第12話 沼に落ちた気分です

 もちろんお父様はもろ手を挙げて歓迎した。

 そのままマルグレット伯爵とお父様の間で、婚約を発表する日取りまで決めて行く。


 ちなみに伯爵は、さっきのことで私が『もう逃げられない』と覚悟したと考えてか、私のことは完全に放置だ。

 でもその通りだった。


 ……詰んだわ。

 抵抗すればするほど喜ぶ変態なんて、どうしたらいいのかわからない。

 もうこのまま、結婚するしかない……みたい。

 想像すると、怖気がするのと同時に、怒りを感じた。


 こんな結婚に追い込まれてしまったのも、そもそもは婚約を壊したシャーロットのせい。

 セリアンの申し出を受け入れられなかったのも……。いや、そこは私の意気地のなさのせいだ。周りからあれこれと言われるのが怖くて、もっと穏やかに過ごせる方法があるはずだからと手をこまねいた。あげく、シャーロットがセリアンに執着しているとわかって、逃げたのだもの。


 でも逃げなければよかったというものでもない。

 セリアンは私のせいで、二重に迷惑をこうむることになる。

 改めて考えても、どっちへ転んでも何かしら問題があるわけで。


「…………はぁ」


 小さな溜息がこぼれる。なんにせよもう諦めるしかないのだ。

 そうして私は、三日後のある公爵家のパーティーへ、伯爵に同伴して出席することになってしまった。

 伯爵の館で婚約の発表をするパーティーを行う予定だが、その前にも、周囲に婚約の話がまとまったことを示しておきたい、と伯爵が望んだからだ。


 パーティーになど行きたくない。

 でも拒否することも難しい。

 だからせめて、ドレスで抗議の意志だけは示すことが、私にできるせいいっぱいだった。



「本当に、このドレスでよろしいのですか?」


 パーティー当日、イロナには心配された。

 それもそのはず。お父様がわざわざ選んで指定してきたドレスではなく、夜のパーティーには着ないような濃紺の首元がしっかりと詰まったドレスを選んだのだ。


 しかもこのドレスは大事にしまっていたとはいえ、お母さまの遺品だ。

 型も古いのが一瞬でわかる代物なので、そんなドレスを着た私も、そんな私を連れている伯爵も、ちらちらと人から振り返られるだろう。

 そうして私は、伯爵と一緒にいるのが不本意だと周囲に知れ渡るわけで。


 同情にしろ嘲笑されるにしろ、好きで結婚したと思われるよりは、ずっとマシだと思ってこのドレスを選んだのだ。


「でも、着る予定だったドレスは汚してしまったもの」


 私がすまし顔で言えば、イロナはため息をつく。


「あれは汚すと言っていいのか……。まず着られませんものね。ほどいて端切れを使うぐらいしか私にも利用方法が思いつきませんよ、お嬢様」


 イロナが言うのも無理はない。絶対着られないように、上から下までしっかりとダメになるように、間違えて暖炉の中に落とし、ろうそくまで落として焦げ目も作ったのだから。


「他にすぐ準備できるドレスだって、質は良くないでしょう? それならお母さまのドレスを着て出席したいと言う方が、お父様だって文句は言えないわ」

「私もそう思いますがね。ただ、これで先方様がお嬢様との結婚をあきらめてくれたらいいのに、とは願っておりますよ」

「……それは無理だと思うの」


 伯爵家への訪問後、どうせ結婚から逃げられないのならと、私はお父様に端から端まできっちりと説明を求めた。

 あきらかに急ぎすぎた婚姻契約書の取り寄せとか。伯爵が妙な可逆趣味を持っているらしいこともお父様に語った上で、借金のことを問い詰めたのだ。


 結果、お父様はやはりどこぞのパーティーに出席した時に、伯爵に借金をしていた。

 額そのものは大きくなかったものの、伯爵の言葉遊びにひっかかり、他の方がいる前で、伯爵の願いを叶える約束をしてしまったため……結婚させないという選択肢は選べなかったらしい。


