第7話始まり

「おっ! あいつじゃねーか? 神さんが言ってたやつ。どう思う? マリア」


「声がでかい。もっと静かにしなさい。私たちは敵地に来ているのよ。極力目立たないようにしなきゃいけないの。わかっているのウィル?」


「悪い、悪い。でもこんなところに来るやつなんてほとんどいないだろ? それにこの雨だ。そこまで気をつけなくてもいいんじゃねーか?」


「あんた前来た時に、見つかって追いかけ回されたのを忘れたのかい? いっつも適当なんだから。あんたの面倒を見る私のことも考えてよね!」


「へいへい。わかりました。わかりました。耳元できゃんきゃん騒ぐんじゃねえよ」


「なんだとこの髭ダルマ!!」


「ちっ、うるせえぞこのヒス女が!」


 などと周囲を気にせず大声で喧嘩しながら、ローブを被った40歳ほどの二人の男女が少年の近くに歩み寄ってきた。男の方は非常に大柄で190センチ近くあり、緑色の髪と琥珀色の瞳とカストロ髭、頬には目尻のあたりから口元にかけて大きな切り傷がある。


 女の方はというと、真っ赤な赤毛の肩ほどまでのセミロング、身長は170センチほどとやはり女性としては大柄である。しかし何よりも目立つのはその緑色の瞳と胸であった。自己主張の強い胸は、ローブを着ている上からでもわかった。


「こりゃひでえな。この子がやったのか」


 羽を生やし、首の骨が折れて、息絶えている少女とその横で眠っている少年を見やる。


「まさか魔人が現れるとはね。それにしてもこの子はどうやって助かったんだろう?」


「全くわからん! つーかこいつらこの家から出てきたのか? なんか嫌な予感がするなぁ。あー覗きたくねぇ。もうさっさと帰りてえなぁ」


と大柄な男がぼやく。


「馬鹿なこと言ってないで私がこの子見ていてあげるからとっとと行ってきな!それにまだ生きているやつがいるかもしれないだろ」


「へいへい、わかりましたよっと。まったくいつからそんな性格が悪くなったんだ」


スパーン!!


赤毛の女性が、男の頭を叩く。


「は、や、く、行け!」


「お〜、怖」


 気だるげに、家の中を覗き込んだ男の顔が歪む。床一面血だらけであった。


「こいつぁ……この女の子が全部やったのか」


そう呟きながら部屋の奥へと進んで行った。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 しばらくして男が戻ってきた。


「生きている人はいたかい?」


「いや、誰もいなかった。仏さんが3つ、しかも胸糞悪いことに全員子供だった」


「そう……」


顔を顰めて報告する男の言葉を聞いて、今にも泣きそうなほどの表情で、女は悲しげに呟いた。


「とりあえずこの子たちを埋葬しないとね。このままだと野良犬あたりに食われちまうよ。でも時間がないし……どうしようか?」


「火葬するしかねえんじゃねえかな。この雨ならすぐに火も消えるだろうし、幸いなことにここはスラムだから、火事が起きても通りの連中もたいして騒がんだろ」


「そうだね。せめてこの子のために何か形見でも持って行ってあげたいな。これにしようか」


そう言って女は少女の指にはまっていた指輪を外した。それはスラムではお目にかかれないような見事な装飾の指輪だった。


「こんな指輪を持っているなんて、この子はどこかの貴族の庶子だったのかね」


 ぼそりと呟くと女は少年を抱き上げようとした。すると、少年がボソリと姉ちゃんと呟いたのが聞こえた。


「そう……この子のお姉ちゃんだったんだね。こんな子供に大事な人を殺させるなんて酷なことを」


「仕方ねえよ。あいつが好きそうな話だろ。悲劇って言ゃあよ。俺たちの時もそうだっただろ」


「その話はあまりしないでおくれ」


 女の表情から感情がそぎ落とされていく。


「……悪かったよ」


不真面目そうな男が真剣な声で彼女に謝る。そして急に声色を変えた。


「そんじゃあ、とりあえず火葬するか。この子たちの魂が天界で安らぐことができるように」


「そうね、そうしましょう」


 男はナギの体を持ち上げて、家の中へと運び込んだ。そして少女たちの亡骸に火を放つ。ものすごい火力で一瞬にして彼らは燃えてゆく。そのままその火は家へと燃えうつり、辺りを明るく照らしていた。


