悲鳴が上がり、ジンを非難する声が聞こえてくる。ちょうどアルも同じような状況になっているのだがジンはそれを知る由も無い。


 その声を無視して再度近づくと、彼に向かって高速で炎の弾が迫って来た。ジンは慌てて横に回避する。だが完全には回避しきれずにわずかに凶悪な炎が彼の服を焦がした。


「『火蜥蜴』か」


 ジンの目の前には優に2メートルは越える大きさになるであろう。炎で構成された、蜥蜴が蠢いていた。火法術でも難易度の高い『火蜥蜴』である。炎に形を与え、意識を入力し、術者の手足となる生命を生み出す。要するにシオンの『石狼』の炎版である。


「……よくも、よくもよくもよくもよくも!こ、この僕の顔に傷をつけてくれたな!決めたよ、君は焼き殺す!行け『火蜥蜴』!」


 その声に反応した『火蜥蜴』はジンに向かって炎を放射する。その勢いは想像よりもずっと早い。だが身体を強化しているジンには欠伸が出るほどのスピードでしかない。たやすく回避すると今度はジンがナルキスに詰め寄る。


「フッ」


 切りかかった短剣はしかし空を切る。


「なっ、残像!?」


 すぐさま可能性のある術をいくつも頭に思い浮かべる。


「君、身体強化が得意みたいだね」


 背後から声が聞こえたかと思うと炎が迫ってくる。それを躱したジンの進行方向に突如ナルキスが現れた。


「でもそれじゃあ僕には勝てないよ」


 炎を纏った拳がジンの右脇腹に突き刺さる。


「がはっ」


 痛みに思わず肺の中の空気が吐き出された。追撃を防ぐために右腕を強引に振り回す。


「ちっ」


 舌打ちとともにナルキスが距離をとった。その代わりに『火蜥蜴』による炎攻撃がすかさず飛んでくる。苦痛に喘ぐジンはその攻撃を避けるために必死で足に力を入れるが予想以上にダメージがあるらしい。足に力が入らなかった。


「くそっ!」


 そのまま炎が彼に着弾した。炎がジンを覆い尽くす。


「あははははは、美しいよ!君のように美を理解できない愚か者も僕の炎が美しく彩ってあげよう!」


 そんなジンを見てナルキスは嘲笑する。彼に傷をつけた相手には須く同じ制裁を与えてきた。哀れな虫けらのように転げ回るゴミどもを眺めることは彼にとって実に気分がいい。


「全くこの程度でよくここまで勝ち残れたものだね。さあ審判、勝利の宣布を!」


 両手を広げて、まるで舞台役者のように大げさに喋る彼に黄色い声援が飛ぶ。だが審判は静かに首を横に振った。


「まだだ。まだ終わっていない」


「なんだって?」


 審判に向けていた顔をジンに戻す。そこには炎に焼かれたはずの少年が立っていた。


「そんなバカな!」


「何勝手に終わらせようとしてるんですか、先輩?」


 ジンは驚愕の顔を浮かべるナルキスにふてぶてしく笑いかける。ナルキスには信じられない光景である。今まで対戦してきた相手は皆、自分の炎の前に無様に倒れ伏した。だが目の前の少年はそこまで深刻なダメージを負ったようには見えない。


「嘘だ、そんなはずはない!そうか、強がっているのか!」


 自分の目が信じられずに恥も外聞もなく喚き立てる。


「そう思うならもう一度やってみればいいじゃないですか」


「なに!?」


 ジンの言葉にまるで茹でられたかのように真っ赤になったナルキスは距離を取るとジンに手をかざす。


「ふざけやがって、それならこれを喰らえ!『火蜥蜴』やれ!」


 『火蜥蜴』が口を大きく開けて炎を放射する。それに合わせるようにナルキスは風法術を発動させる。


「『竜風炎』!」


 風をまとった炎弾は勢いを増してジンを囲い込む。シオンが得意な『嵐炎龍』ダウングレードの術である。だが凶悪な術には変わりない。


「ふふ、ふははははは!バカめ、僕を甘く見るからそうなるんだ!」


 炎に包まれ、姿が見えなくなったジンに向けて高笑いをする。彼の術は確かに魔獣を炭化させるほどの威力をもつ。惜しむらくは相手が悪かった。徐々に炎が鎮火し始め、やがて完全に消えた。


「そ、そんなバカな!?」


 目の前にいる少年は先程と同様にピンピンしている。


「すいませんね。俺、火には結構耐性あるんですよ」


 ジンは再び笑う。『龍化』した際の影響か、彼の肉体は少しずつ龍へと変化し始めている。それも《龍魔王》と称されるレヴィの肉体と同質のものへと。そしてレヴィの特徴の一つには術への極度の耐性が含まれていた。その上ジンは彼との戦いを見据えて、炎の攻撃に対応するための訓練も積んできたのだ。ただの学生の炎が効くわけがない。