 この情報と、伯爵のシャーロットの話から、賭けごとは最初から伯爵に仕組まれたことなんだと私も察した。

 マルグレット伯爵は、自分の嗜好を満たす相手を物色していた。そんな折に私の話をシャーロットにどういう関係でか吹き込まれて、私と結婚しようと考えた。


 しかし普通に考えて、父親よりも年上の人間に婚姻を求められても、私もお父様もすぐにはうなずくわけがない。

 だから賭け事をもちかけて、お父様を陥れたのだ。


 お父様も自分より年上のマルグレット伯爵との結婚を、最初は私に悪いと思って、断る理由を考えたらしい。

 でも他に結婚相手もみつかりそうにもなく、シャーロットが邪魔し続けることも知ってはいたので、もう伯爵に嫁がせるしか道はないと思い切ってしまった。


 貴族令嬢で私に瑕疵はないのに、結婚できないままでは私の評判が地に落ちると、それを一番に気にしたようだ。それぐらいなら、後妻でも結婚した履歴があった方が、おかしな噂をされることもなくなるし、後日どこかの誰かと縁づける可能性も残るからと。

 お父様なりに考えてはいたようだけど、どうせなら最初から私に相談してほしかったわ。


「それにしても、どうして……」


 なぜそこまでして、シャーロットは私を追い込もうとするのだろう。悪意をもたれるほど彼女にかかわったことなどないのに。

 もやもやとした気持ちと、諦めの中にいると、とうとうマルグレット伯爵が馬車で迎えに来たと呼ばれる。


 エントランスではお父様が見送りに来ていたけれど、やはりドレスを目にすると嫌そうな表情をしていた。


「リヴィア、そのドレスは……」

「お母さまのドレスですわ、お父様」


 その一言で、予想通りにお父様は黙った。

 そうして無表情のままマルグレット伯爵の馬車にのる私を見送ったのだった。

 私の方は、馬車に乗ってから苦行の時間が始まる。


「ドレスの趣味は良くないようだな。むしろ私に反抗してのことか?」


 もう取り繕う必要もないと考えたのか、マルグレット伯爵は口の端を上げて笑う。


「もっとあからさまな反抗をするかと思ったがな。おとなしく馬車に乗った時は、少々物足りなかった。今度は逃げてもいいんだぞ。ウサギ狩りをするようにとらえて、怯える様を堪能してやろう」


 反応するとよけいに喜ばせるだけだとわかっているので、頬がぴくぴくとすうるのをなんとか押さえつける。

 最初は年の差だけで結婚を倦厭していたけれど、こんなとんでもない性質の人だなんて思わなかったわ。……どうやって隠していたんでしょう、この人。


「以前の奥様も、そうしていじめ殺したんですか?」


 少なくとも、二人の女性と結婚していたのはわかっている。どっちもこの調子で責め立てて、心労がたたって早世したのかしらと思ったのだけど。


「最初の妻は、そもそも体が弱かった。しかし彼女のおかげで、怯える女を見ていると胸がすく気持ちになることを教えてもらったな。次の妻は、さすがに跡継ぎが必要なのであからさまには遊ばなかったんだが。息子が二人もできた後、離縁してくれと泣いて頼んだ上、心を病んだみたいでな。実家に帰したのだよ」


 最後にくくくっと笑い声が続く。

 どっちの奥方も、けっきょくはこの人がいじめ倒したのね。

 同じ目にあうかもしれないと思うと、ますます気分が暗くなる中、馬車は会場となる貴族の館へ到着。

 パーティー会場へ入った後、私はもっと気持ちが沈むものを見てしまう。


 このパーティーにも、セリアンが出席していたのだ。

 ……みじめな姿を見られると思うと、心の中が暗澹としてきた。

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