第81話愚痴

 それから数時間、陽も落ちてきたのでシオンたちはテントを張り食事を摂ることにした。食事はジンやルース、アルらが移動中に見つけた山菜やら、弓で射落とした鳥やらを材料に作った簡素なスープと各自で持ってきていた保存食である。それが済むと早速1日の疲れを取るために休息に入ることになった。


「俺がまず不寝番をするよ」


 ジンが彼らに告げる。森の中で、教員たちが危険性は低いと確認しているとはいえ油断は禁物だ。それを聞いてから他の班員はテントを張って各々休息に入った。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 鬱蒼と生い茂った森の中で一人、パチパチと音を立てて燃え続ける焚き火の前でジンは一人静かに胡坐をかく。あらゆる音に注意を傾けると、ひゅうひゅうと吹く風の音や、それによって揺すられぶつかり合う葉のざわざわという音。テントの方から聞こえてくるいびきや森の奥から動物の遠吠えも聞こえてくる。


 それを耳に受け入れつつ、そっと顔を上げて空を見据える。木々に隠れてしっかりとは見えないが愛だから零れ落ちてくる柔らかで神秘的な月明かりが彼とその周囲を照らしていた。ふと記憶の底に埋もれていたメロディーを思い出して口ずさむ。


 それは変わった子守唄だった。姉がよく歌ってくれたその歌を、ウィル達やマティス達に尋ねたこともあるが彼らは知らなかった。マティス曰く、ジンの母親だったアカリがよくジンとナギに歌っていたそうだ。一体どこでその歌を覚えたのだろうかとジンは思う。きっと自分の母親はシオンの母親と同郷でエイジエンという所の出身だったのだろう。そこからきっとこの歌が流れてきたのだ。


「ねむれ、ねむれ、母の胸で

 ねむれ、ねむれ、父の背で

 夜がお前を包む時、悪魔はお前に呪いをかける

 朝がお前を包む時、天使はお前に命を捧げる

 憐れな悪魔は敗れ去り、天使がお前を救い出す


 ねむれ、ねむれ、姉の胸で

 ねむれ、ねむれ、兄の背で

 雨が強く降る夜は、外に出てはいけないよ

 鍵を開ければその瞬間、悪魔が戸口に立っている

 愚かな子供は贄となり悪魔は全てを奪い去る


 ねむれ、ねむれ、祖母の胸で

 ねむれ、ねむれ、祖父の背で

 もしも君が望むなら、東に馬を進めなさい

 君の願いを神様は、きっとお聞きになるだろう

 亡くした者は蘇り、天使が君を優しく包む」


 なんとなくジンはこの歌を忘れられなかった。小さい頃は音だけを聞いていた。だが今になって歌詞について考えると、理由はわからないがひどく不気味なのだ。なぜ3連目だけが他とは異なっているのか、まるで予言のようなその詩に強い違和感を感じるのだ。それについて意識を割いていると、


「……今の歌…」


 突如後ろから声をかけられ立ち上がる。振り向くとそこにはシオンが立っていた。気づかないうちに彼女は近づいていたのだ。暑かったのか肌着を一枚だけ身につけ、下には下着以外ズボンすら履いていない。軽く寝ぼけているようだ。


「ちょっ!なんて格好してるんだっ」


 ジンは思わず大声を出してしまう。幸いなことにその声で誰も起きなかったようだ。いつのまにかシオンが後ろにいたことさえ驚愕しているのに、さらにはとんでもない格好をしているのだ。目を手で覆い隠しつつ、隙間から彼女の様子を除く。起伏の乏しい体ながら、美しく引き締まりすらりと伸びた手足は、焚き火の明かりに照らされて艶かしく輝く。銀の髪は焚き火に照らされて神々しさすら感じる。いつもの活発な雰囲気とは異なり、魔的な美しさが彼女から溢れ出していた。


「んん…僕は…」


 ジンの呼びかけに目をゴシゴシとこすると次第に意識が覚醒してきたのか、自分の姿とジンの様子を何度も見比べてから、徐々に顔を赤く染めていき、


「きゃっ…」


 森全体に響き渡るのではないかという悲鳴を上げようとした瞬間にジンは素早く立ち上がり、彼女の口を押さえた。


「お、おお、落ち着けっ、こんなところ誰かに見られたらっ、っていうよりマルシェに見られたら!」


 小さな声で叫ぶという器用な彼の言葉にシオンは口を押さえつけられたままコクコクと頷いた。


「よ、よし、離すぞ、離すからな?」


 また叫ばれたらたまらない。ジンはシオンが完全に覚醒したと判断し、そっと口から手を退けた。ただ理不尽にも振り向きざまにスナップの効いた手で頬を思いっきり叩かれた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「…それでどうしたんだよ?」