「あんたの炎じゃ、俺は燃やせない」


「ふ、ふざけるな!ありえない、そんなことはありえない!そうだ、さっき炎を避けたじゃないか!そうだ火力を上げればいいんだな!これならどうだ『龍炎』!」


 信じられない状況に必死になって頭を回転させたナルキスの術は三度ジンの身体を包み込んだ。


「……避けたのは服が焦げるからだよ。それとあんたには関係のない話だけどさ、龍、龍って皆言うけど、それすごいムカつくんだよね」


 炎の中からゆっくりとジンが歩み寄ってくる。


「な、なな、何で!?」


「龍の炎はこんなに温くねえ!」


「ぷぎゃっ」


 力を込めた拳がナルキスの顔を的確に捉える。そのままナルキスは場外へと吹き飛ばされた。少女たちの悲鳴が上がる。


「勝者ジン・アカツキ!よって本ブロックの代表はジン・アカツキに決定した!」


 審判の宣言とともにブーイングと称賛の声が聞こえてきた。ジンは服についた火の粉を払った後、審判と固い握手を交わした。


 そうしてリングから降りたジンはまだシオンが試合中であることを知って向かうことに決めた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「あ、ジンくんどうだった?」


 リング脇でシオンを応援していたテレサを見つけて近寄ると、彼女もそれに気がついて顔を向けてきた。


「勝ったよ」


「本当!?凄い、おめでとう!」


 テレサはその言葉に満開の花のような笑顔を浮かべた。それを見て少し気恥ずかしく思い、ジンはポリポリと頰を掻いた。


「まあ、俺はいいとしてさ、シオンはどんな感じなんだ?」


「うーん、ジリ貧って感じね。あの子の悪い癖が出ちゃってるみたい」


「悪い癖?」


「うん、ほらあの子結構喧嘩っ早いじゃない?」


「……結構ではないけど、まあそうだな」


「……そうね。ま、まあそれは置いといて、あの子って相手の実力が高い時、よくギリギリの戦いがしたくて自分に制限をかけたり、相手の全力を出させようとしたりするのよ」


「あー、なるほど」


 ジンはカイウス戦を思い出す。わざわざ喰らわなくていい攻撃を受けてピンチになっていた。


「ということは……」


「うん、今回も。さっさと高火力攻撃とか広範囲攻撃をすれば倒せるのに、あの子相手に合わせちゃってるのよ。全く困った子だわ」


 テレサは頰に手を当てて困った表情を浮かべる。あっさりと危険なことを断言するテレサに少しゾッとするがどうやら毎度のことらしい。そんなことを聞いているとシオンにスルアの風の鞭が打つかった。


「「あ」」


 ジンとテレサの間の抜けた声が重なる。すぐさま気を取り直したテレサがシオンに向かって叫んだ。一体その体のどこからそんな声を出しているのだろうかとジンは不思議に思う。直後シオンの悲鳴が響き渡った。


「へぇ、シオンって胸にも下着付けてたんだな」


 思わずジンはぼそりと声に出す。だが意外と大きかったらしく、すぐさま親の仇とばかりに殺意のこもった強烈な視線がシオンから飛ばされてきた。


「ちょっ、ジンくん!」


 テレサが慌ててジンににじり寄る。


「あ、やべっ」


 だがシオンを見ていたジンはそれに気がつかず、彼女からの視線にのみ意識が向かっていた。


「ジンくんは見ちゃダメ!」


「ちょっ、あいたたた!爪、爪がまぶたに食い込んでる!」


 そんなジンの目を覆い隠すために咄嗟にテレサが手を伸ばす。そのため、彼女の爪が見事にジンの瞼に突き刺さったのだった。


「が、我慢しなさい!」


 二人でぎゃあぎゃあ喚いているといつのまにか試合が終わったらしい。シオンが真っ赤な顔をしながらテレサのもとに駆け寄ってきた。


「シオンお疲れ様!ジンくんシャツ!」


「は、はい!」


 テレサに急かされジンはシャツを献上する。


「ジンくんズボンも!」


 だが彼女はそれ以外も要求してきた。


「は、はいってそれはダメだろ!」


 さすがに男とはいえ公衆の面前でパンツ一枚になるのは厳しい。しかしテレサはそれを許さない。


「いいから!」


 彼女が鬼のような形相を浮かべたため、ジンは軽く怯えながら渋々とズボンも脱いでシオンに渡そうとしたところで、シオンの様子をマジマジと見て思わず口から一言こぼれ落ちた。


「……エロ」


 その言葉にシオンは一層真っ赤になって先ほど以上の鋭い視線を浮かべている。


「ジンくん!」


「ご、ごめんなさい」


 テレサの声に間髪入れずに謝罪すると、シオンは無言のまま彼のズボンを受け取った。それを見てようやく一安心したジンは話を変えようと苦笑いを浮かべる。


「いや、本当にお疲れ様だグフっ」


 シオンの本気の拳は彼の体をくの字に曲げる。


「がはっ」


 さらに彼女の一撃が顎を打ち抜き、ジンを宙に浮かした。消え失せかけた意識の中でジンは思った。


『そういえばこんなこと前にもあったなあ』

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