 その光景を見つめながらマリアと呼ばれた女はジンを背負う。


「急ぎましょう。今ので奴らにばれたかもしれない」


そして彼女は歩き出し、男はそれに付き従った。


 彼らの顔には、こんな悲劇を少年に与えた神への深い怒りが垣間見られた。自分たちの元で起こった悲劇を思い出しながら。


 それから彼らは、スラムを後にし、オリジンの門から出て魔界のある南に向けて、歩き出した。これから少年に訪れる壮絶な運命に心を痛めながら。しかし既にこの少年の物語は始まってしまった。自分たちと同じように、理不尽で残酷な宿命をその小さな身に抱えることになったのだ。


 雨はすでに止んでいた。


 ジンたちの住む家のあたりで火事が起こったことを知ったマティスは慌てて現場に向かった。彼の目に飛び込んできたのは、道に並ぶいくつもの喰い散らかされた死体とその先にある赤く燃える家だった。


「ジン坊! 嬢ちゃん!」


大声をあげて家の中に飛び込もうとする。しかしその声は火事で集まった野次馬の耳に届き、体を押さえつけられる。


「マティスさん、無理だ。もう助からない。あんたが行っても無駄死にするだけだ!」


「放せ! まだ分かんねぇだろうが!」


そう言って再度突入しようとする彼を今度は複数人で押さえ込む。


「今水法術師を呼んできているから待ってくれ。頼むからあんたまで死んじまわないでくれ!」


「放せ! ちくしょう、放してくれ!」


そんな彼を嘲笑うかのようにパチパチと火が音を立てて踊っていた。


 数時間後、漸く消火されて家の中に踏み入ることができた。そこでマティスが見たのは3つの子供の骨と、1つの羽の生えた少女の遺骨であった。


 彼はそれを見て、まるで魂が抜け落ちたかのように立ち尽くしていた。そんな彼に騎士の風体で右目に黒い眼帯をつけた大男が近寄ってきた。


「マティス。何があった?」


「スコットか。俺ぁまたやっちまったよ」


 いかつい彼の顔が歪みその瞳から涙が零れ落ちる。


「あの人に、アカリさんに誓ったのに。今度こそ守るって約束したのに。また守れなかったっ!」


 吐き捨てるようにそう言って崩れ落ちるマティスにスコットと呼ばれた男は駆け寄った。彼はマティスの騎士団時代からの友人である。スラム街で暮らすようになったマティスを時折訪ねては、スラムの状況を確認していた。先日ジンたちに会ったのはその帰りであったからだった。


 スコットはマティスが、誰に何を誓ったのかは知らない。だが今まで一度も見たことのなかった友人の涙が、彼を驚かせた。

「マティス、話してくれ。一体何があったんだ?」


 それに答えてうなだれながらマティスは何があったのかを話し始めた。興奮していて要領を得ない説明であったが、どうやら彼の思い人の子供たちが焼け死んだということがわかった。そして改めて翼の生えた少女の遺骨を眺めて、彼女が魔物、おそらくその少女の能力の話から魔人になったことを推測した。だが混乱し、憔悴しているマティスを慮り、それについては何も述べなかった。ただ一点だけ気になったことを口にした。


「ここに住んでいたのが5人だったなら、一体あと1人はどこに消えたんだ?」


 マティスもその答えを知りたかった。そもそもその1人は誰なのか。死んでしまったのか。それとも生きていてくれるのか。誰もその疑問には答えてくれなかった。

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