 赤くなった頬をさすりながら、なんとか落ち着いたシオンに上着を貸す。


「……臭い」


 すんすんと上着を身につけてからその匂いを嗅ぎ始めた。


「仕方ねえだろ!」


 嫌そうな顔をするシオンであったがすぐに笑みを浮かべる。


「ふふ、ごめんごめん」


 だがすぐに落ち込んだような表情に変えた。


「……それでなんか俺に用か?」


「ん…あのさ、今日はありがと」


「は?」


 膝を抱えながらぼそりと呟く殊勝な言葉にジンは驚いて思わず声に出した。


「今日さ、お前が色々やってくれたおかげでなんとか乗り切れた気がする。アイザックが暴走した時とか、危険なのに隊の先頭に立ってくれたりとかさ」


 唐突にジンは理解した。シオンは今不安なのだ。隊の指揮や森の中での行動など初めて経験することばかりな上に、問題児の集まった隊を一人で纏め上げなければならない。レクリエーションに近いイベントではあるが、安易に油断していいものでもない。だからこそ彼女は人一倍気を張っていたのだろう。それが原因でおそらく眠りも浅かったのだろう。ジンが小声で歌う歌に気がつく程に。


「僕さ、別に自信があったわけじゃなかったけど、ここまで何もできないとは思わなかった…ただ戦うだけなら僕、いくらでもできるけどさ。でも怖いんだ、僕の行動が皆にどんな影響を与えるかを考えると思うと…」


 シオンはポツリポツリとその心境を吐露し始めた。ジンはそれを静かに聞く。


「…一体、どうすればいいんだ?アイザックがチームを乱しているのは理解している。でもあいつの力が必要になる可能性だってあるかもしれない。本当にどうしたらいいんだろう…」


 そんな彼女にかける言葉を考える。


「お前さ、もっと気を抜いて考えてもいいんじゃねえかな。アイザックだっていちいち取り合うからムキになってあんなことを言ったりやったりするんじゃないかと俺は思うんだ」


「…無視しろってこと?」


「そこまで露骨にする必要はないよ。でも今みたいに何でもかんでも反応してたらどんどんチームの空気も悪くなっていくぜ。それは嫌だろ?」


「うん」


「それにさ、アイザックがゴブリンに勝手に向かった後にも話したけど、お前最悪の状況を考えすぎなんだよ。確かに慎重になるのは大事だけどさ、やりすぎて何もできなくなるのは却って問題だと思う」


「でも!」


「まあお前の気持ちもなんとなくだけど分からないわけではない。確かに急に責任のある仕事につけられて、未経験のことをやるのに隊員が暴走するっていうのは正直怖いっていう気持ちは想像できる。でもさ…だから俺たちがいるんじゃねえかな」


 シオンはそれを聞いて、ゆっくりとジンの方へと顔を向けた。


「マルシェもルースも、エルマーもアルも、イーサンもリーナも、クランも多分アイザックも、もっと頼って欲しいときっと思ってるよ。もちろん俺も、さ。月並みなことを言うけど、一人で抱え込まないでもっと俺たちに頼ってくれよ。言葉だけじゃ納得するのも難しいだろうし、そんなにすぐ変えることなんてできないと思うけどさ、心の何処かでそれを忘れないでおいて欲しい」


 真摯な目でシオンの顔を見つめる。彼女は張りつめていた顔を少し緩めた。


「そんなこと言って頼りになるのかな?」


「雑事なら任せておけ」


「ふふ、それあんまり役に立たないじゃん」


「ははは、そうだな」


 徐々にいつもの顔にシオンは戻っていく。それに気がついてジンも少し安心した。それから彼女は立ち上がりジンに顔を向ける。その時にはもういつも通り、自信に満ち溢れ、少し生意気そうな綺麗な顔だった。


「あー、なんでこんな奴に相談なんかしちゃったかな」


 両手を組んで上に挙げ、グッと背伸びをする。


「はっ、知らねえよ」


「ふふ、まあいいや。それじゃあまた明日、いろいろお願いするよ?」


「おう、できる範囲で任せろ」


 ドンと胸を叩いて彼女に笑いかける。それにシオンも笑い返すと自分のテントに戻って行った。


「あ…と…」


 去り際に何か小さく呟いたが、ジンの耳には届かなかった。ただなんとなく彼女が言った言葉は分かった。それからしばらくしてジンはルースと不寝番を変わってもらうために自分のテントに向かった。


 翌朝、シオンが彼の上着を持っていたことに目ざとく気がついたマルシェとリーナがシオンをからかい始めたため、シオンは顔を真っ赤にして必死に言い繕っていた。ジンは巻き込まれると困るので、状況を察してすぐに周囲の様子を見てくるという理由でその場を逃れた。10分ほど経ってから戻ると、追求されすぎて疲れたのか、ぐったりとしたシオンと目が合った。そして獰猛な肉食獣のような目をした二人の少女の目がギロリと彼に向けられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る