第15話 まずは婚約のご挨拶を

 その後、セリアンを連れて行くと、お父様は目をまん丸にしていた。

 しかも婚約の申し出を受けると、呼吸が止まりそうになって、家令に背中をさすられたりと一時混乱していた。


 あげくセリアンからマルグレット伯爵との借金について言及された時には息絶え絶えになり、仲介に入って穏やかに収めましょうと言われた時には、そのまま魂が天の園へ旅立ちそうな顔をしていた。


 そうしてお父様は、求められるままマルグレット伯爵からの借金額などをすらすらとしゃべった。神の前で告解する信者のように。


 額としてはそれほど大きくはなかった。フェリクスの違約金が入れば大丈夫なくらいだ。けど、今すぐ用意できる額ではない。

 しかし伯爵はすぐに払えないというお父様に怒ったふりをして、街道を封鎖するとか難題をつきつけて、嫌なら娘を妻によこせと迫ったらしい。


 こんな状態で、お父様がちゃんとセリアンの話を聞いているのか心配になったのだけど、しっかりと記憶は残っていたようだ。

 翌日、朝食の席で何度も「あれは夢じゃないのか?」「わたしは幻覚を見ていたんじゃないだろうな?」と何度も私に確認していた。


 でも午前のうちにセリアンからあらためて挨拶に行きたいという手紙を読んだお父様は、ようやく安心できたらしい。滂沱の涙を流して喜んだ。


「よく……よくやった。でかしたリヴィア! さすが我が娘……」


 感涙にむせんで、ひとしきり喜んだ後で、お父様はようやく疑問を思い浮かべる冷静さを取り戻した。


「で、一体どこで出会ったんだ?」

「レンルード伯爵夫人のサロンです。セリアンが司祭職にいる時から、度々顔を出していて」


 表向き、セリアンは寄付や慈善活動に熱心なレンルード伯爵夫人の元に、慈善事業の打ち合わせなどのために訪問していることになっている。

 ……が、まぁそういう形で貴族家へ出入りする、聖職者になった貴族の子弟というのは多い。それもこれも寄付をつのるため、伝手を増やすためである。


 お金がないと、どんな慈善活動をしようにも身動きがとれないのだからと、神教側は積極的に貴族出身の人間を使っているらしい。

 特に司祭まで階級が上がれば、そこそこの自由度はあるそうなのだ。


「ああ、あの花を愛でるとかいうサロンか。なるほどな」


 よもや娘がニンジンを育てているとは思わないお父様は、さらっとその部分を流してくれた。


「とにかく挨拶に行かねばならん! むしろ逃さないようこちらから行くべきだ! さもなければ、どんな高名な家から横やりが入るかわからんからな!」


 お父様は息まいているけれど、王家ともつながりのある侯爵家に今日すぐに訪問できるわけがない。

 まずはディオアール家へ、こちらから訪問する旨を手紙で出して了解をとり、訪問にふさわしいドレスを選び出す。


 お金を一番沢山投入して仕立てたドレスを着ろと言われて、私が選んだのは、薄紫色の絹で、袖はベルスリーブのドレスだ。

 父は自分が持っている中で最も質のいいシャツや上着を出して着こみ、黒のインバネスを前日からしっかりとアイロンがけさせて羽織った。

 手に持っている杖も、普段は家の奥にしまっている、曾祖父の遺品だという琥珀がはめ込まれたものだ。


 気合が十分の父と一緒に、私は初めてディオアール侯爵家を訪問した。


 そう、訪問するのは初めてだった。

 友達歴は三年ぐらいなのだけど、サロンでしか会ったことがなかったから、おうちにご訪問なんてしたことなかったので。

 家格が違いすぎて、侯爵家のパーティーにも参加したことはなかったし。

 先方が、他の伯爵家のパーティーに来ることはあるので、遠目には見かけて顔は知っているのだけど。


 おかげで自己紹介して、話すのはこれが初めてということになる。

 さすがの私も、緊張してきた。


「お父様。ディオアール家の皆様方については、どこまでご存知でしょうか……」

「寛容な方々だとは聞いているが……。お前こそ何か知らないのか? ご子息と知り合いだからこそ見初めてもらえたんだろう。色々話しているんじゃないのか?」

「それが……。セリアンは司祭だったし、万が一もないと思っていたから、本当に趣味の話ぐらいしかしたことがなくて……。セリアンも私も、家の事情をあれこれ話すわけではないし」


 私の個人的に困ったことなんかは話していたし、セリアンも司祭職をしていての笑い話は度々してくれていたけれど、お互いに家の話はあまりしていない。

 セリアンも家に戻ることになるなんて思わなかっただろうから、侯爵家のことは完全に自分と切り離していたんだろうな。


「お父様こそ、社交上で何か聞き知ったりしたことは……」

「王家と縁続きで、宰相職まで任される家だぞ。おいそれと話せるか。どちらかというと、うちの領民がうっかりと王領地に入ったことがバレやしないかとか、それが気になって近づけん……」

「え、入ったんですか?」


 お父様は重々しくうなずいた。


「吹雪で迷った末に、長毛鹿まで捕ってきた……」

「それは、マズイですね」


 王領地にちょっと迷い込むだけならまだしも、動物を狩ったとバレては国王の不興を買う。

 しかもお父様は隠し事が苦手だ。顔色を見ていれば、すぐにわかると言っていたのは執事だったか、親類のお父様の従弟にあたる人だったか。

 不審な態度のせいで、変に探られては困るからと、お父様は王族に関連のあるあたりの家には近づかないようにしていたのだろう。仕方ない。


 どちらにせよ、セリアンの両親に関する情報は皆無に近い。

 表向きかもしれない『寛容』だという噂を信じ。親子でびくびくしながら馬車に揺られることしばし。

 馬車が止まる。


 扉の外から到着しましたという声を聞き、私と父は覚悟が決まらないままだったが、馬車の扉が外から開かれる。

 まず父が先に出た。

 外に誰かがいたらしく、緊張しながら挨拶をしているのが聞こえた。

 すぐにその人物は、ひょいと扉の中の私を覗き込む。


「セリアン」


 どうやら彼は、玄関先まで迎えに出てきてくれていたらしい。

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